第5話 猟犬の嗅覚
県警本部、捜査一課。 堂島 剛(どうじま ごう)は、紫煙をくゆらせながら、手元の資料を忌々しげに睨みつけていた。
「……骨が溶けた、だぁ?」
しわがれた声で呟く。
部下の若手刑事・早見(はやみ)が、緊張した面持ちで頷いた。
「はい。被害者・剛田猛(ごうだ たける)の右腕ですが、レントゲン写真がこれです。上腕骨から先が、綺麗さっぱり消失しています。切断されたわけでも、粉砕されたわけでもない。文字通り、カルシウム成分だけが抜け落ちて『軟体化』しているそうです」
「SF映画じゃあるまいし。そんな病気がってたまるかよ」
堂島は写真をデスクに放り投げた。
ベテラン刑事としての三十年の勘が、警鐘を鳴らしている。
これは「事故」でも「病気」でもない。もっと薄汚い、作為の臭いがする。
「もう一人の被害者、蛇島(へびしま)の方は?」
「そっちはもっと原因不明です。外傷はゼロ。脳のMRIも異常なし。ですが、本人は『服が擦れるだけで激痛が走る』と錯乱状態で……。医師団の見解は『未知のウイルスによる神経障害の可能性』とのことですが」
「ウイルスねぇ……」
堂島は鼻で笑った。
ウイルスが、特定の高校の、特定の不良グループの二人だけを狙い撃ちにするか? しかも、一人は「自慢の腕」を、もう一人は「精神」を破壊されるという、あまりにもあつらえ向きな症状で。
「早見。こいつらの身辺調査はどうなってる」
「はあ。典型的な不良ですね。余罪もボロボロ出てきてます。カツアゲ、万引き、下級生への暴行……」
「恨みを買ってる相手は?」
「山ほどいますよ。ですが、こんな『呪い』みたいな真似ができる人間なんて……」
「いるかもしれねぇだろ」
堂島は椅子から立ち上がり、スーツの上着をひっつかんだ。
「呪いならお祓いだが、人間がやったのなら俺たちの仕事だ。……行くぞ。まずは現場の高校だ」
◇
放課後の高校。
僕、相馬湊(そうま みなと)は、何食わぬ顔で化学室にいた。
補習の手伝いという名目で、試験管やビーカーを洗っている。優等生ポイントを稼ぐためのルーチンワークだ。
(警察が動き出したか)
窓の外、校門に覆面パトカーが停まっているのが見えた。
制服警官ではなく、背広組。刑事だ。
だが、焦りはない。剛田たちの件は「医学的に説明不可能」という時点で、犯罪捜査の土俵には乗らないはずだ。せいぜい聞き込みで終わる。
「――君が、相馬湊くんかな?」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、実験室の入り口に、くたびれたスーツを着た男が立っていた。
無精髭に、鋭い眼光。ただの警官とは違う、独特の威圧感。
「……はい、そうですが。あなたは?」
「県警の堂島だ。ちょっと話を聞かせてくれるかい?」
堂島と名乗った男は、僕の許可を待たずにズカズカと部屋に入ってきた。
その視線が、僕の手元――洗っていたビーカーに向けられる。
「熱心だなぁ。放課後まで勉強か? それとも実験?」
「先生の手伝いです。……あの、何か用でしょうか」
「いやなに、剛田と蛇島の件でな。君、彼らと『仲が良かった』んだろ?」
カマをかけてきた。 「いじめられていた」という情報は既に掴んでいるはずだ。あえて「仲が良かった」と言うことで、僕の反応を見ている。
「……いえ。一方的にパシリにされていただけです」
僕は怯えた演技を崩さず、少し視線を落として答えた。
「そうか。昨日は鞄を燃やされたり、大変だったみたいだな。推薦の話もなくなったとか」
「……はい」
「腹が立っただろう? 殺してやりたいくらいに」
堂島が、僕の顔を覗き込む。
その目は、獲物を品定めする爬虫類のようだった。
普通の高校生なら、この威圧感だけでボロを出すかもしれない。
だが、僕は違う。今の僕は、自分の心拍数さえコントロールできる。
「悔しかったです」
僕はあえて、少しだけ感情を込めて言った。
「死にたいくらい辛かったです。でも……あんなことになるなんて、思ってませんでした。バチが当たったんですかね」
「バチ、か……」
堂島はポケットからタバコを取り出しそうになって、ここが学校だと気づいて手を止めた。
「君、昨日の放課後は図書室にいたそうだな」
「はい。司書の先生にも確認してください」
「ああ、聞いたよ。防犯カメラにもバッチリ映ってた。二時間、一度も席を立たずに勉強してたな」
堂島が一歩、僕に近づく。
「……完璧すぎるんだよな」
「え?」
「ノートを燃やされて、絶望してたはずの生徒がだ。その直後に図書室に行って、二時間も集中して勉強できるもんかね? 俺なら泣いて家に帰るか、ふて寝するがな」
鋭い。 やはり、この男は厄介だ。
「アリバイがあること」自体を、不自然だと指摘してきた。
「……家に帰っても、母に心配をかけるだけですから。勉強に没頭して、忘れたかったんです」
「なるほど。親孝行な優等生ってわけだ」
堂島は納得したように頷いたが、その目は笑っていない。
「まあいい。剛田と蛇島は、一生病院のベッドから出られないだろう。医者の話じゃ、誰かに人体改造されたみたいになってるそうだ」
堂島はわざとらしく「人体改造」という言葉を強調した。
「まるで、人体の構造を熟知した外科医か、あるいは魔法使いの仕業だな。……君は理系だったか? 医学部志望の」
「……はい。でも、僕はただの高校生です。魔法なんて使えませんよ」
僕は精一杯の苦笑いを浮かべた。
「違いない」
堂島は短く笑い、
「邪魔したな。また話を聞きに来るかもしれん。……ああ、そうだ」
去り際に、堂島は振り返らずに言った。
「最近、この街でチンピラが奇妙な倒れ方をする事件が増えてるらしい。外傷はないのに、突然気絶したり、足が動かなくなったりな。……夜道には気をつけろよ、相馬くん」
ピシャリ、と扉が閉まる。
後に残された僕は、無表情で洗いかけのビーカーを見つめた。
(……バレてるな)
確証はないはずだ。証拠もゼロ。
だが、あの刑事は「僕が犯人だ」と確信している。
直感(インスピレーション)。
論理を超えた、嗅覚だけで食らいついてくるタイプ。一番相性が悪い相手だ。
「面白い」
僕は口元を歪めた。
無能な警察ごときに捕まる気はない。
だが、ただの暴力装置ではなく、あのような「切れ者」が相手なら、ゲームの難易度は少し上がる。
僕はポケットの中で指を鳴らした。
いいだろう。
証拠を残さず、法をすり抜け、僕がこの街の「癌」を切除し尽くすのが先か。 それとも、あの刑事が僕の尻尾を掴むのが先か。
これは、知能と本能の戦争だ。
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