第4話 診断名:原因不明の怪奇
その日の夕方、学校は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
屋上から聞こえてくる絶叫。駆けつけた教師たちの悲鳴。
そして、サイレンの音。
救急車とパトカーが校門をくぐり抜け、校舎の周りには野次馬の生徒たちが群がっていた。
「おい、見たかよ今の」
「剛田(ごうだ)がタンカで運ばれてたけど、なんか腕がタコみたいになってなかった?」
「蛇島(へびしま)先輩もヤバイらしいぞ。救急隊員が体に触るたびに発狂してたって」
教室の窓際で、僕はその喧噪を眼下に見下ろしていた。
手には英単語帳。あくまで「騒ぎに興味はあるが、勉強を優先する優等生」というポーズを崩さない。
(反応は上々だな)
僕は心の中で冷静に評価を下す。 剛田と蛇島は病院へ搬送された。だが、彼らが「相馬にやられた」と証言したところで、誰が信じるだろうか?
剛田はアメフト部で体重九〇キロの巨漢。対して僕は、身長一七〇センチそこそこの文化系もやしっ子だ。
僕が彼を一方的にボコボコにして、骨を抜き取った? 物理的に不可能だ。警察も医者も、まずは彼らの精神錯乱を疑うだろう。
「――相馬くん。ちょっといいかな」
背後から声をかけられた。
振り返ると、制服を着た警官が二人立っていた。一人は若く、もう一人は少し年配で、鋭い目をしている。
「はい、何でしょうか」
「屋上で倒れていた二人について、話を聞きたい。君、彼らと……その、揉めていたそうだね?」
やはり来たか。
担任か誰かが、「相馬がいじめられていた」と情報を漏らしたのだろう。動機(モチベーション)がある人間として、真っ先に疑われるのは計算通りだ。
「揉めていた……というか、一方的に嫌がらせを受けていました」
僕は視線を少し伏せ、怯えたような演技をする。
「昨日も鞄の中身を燃やされて……今日も屋上に呼び出されたんですが、怖くて行けなくて、ずっと図書室で自習をしていました」
「図書室で? 誰か見ていた人は?」
「司書の先生がいたと思います。あと、防犯カメラもあるはずです」
もちろん、アリバイ工作は済みだ。
屋上に行く前、一度図書室に顔を出し、死角を通って屋上へ向かい、犯行後にまた死角を通って戻ってきた。
防犯カメラに映っているのは「図書室に入り、数時間後に出てきた僕」だけだ。
「そうか……」
年配の警官が、探るような目で僕を見る。 だが、決定的な追及はできない。なぜなら「凶器」も「外傷」もないからだ。
「お巡りさん。彼らは……誰かに殴られたんですか?」
僕はあえて、心配そうに尋ねた。
「いや……それがな」
若い警官が困惑したように頭を掻いた。
「鑑識の話だと、殴られた痕跡が一切ないんだ。打撲も切り傷もない。なのに、剛田くんは両腕の骨が『溶けて』いたらしい」
「骨が、溶けた?」
「ああ。まるで軟体動物みたいにな。蛇島くんの方も、外傷はないのに『全身が痛い』と暴れて、鎮痛剤も効かないそうだ。医者も首をひねってたよ。『こんな急性の奇病は見たことがない』って」
奇病。 その言葉を聞いて、僕は口元の笑みを噛み殺すのに必死だった。
そうだ。僕がやったのは暴力ではない。「手術」だ。
医学的に説明がつかない以上、それは事件ではなく「原因不明の病気」として処理される。
「怖いですね……。感染症か何かでしょうか」
「わからん。だがまあ、君がやったわけじゃなさそうだな」
年配の警官がため息をついた。
僕の細腕を見て、剛田の骨を溶かすような真似ができるとは思わなかったのだろう。
「疑ってすまなかったな。勉強、頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
警官たちは去っていった。
完璧だ。
警察という国家権力ですら、僕の能力(スキル)の前では無力。その事実は、僕にさらなる全能感を与えた。
◇
帰り道。 僕はいつもの通学路を歩いていた。
昨日までは灰色に見えていた景色が、今日は鮮やかに見える。
すれ違うサラリーマン、主婦、学生。彼らの体内を流れる血液の音さえ聞こえてきそうだ。
(力を持つって、こういうことか)
ふと、路地裏から怒鳴り声が聞こえた。
「おい、金出せって言ってんだよ!」
「や、やめてください……!」
見ると、チンピラ風の男が、女子高生のカバンを無理やり奪おうとしていた。 よくある光景。 昨日までの僕なら、見ないふりをして通り過ぎていただろう。関われば自分も殴られる。警察に通報しても、来る頃には終わっている。
だが、今は違う。
僕は迷わず路地裏へと足を踏み入れた。 恐怖はない。
あるのは、目の前の「害悪」をどう「治療」しようかという、知的な好奇心だけ。
「おい、何見てんだガキ!」
僕に気づいたチンピラが、ナイフを取り出して威嚇してきた。 女子高生が悲鳴を上げて座り込む。
「失せろ! 刺すぞコラ!」
ナイフの切っ先が、僕の鼻先数センチまで迫る。
けれど、僕には見えていた。
彼の握力、筋肉の緊張、そして――過剰に分泌されているアドレナリン。興奮状態で、心臓の鼓動が早まっている。
「心拍数一四〇。血圧上昇中。……血管が切れそうだね」
僕は独り言のように呟き、ゆっくりと手を伸ばした。
「あ?」
「君のような人間は、少し頭を冷やした方がいい」
次の瞬間、僕の指が彼の手首に触れた。
――対象、循環器系。血流操作。 ――脳への酸素供給を、五秒間だけ遮断(カット)。
ヒュッ。
チンピラの動きが止まった。
まるで電源が切れたロボットのように、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
失神。
脳への血流を一瞬止めただけだ。後遺症は残らないが、急激な立ちくらみで気絶させた。
「え……?」
へたり込んでいた女子高生が、呆然と僕を見上げている。
僕は彼女に手を差し出すこともなく、ただ倒れた男を見下ろして冷たく言い放った。
「警察を呼ぶなら今のうちだ。一〇分は起きない」
それだけ言い残し、僕は踵(きびす)を返した。
感謝の言葉などいらない。ヒーローごっこをするつもりもない。
僕はただ、この間違った世界を、僕の基準で「治療」していくだけだ。
夜の
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