第37話彼女 ――境界のそばで

 カーテン越しの光が、

 少しだけ

 眩しく感じた。


「……ん」


 目を開ける。


 天井。

 いつもの部屋。


 なのに――

 胸の奥に、

 微かな引っかかりが残っていた。


「……夢?」


 そう思ったが、

 内容は思い出せない。


 ただ、

 見られていた気がする。


 怖さはない。

 嫌でもない。


 むしろ――

 落ち着く。


「……変なの」


 ベッドから起き上がり、

 スマホを手に取る。


 通知が、

 いつもより

 少ない。


 いや――

 少なく感じる。


 実際の数は、

 変わっていないはずなのに。


「……重くない」


 それが、

 一番の違和感だった。


 身支度を整え、

 外に出る。


 朝の空気は、

 澄んでいる。


 人の声。

 車の音。

 世界は、

 相変わらず

 普通だ。


 なのに。


 視界の端で、

 何かが揺れた。


「……?」


 立ち止まる。


 振り返る。


 何もない。


 誰もいない。


「……気のせい、

 だよね」


 そう言って、

 歩き出す。


 だが――

 今度は、

 “気配”があった。


 視線ではない。


 評価でもない。


 観測。


 自分が、

 どこに立っているかを

 確かめられている感覚。


「……私、

 今どこ?」


 言葉にして、

 自分で驚く。


 そんな問い、

 今まで

 考えたこともなかった。


 スタジオに入る。


 照明。

 音響。

 スタッフの動き。


 いつも通り。


 だが――

 一つだけ、

 違う。


 自分の感覚が、

 外に

 開いている。


「……」


 リハーサル中、

 彼女は

 一瞬だけ

 歌うのをやめた。


 ほんの一拍。


 誰も気づかない。


 だが――

 その瞬間、

 彼女は理解した。


 自分は、

 選べる。


 期待に、

 流されるか。


 線を、

 引くか。


「……」


 歌を再開する。


 だが、

 心は

 一歩引いた場所にある。


 終わったあと、

 マネージャーが

 声をかける。


「どうした?

 今日、

 少し雰囲気違う」


「……そう、

 ですか?」


「うん。

 悪くない」


 “悪くない”。


 その言葉が、

 なぜか

 胸に残った。


 帰り道。


 夕焼けを見上げる。


「……私、

 ただ

 見られてるだけの

 存在じゃないのかも」


 誰に

 言うでもなく、

 呟く。


 その瞬間――

 世界のどこかで、

 観測ラインが、

 微かに反応した。


 彼女は、

 まだ知らない。


 自分が

 異常の中心であることも。


 選択肢を

 持ち始めたことも。


 ただ。


 確かなことが、

 一つだけある。


 もう――

 元の場所には

 戻れない。


 それでも。


 怖くは、

 なかった。

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