第10話選択は、奪わない

 病院のロビーは、

 昼過ぎだというのに静かだった。


 平日のこの時間帯は、

 見舞い客も少ない。


 俺は、

 自動販売機の前で立ち止まり、

 缶コーヒーを一つ買った。


 こんな時に限って、

 手が震える。


「……情けないな」


 独り言を呟いてから、

 病室の番号を確認する。


 覚悟は、

 できているはずだった。


 だが、

 実際に足を運ぶと、

 話は別だ。


 ドアをノックする。


「どうぞ」


 中から、

 はっきりとした声が返ってきた。


 意識は、

 もう完全に戻っている。


 病室に入ると、

 ベッドの上で上体を起こした学生が

 こちらを見た。


 点滴はまだあるが、

 顔色は悪くない。


「……誰ですか?」


 当然の反応だ。


「通りすがり、

 って言うには無理があるよな」


 俺は、

 椅子を引いて座った。


「君が倒れた日、

 同じ場所にいた」


 学生は、

 わずかに目を細める。


「……駅前?」


「ああ」


 一瞬の沈黙。


 それだけで、

 話が通じることが分かった。


「……夢、見ました」


 彼が、

 先に切り出した。


「白い部屋で、

 パソコンが並んでて……」


 俺は、

 息を吸った。


 もう、

 誤魔化せない。


「夢じゃない」


 学生の目が、

 はっきりと見開かれる。


「……何ですか、それ」


「これから話すことは、

 信じなくてもいい」


 俺は、

 言葉を選びながら続けた。


「でも、

 聞いた上で、

 忘れるか、関わるかは

 君が決めていい」


 学生は、

 黙って俺を見ている。


 逃げない。


 その態度だけで、

 彼がどんな人間か、

 少し分かった。


「世界には、

 裏側がある」


「事故や不幸の中には、

 本当は“調整の結果”として

 起きているものがある」


 彼の表情が、

 困惑から、真剣なものに変わる。


「……俺は、

 その調整をやってる側だ」


 沈黙。


 秒針の音が、

 やけに大きく聞こえた。


「……冗談、ですよね」


「だったら、

 楽なんだけどな」


 俺は、

 静かに続ける。


「君が倒れたのは、

 俺が世界に触ったせいだ」


「助けたのも、

 俺だ」


 学生は、

 何度か瞬きをした。


 怒るか、

 笑うか、

 拒絶するか。


 どれが来ても、

 受け止める覚悟はしていた。


「……」


 だが、

 彼はすぐには反応しなかった。


 視線を落とし、

 自分の手を見つめる。


「……変だと思ってた」


 小さな声。


「助かるはずがない、

 って言われてた」


「なのに、

 目が覚めて……」


 顔を上げ、

 俺を見る。


「じゃあ、

 俺は“代償”だったってことですか」


 核心を突かれ、

 胸が痛んだ。


「……そうだ」


 正直に答える。


「でも、

 もう一度言う」


 俺は、

 はっきりと言った。


「これからどうするかは、

 君が決める」


「忘れたいなら、

 関わらなくていい」


「記憶を、

 曖昧にする方法もある」


 学生は、

 少しだけ笑った。


 自嘲でも、

 皮肉でもない。


「……ズルいですね」


「何が?」


「そんな話聞かされたら、

 関わらないって言えない」


 俺は、

 何も言えなかった。


「助けられた理由が、

 世界の都合だとしても」


「それでも、

 生きてるのは事実です」


 学生は、

 深く息を吸い、

 ゆっくり吐いた。


「……俺に、

 できることがあるなら」


 その言葉に、

 胸の奥が締め付けられる。


「待て」


 俺は、

 すぐに遮った。


「勘違いするな」


「これは、

 ヒーローの話じゃない」


「苦しいし、

 後悔もする」


「普通の人生は、

 確実に遠ざかる」


 学生は、

 それでも頷いた。


「……それでも」


 迷いは、

 なかった。


 その瞬間、

 俺は理解した。


 神々が選んだんじゃない。


 世界が決めたんでもない。


 彼は、自分で選んだ。


「……分かった」


 俺は、

 立ち上がる。


「正式な話は、

 まだ先だ」


「今日は、

 ここまでにしよう」


 学生は、

 小さく笑った。


「名前、

 聞いてもいいですか」


「ああ」


 一瞬だけ、

 言うか迷った。


 だが、

 逃げる理由はなかった。


「俺は――」


 名乗った瞬間、

 管理室の端末が、

 静かに反応した。


 世界は、

 一人増えた。


 それは、

 管理のためではない。


 選択のために。

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