第6話正しい判断は、一つじゃない
管理室の空気は、
静かすぎるほど静かだった。
並んだ二つの端末。
同じ情報を映しているはずなのに、
俺とリーネの視線は、
まったく違う場所を見ていた。
「歪みの拡大速度、上昇中です」
リーネが淡々と告げる。
ディスプレイには、
赤い警告表示が増えていく。
駅前の交差点。
意識不明の学生。
そこから派生する、
小さな因果のズレ。
「このまま放置すると?」
俺が聞くと、
彼女は即座に答えた。
「三日以内に、
周辺で事故が連鎖します」
「死者は?」
「確率四十二%で発生します」
数字が、
あまりにも軽く提示される。
「……高いな」
「はい。
ですが、修正は可能です」
リーネは画面を操作し、
一つのシミュレーションを表示した。
因果を再接続。
歪みを切除。
全体の安定度、回復。
結果は、
ほぼ理想的だった。
「代償は?」
俺の問いに、
彼女は一瞬だけ間を置いた。
「対象を、
意識不明の学生一人に固定します」
胸の奥が、
はっきりと軋んだ。
「……固定?」
「はい」
リーネは、
事実を説明するように続ける。
「彼はすでに、
因果の調整点になっています」
「ここで収束させれば、
被害は最小限です」
「助かる人数は?」
「百三十七人以上」
数字は、
説得力がありすぎた。
「……その学生は?」
「回復の可能性は、
ほぼゼロになります」
即答。
ためらいは、ない。
「それが、
正解だと言うのか」
俺の声は、
思ったより低くなっていた。
「はい」
リーネは、
迷わず頷いた。
「世界全体の安定を優先するなら、
最適解です」
「……最適解、ね」
俺は、
椅子にもたれかかった。
頭では、
理解できてしまう。
一人を切り捨てることで、
百人以上が救われる。
神々がやってきたのは、
きっと、こういう判断だ。
「でもな」
俺は、
画面に映る学生のデータを見つめた。
名前。
年齢。
家族構成。
生きている情報。
「そいつは、
最初から選ばれたわけじゃない」
「俺が触ったから、
あそこにいる」
リーネは、
静かに答えた。
「それでも、
結果は同じです」
「違う」
俺は、
はっきりと言った。
「責任の所在が、違う」
管理室の空気が、
わずかに張り詰める。
「あなたは、
感情に引きずられています」
リーネの声は冷静だ。
「感情を排除しなければ、
世界は守れません」
「……排除できるから、
神なんだろ」
俺は、
ディスプレイから目を離さずに言った。
「でも俺は、
神じゃない」
「それに――」
拳を、
強く握る。
「それを正解にしたら、
次も、次も、
同じことをする」
リーネは、
初めて言葉に詰まった。
「……では、
どうするのですか」
問いかけは、
純粋だった。
代案を、
本気で求めている。
「学生を助ければ、
他で誰かが傷つきます」
「両立は、
ほぼ不可能です」
俺は、
しばらく黙っていた。
正解なんて、
ない。
だが――
選ばなければならない。
「……時間を稼ぐ」
ようやく、
口を開いた。
「歪みを完全に直さない」
「進行を遅らせるだけだ」
リーネの目が、
わずかに見開かれる。
「それは、
不安定な状態を維持するということです」
「分かってる」
「でも、
考える時間は作れる」
「……非効率です」
「人間は、
非効率なんだよ」
俺は、
リーネを見た。
「だから、
お前を作った」
沈黙。
数秒後、
彼女は静かに頷いた。
「……了解しました」
「暫定修正を実行します」
画面の数値が、
ゆっくりと変化していく。
赤が、
黄色に変わる。
完全ではない。
だが、
破滅も回避された。
「これは、
あなたの判断です」
リーネが言う。
「失敗した場合、
責任はあなたに集中します」
「ああ」
俺は、
深く息を吐いた。
「それでいい」
管理室に、
再び静けさが戻る。
だが、
確かに何かが変わった。
ここは、
神の裁定所じゃない。
人間が迷いながら決断する場所だ。
そしてリーネは、
それを否定しなかった
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