三、楽欲

 相田あいださんと同伴の約束をしても、キャンセルされることが多くなった。体調不良が続いているのではないかとメッセージを送ってそれとなく尋ねてみたりもしたけれど、「何でもないよ」とはぐらかされてしまう。

 それでも、彼はできることなら来店したいと思ってくれているようだった。キャンセルのあともメッセージをくれ、じゃあ三日後、同伴で、と何度も約束をしていたのだから。


 寒い日だった。季節はもう春に差し掛かっているというのに、同伴の待ち合わせ場所に行く前にちらちらと雪が降り始めた。小さな雪のかけらが歓楽街を行く人の波に消えていく。

「ああ、いい色だ。沙耶さやちゃんに似合っていてきれいだよ」

 エクステをやめ、濃いピンクのインナーカラーにしたのを、相田さんは気付いてくれた。美容室でピンクが見えやすいように髪を結ってもらったからかもしれないけれど、嬉しくて顔がゆるんでしまう。

「相田さんにそう言われると、素直に信じそうになります」

「いいんだよ、信じてくれて。本当にきみは紅梅の精のようだ。優美で、冬の寒さを恨まない」

「いやだわ、久しぶりにお会いしたらもっとお上手になっているなんて」

 久しぶりに見る顔は青ざめている。少し痩せた。笑顔が曇って見える。それでも服装や髪型はきちんとしている――見ないふりが、正解だろう。

「本当のことだからね」

 フェイクファーコートの下のチャイナドレスには、白地に柔らかな赤の花模様が刺繍されている。このドレスを選んでよかったと、本気で思った。


「沙耶ちゃん、お願いがあるんだ」

 私は浮かれていた。同伴出勤もでき、枕の相手としても選ばれたのだ。シャワーを済ませた私たちは、暖房の効いたホテルの部屋でバスローブのまま滑りの良い布団にくるまれる。

「まあ。相田さんがお願いだなんて、珍しい。おっしゃってみてください」

「それが、その……」

「私にできることなら」と微笑むと、彼は意を決したように私の目を真っ直ぐ見た。

「今日は本当に、最後まで、したいと思っているんだ。いいだろうか」

 本当に、最後まで。セックスをするということだ。相田さんがそんなことを言い出すなんて、という驚きと同時に、微熱に浮かされた頭が一気に冷えた気がした。

「もちろん。お好きなようになさっていいのです」

 特殊なやり方は経験がありませんが、と付け加えながら、頭は嫌なことを考え始める。まさか、彼は最後に一花咲かせようとしているのではないか。藤は枯れる前に見事な花を咲かせることがあると教えてくれたのは、相田さんなのだ。まさか、まさか。

「できないかもしれないけど」

 彼は苦笑を浮かべた。

 春菊やビールなどとは違う、旨みも何もない苦みがまた私の中で湧き上がる。病身だということを悟られたくない、彼のそんな思いはわかっていた。

「そんなこと……」気付きたくなかった、と言いそうになったのを誤魔化すように、私はその乾いた唇に自分の唇を重ねた。甘い、とろけるように甘いキスをしたくて。

 でも舌が感じたのは、相田さんが飲んでいた緑茶のそっけない苦みだった。

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