第6話 マネージャーの条件と早抜けの覚悟
「さて、どうするか」
退屈な午後の授業。右耳から左耳に抜けていく謎の数学呪文。
sinA cosB = (1/2)[sin(A+B) + sin(A-B)]
何言ってんのかわかんないし、分かろうとも思えない。
せめて日本語をしゃべってほしいと思いながらも、頭の中では授業とはまた別のことを考えてしまっている。
──放課後、待ってる。
机の中から見つけた、たった一行だけの手紙をもう一度見つめる。
差出人の名前も、場所の指定もない。
けど、この丸っこい字を見れば、誰からかなんて考えるまでもない。
「放課後待ってるって言われても、今日は練習だしなぁ……」
残念ながら今日はよりによって、練習試合前でメニューが一番キツい日。
普通に考えれば、真っ先にグラウンド直行コース。
……なんだけど。
「うーん……」
授業の内容に悩み考え込むフリをして、肩口から星乃の様子を伺ってみる。
教室の隅。窓際後方でひと際煌めく銀髪才女。若干真横から日が差し、より一層明るみが掛かり神秘的な雰囲気を醸し出す星乃アリス。
ただひたすらに授業の様子を真剣に聞いている。───ように見えて、この数秒の間に何度か星乃と目が合っている。
少なからず俺を意識してるということは、手紙の主はつまりそういうことだろう。
いったいどうした、なんて聞くことは簡単でも後々のクラスメイトの反応が怖い。
「ま、しゃーないか」
肩口から後ろの様子を見るのを止め、再び正面を向く。
また訳の分からない数学呪文が書かれ読み上げられる中で、静かに覚悟を決める。
あの雨の日。あの教室。あの抱きしめた感触。
星乃が、わざわざこんな真似をしてまで呼び出してきたのだとしたら───無視するって選択肢は、最初から存在しない。
「俺が赤城に怒られるだけで済むなら、なんてことない」
サボりじゃない。逃げでもない。
今度はちゃんと、助けに行くための早抜けだ。
そう自分に言い聞かせて、俺はポケットを軽く叩き、授業が終わるのを待つ……。
◇ ◇ ◇
「ダメです」
グラウンドの脇、部室棟の横。
練習準備中の赤城が俺に向かって一言両断。
左手に抱える練習メニューがびっしり書かれた紙とバインダーから目を離さず、こっちのことは見向きもしない。
いつも以上に容赦がない。
……が、俺も今回は折れるわけにはいかない。
「そこをなんとか頼むよ。分かるだろ? 今日は逃げ出すんじゃなくて、どうしても早抜けしたい用事が出来たから俺だけ巻きでってお願いしてるんだって」
「そういう言い訳すれば、私がはいそうですかって許すと思ったら大間違いですよ。どうせまたいつものサボり癖ですよね」
「サボりだったら練習出ずにそのまま帰ってるわ」
「そんなことしたら死の淵までポール間ダッシュさせますからね?」
「なんでそんな鬼のような発想なんだよ!」
死の淵ぐらいは『おつかれさまでした』って優しく慰めてくれたっていいじゃんと思うのだが、鬼のようなマネージャーはそう甘くはないようだ。
俺が懇願してるのにも関わらず、相変わらずこっちを向こうとしない。
俺を除いた野球部連中のウォーミングアップを、右手のストップウォッチをチラチラと確認しながら見守る赤城。
徹底してマネージャーである。
「楠木先輩がサボるとか言い出すからですよ」
「別に今日は練習出るって言ってんじゃん……」
普段から脱走グセがある俺が言うのもあれだが、何でもかんでもサボりと決めつけるのはどうかと思う。
そんな俺の小さな不満をかき消すかのように、赤城が大きなため息をついて俺を見る。
「はぁ……。理由は何です?」
「サボりたい理由なんて、キツい以外の何ものでもないだろ」
「そっちは散々聞いてます。そっちじゃなくて、今日早抜けしたい理由です」
「いいのか?」
「理由次第です」
「それが困るんだよなぁ……」
グラウンド、バインダー、ストップウォッチの三点見から俺を見るようになったのはだいぶ嬉しいんだが、それでも疑ってかかるような赤城の冷ややかな目はクるものがある。
俺のサボりグセが彼女をそうさせてるのだから、自業自得なんだけどさ……。
それでも今回ばかりは逃げじゃないことをハッキリと伝えないと話にならない。
俺だけの問題じゃないのだから。
「まぁそうだな。俺なんかでも助けを求めてる人がいるから、かな?」
星乃のことは言えない。言えるわけが無い。
それでもその場でいい繕ったウソで赤城を騙し通そうとも思えない。
星乃を助けたいと思う気持ちはホンモノなのだから。
赤城からの反応はといえば───少し懐かしい表情をしていた。
「ふぅん……?」
「……なんだよ」
「いや、ちょっと中学の頃の先輩を思い出して」
「今の俺は、あんときみたいな立派な人間じゃないよ」
赤城の言葉に俺はやんわりと否定する。
中学の頃の俺。今と違って練習を一生懸命に取り組んでいた本物の野球バカ。
周りを見ずにただひたすらにボールとバットばかり見ていたバカな時期。
その時の赤城はマネージャーではないが、今以上に厳しかったのも覚えてる。
周りにも、そして彼女自身にも。
それが今ではこの有様である。サボりたい時にサボりまくった末に、本当に緊急な時には疑われ抜け出せない始末。
赤城に何も言わずにサボってしまってもいいのだが、それはやっぱり誠意がない。
星乃が恥を忍んで助けを求めてるのに、俺だけ鬼マネージャーからの説教から逃げ出して助けるのは、対等じゃない気がしてならない。
……今思えば、後から赤城にこっぴどく叱られるのが嫌だったのかもしれないけど。
「そうですね。練習サボって、こーんな可愛い後輩を見かけて『げっ』てビビるくらいのどうしようもない先輩ですもんね」
「……喧嘩売ってる?」
「まさかまさか。私は喧嘩じゃなくて先輩自身を買ってるんですよ」
表情はすっかり和らいだどころか、思いっきりニコニコしてる赤城。
その笑顔がものすごく怖くてたまらない。
「分かりました。今日だけは許しますよ」
「マジか! いやぁ~、赤城が物わかりのイイマネージャーで助かったわ~」
「ただし条件が二つあります」
「おう、なんだ? なんでも聞くぞ」
この際、赤城が何を企んでるのかなんでどうでもいい。
たった二つ条件聞くだけで今日の練習を早退けできるんだ。
というか、条件次第で早く抜けれるんなら、これまでも脱走とか強行突破してなくても良かったわけじゃん。
なんか損した気分───。
「一つは、早抜けする分今日の練習は先輩だけキツめにします」
「え゛っ」
「大事な夏予選前の練習試合が近くに控えてるんですよ? エースの先輩には仕上がっててもらわないと困るんですよ」
「……っすぅ」
甘かった……。ものすごく、甘かった……。
そりゃそうですよねぇ〜。鬼マネージャーの赤城様がそう簡単に練習から抜け出させるわけないよなぁ〜。
知ってたよ。ええ知ってましたよ!
だから今日の練習嫌だったんだよ!!
……しかも俺、なんでも聞くって言ってるし。
あぁ、バカじゃん。
もう俺は吹っ切れて、二つ目の条件を聞くことにした。
「んで、二つ目は?」
「二つ目を聞く前に、ちょっとだけ」
「ん?」
「先輩って……今日の夜、空いてます?」
赤城が急に小声になる。
ポニーテールを指でくるくる弄りながら、チラッと上目遣いで俺を見る。
見慣れない赤城の表情に困惑しつつも、返事をする。
「……まぁ、空いてはいるが」
「じゃあ、その時間に電話しますね」
「今教えてくれないのかよ」
「言ったら……先輩、逃げちゃいそうで」
赤城の頬が、ほんのり赤い。
いつもは鬼マネージャーの目が、今だけは───乙女のそれだった。
「電話で……何するつもりなんだよ!?」
「ふふっ」
赤城は小さく笑って、バインダーを胸に抱きしめる。
「その時のお楽しみです」
そして、にっこり笑顔のまま一言。
「それじゃあ、練習始めましょうか、先輩♡」
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