第2話 鬼マネージャーとサボり癖の代償

「よし、今日はもうサボるか」


 唐突に俺、楠木くすのき健太郎はつぶやいていた。

 ザァザァと雨音が激しく降る日の放課後。

 他の屋外系の運動部連中は部活中止になりそそくさと帰る中、なぜか野球部はピロティホールでの筋トレを課されている。


 ヒンズースクワットにプランク。腕立て伏せにバックエクステンション。

 仕上げに反復横跳びにもも上げ。

 強豪校どころか予選二回戦勝つのがやっとの学校の部活で、わざわざ天気の悪い中、体を痛めつける理由はない。


 筋トレメニューが数セット終わったところでふと俺はそう思うと、そのまま先ほどの言葉を発していた。

 そしてそれはここ一、二か月で弱小野球部を雨天練習させるまでに引っ張り上げたの耳に届くことは考えるまでもなかった。


「今、なんか言いましたか? ねぇ、エースの楠木先輩?」

「俺バカだからよくわかんないんだけど、急に天気の悪い中でも練習するようになったら急激な疲労で試合中大変なことになるんじゃねぇかなぁ」

「つまり、何が言いたいんですか?」

「今日はもう練習止めようぜ?」

「まだ練習始まって三十分も経ってないですよ!?」


 新人マネージャーこと、赤城あかぎ 麗奈れなの甲高い叫び声がむさ苦しい男どもの汗が舞い散るピロティーホール全体に響き渡る。

 それでも俺の嘆きは変わらない。


「頼む! 今日こそはサボらせてくれ!」


 ただでさえ雨で湿ってるというのに、男十数人が固まって筋トレという図がもう逃げ出したくてたまらない。

 いくら赤城が活発でハキハキとした性格で、ポニテが似合う赤髪と、スレンダーな体型だけど若干それを気にしているような美少女だとしても、だ。

 無駄に声ばかりでかく、米と肉とボールのことしか考えてないようなバカの集まりの中に、天気の悪い中でもいられるかって話である。


 もちろん、進級し二年になったことで上級生としての責任があるのは重々承知してる。

 三年生がいる中で、エースという肩書きを貰ってることも自覚してる。

 けど、それはそれ、これはこれ。

 人には向き不向きがある。具体的には、俺は筋トレが嫌いである。

 楽しくないし何より刺激が足りない。

 雨の中、ピロティーホールでの筋トレなんて、俺に言わせたらまだまだ地味すぎる。

 もっと室内プールでバタフライをするとかしないとさあ!

 まぁ、俺らの学校に室内プールどころか屋外プールも無いけど。


 なにはともあれ、心の叫びを口にしてみたのだが肝心の練習管理しているマネージャーの反応はと言えば───首振り、即ち『ノー』である。


「普段からちゃんと練習してるんだったら天気の悪い今日くらいだったら見逃すんですけどね。流石に三回に一回サボろうとする人のワガママを聞くほど私は甘くないです」


 ちょっとふてくされたように、それでいて小悪魔めいた笑みを浮かべる赤城。

 そこには言葉通り、甘さなんてものは到底感じられない。

 何度も……。何度も何度も苦しめられてきた、マネージャーとしての眼差し。

 どうやったら効率的に強くなれるかを知っている瞳の色。

 赤城の本気がどれほどのものか、今日に至るまでの約二か月ほどで十分に味わった。

 ついつい、本音が漏れ出てしまう。


「だって赤城がマネージャーになってから急に練習キツイんだもん!」

「それは先輩たちを勝たせたいからです。文句言わないでください」

「勝たせてくれって頼んでない!」

「勝ちたくないんですか?」

「そりゃ試合するからには勝ちたいが!」

「じゃあ練習してください」

「ぐ……っ!」


 マネージャーとしての真剣なまなざし、真剣な言動についつい圧倒されてしまう。

 確かに弱小野球部ではあるけれど、負けたいわけではない。負けるために試合する奴なんて一人もいない。

 だがに練習するとなるとまた話が別だ。

 遊び半分で野球をしている連中に、ガチな練習は求めていないのである。

 俺もその一人、なのだが……。


「あきらめろ健太郎。赤城ちゃんは手強い。それは十分知ってるだろ?」


 軽薄な声と共に、肩を回して逃げの一手を封じてくる一人の男。

 親友にして、悪友。名を春日井かすがい 奏太そうた

 いつもニヘラ笑みを浮かべ、声と同様に軽薄そうな人物である。

 そして、今は野球部の敵である。

 それはなぜか? 簡単な話だ。


「真っ先に赤城の練習メニューに賛同したお前が言うな、奏太」

「まぁ待て親友。よく考えてみろって」


 野球部全員がこうして筋トレすることになっているのは往々にして、奏太が原因なのだから。

 元々は俺らと同じくサボり魔だった奏太が急にマネージャーにホイホイしてるのは気に食わない。

 もちろん、軽薄そうな奏太の性格を加味しても、だ。


「グイグイ攻めてくる美少女が俺たちのためにキツイメニューを考えてくれる……よく考えたらこれはご褒美なんじゃないか?」

「いったん黙って、俺の分まで筋トレしてろ」

「ちぇー」


 奏太がなんか言い出したので、俺はいつものように軽く流す。

 奏太も分かっていたかのように、あまり気にしていない。

 自分の気持ちに正直な男。それが春日井奏太という男なのである。

 当然、自分だけ気持ちよくなる分には構わないのだが、俺たち野球部を巻き込むのだけは勘弁して欲しい。

 なんてことを考えてると、隙を見て赤城がにじりよって来ているではないか。

 理由はもちろん、分かりきっている。


「というわけで、楠木先輩? 筋トレに戻ってください」

「だが断る。俺は今日はサボると決めた」

「……やれやれ、またですか」


 このやりとり、今月だけで何回目だろうか。

 五月もまだ中盤。だと言うのに二桁はこのやりとりをしている気がする。

 もちろん、ただの冗談で無駄な回数は稼がない。

 毎回本気。毎回本気で赤城から逃げている。

 戦績としては、七割と言ったところだろうか。

 舐めたら負ける。それが俺と赤城の戦いである。


「俺に筋トレさせたきゃ、捕まえてみるんだな!!」

「私の足の速さ、舐めないでくださいよ!!」

「え、足舐めてくださいって!?」

「変態は黙ってろ!!」


 奏太の素直できしょい発言を皮切りに、俺は逃走を試み、赤城は追走を始める。

 ピロティを抜け、雨雫で水たまりになっている玄関口、やや湿っぽい簀子の香りがクセになる昇降口を通り過ぎ、校舎内を駆け巡る。


「先輩! 往生際が悪いですよ!」

「くっ、今日はしつこいな!」


 いつもなら校舎内を二階分往復したら諦める赤城だが、今日に限っては五階分逃げても追っかけてくる。

 梅雨という気候の特性上、ここ数日は筋トレと脱走を繰り返してきた関係だろうか。

 本来ならマネージャー業に専念しているはずの赤城の足がまた一段と早く、持久力を持つようになったのは間違いなく俺の功績だろう。

 今ばかりは自分を恨んでしまうが……。

 とはいえ完全についてきてるわけではなく、角を曲がった時はしばらく見失ってる様子があった。

 このチャンスを逃がさないわけにはいかない。


「───ここだ!」


 大きく赤城との距離を離し、隙を見て人気の少なそうな教室へ駆け込む。

 息を切らしつつも、扉に身を縮めたまま上ガラス越しに見える教室の数字を探す。

 ───二-三。それは奇しくも自分の教室であった。

 確かによく見れば、見慣れた教室。程よく散らかり、ほどよく整頓。

 黒板には明日の日直当番の名前が予告で書かれている。よく見知った名前だ。

 灯台下暗し。今まで赤城の筋トレから逃げ出した先で最終的に自教室を選んだことは一度もない。

 特に意識して逃げ先は選んでないが、使い慣れてる自教室な分少し気楽にサボれる。


「こんな雨の中、筋トレばっかやってられるか……」


 別に筋トレが嫌いなわけじゃない。練習だってそれなりに好きだ。

 けれど練習ばかりなのはそれはそれで嫌になる。

 ようは適度じゃないってだけだ。俺の脱走はストライキみたいなもの。

 そのうち赤城にも俺の意図が伝わる、ハズ……!

 希望的憶測を広げていると、教室内に俺以外の気配を感じる。

 はぁ……はぁ……。

 かさ……っ、かさ……っ。

 俺が出してる以外の音が聞こえてくる。

 どこだ、なんて口に出す間もなく気配の主を見つけた。いや、すでにそこに居た。

 教室の一番後ろの窓際。夕暮れに染まった教室に浮かぶ、白金に輝く少女。

 あまりにも自然にそこに居るものだから気づくのに遅れてしまった。

 教室の後ろ扉から入っているのにも関わらずだ……。


「えっと……楠木、くん……?」

「ん? あぁ、えっと星乃だっけ? 悪いなバタバタして。ちょっと今、マネージャーに追っかけられててさ」

「あ、う、うん……。大変そう、だね……」

 歯切れの悪い返事をする白金に輝く少女改め、星乃アリス。

 普段の星乃とは違う様子に、俺は少し不穏に思う。


 星乃アリス───『クーデレ才女』アリス。それが彼女のあだ名である。

 もちろん本人がそう呼べと言ったわけでも、本人が認めてるわけでもない。

 ただ、表情がどんなことがあろうと大きく変わることが無く、ただひたすら参考書とノートに向かう姿の彼女に畏怖と興味を抱いた生徒がつけたあだ名が『クーデレ才女』。


 畏怖の対象として才女と名付けられるくらいには星乃アリスの成績はずば抜けている。

 国語、数学、英語を含む五教科の学年トップは当たり前。三年生や浪人生を含めた大学入試実践模試ですら冊子に名前が載るほどだ。

 教科ごとならともかく、総合成績で彼女に敵う者はいない。


 それでいて立ち振る舞いも、無表情ながらも上品さが際立っているのだから、畏怖───高嶺の花の対象になるというものだ。


 そんな星乃が、空き教室に俺が入ってきたくらいで挙動不審に陥ってる。あまりにもあやしさ満点である。

 ……いや、急に俺が教室に入ってきて驚いてるだけか?

 勉強に集中してたら急にドタバタと人が入ってきたらそりゃ慌てるか。

 申し訳なさを覚えながらも、赤城が諦めるにはまだ早いため、もう少し教室に残らせてもらおうと決める俺。


「あと少ししたら出てくから、もうちょっとだけ隠れさせてくれ」

「それは、うん……大丈夫……」

「というか、星乃はこんな時間まで何してたんだ? 帰宅部だよなたし、か……」


 ふぅ……。大きくため息をつきながら扉に座り寄っかかる。

 野球部で鍛えられて数度猛ダッシュする程度なら長く息切れすることはなくなったが、疲れるものは疲れる。

 地べたに座り少しリラックスしながら、日が暮れる近くまで教室に残っていた星乃に声をかけてみる。

 それが、良くなかった……。


 今やっと状況が落ち着き、教室の様子をじっくり見れるようになりようやく気が付く違和感。

 とっくに呼吸は落ち着いてるのに、いまだに教室中に響く吐息。

 はぁ……はぁ……。

 教室には俺と星乃以外にはいない。つまりこの吐息は星乃が出している。

 彼女の机の上には、参考書とノート、それに筆記用具。遠くから見ているだけでも十分に分かる。

 なら一体なんで息切れ? 勉強しているのになんで吐息が漏れる?

 この疑問が、良くなかった……。


 疑問を抱くことがなければ、星乃の衣服が乱れてることに気づくこともなかったはずなのに……。


「……え、なんっ、え!? その恰好、どうした!?」


 目に入り込んでくるのは普段の星乃とは真逆の姿。

 いつもの凛とした『クーデレ才女』の姿はそこにはない。

 彼女のアイデンティティであるはずの勉強道具、そのシャーペンで何かを書き記すわけでもなく、自分の体を───今日に至るまで知ることのなかったたわわに育った果実を弄っている。

 トロンと目尻の落ちた悦な表情に、『クーデレ』のクの字も無い。

 ただ自分の欲に負け、人に見られているというのにも関わらず、星乃のシャーペンを弄る手は止まらない。

 クリクリ……。びくっ……。

 一層激しくなる吐息と共に、星乃が覚えてるであろう感覚が伝わってくる。


 感覚が伝わってくるからこそ、星乃の動揺も十分に伝わってくる。


「どうしよう、楠木くん……」

「どうしようは割と俺のセリフなんだけど」


 星乃が動揺する気持ちは分かるが俺の気持ちもわかって欲しい。

 部活から逃げてきたら、学校中で噂されてる天才美少女が教室で一人致していたんだぞ?

 どうしようと最初に嘆きたかったのは俺だ。

 星乃のことをよく知らないとはいえ、同じクラスの美少女が普段とは全く違う姿で悦に浸っている。スルーするには流石に刺激が強すぎる。

 だが星乃にとってはそれどころではない様子。悦に浸りながらも、完全に快楽に取り込まれたわけではないのは、なんとなく目の圧で伝わってくる。

 星乃と今日以外で会話をしたことは無いし、接触もない。ただ可愛くて頭のいい奴がいる、それだけの情報しかなかったけれど、ものの数分アイコンタクトしただけで十分に伝わってくる。

 ───今、星乃は助けを求めてる、と。


「止まんない」

「───はい?」

「止めなきゃいけないの分かってるのに、止められない……」


 とろりと熔けた瞳で、遠くを眺めるように俺を見つめてくる星乃。

 泣きそうながらも悦と困惑が混じった表情の同級生に俺は身が吸い寄せられていく。

 止まらない。止められない。

 俺が出来ることなんてないと分かっていても、助けたいという感情が止まることはなく───。


「俺は何をしたらいい?」


 自分の痴態を晒しつつも弱々しい笑みを浮かべる『クーデレ才女』の元へゆっくりと近づいていくのだった……。

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