第7話
その日の授業は、いつもより教師の声が大きかった。
黒板に何も書かず、教卓の前に立ったまま、腕を組んで教室を見渡している。どこか芝居がかった沈黙があった。
「さて」
教師はゆっくりと言った。
「これからの日本に、本当に必要なものは何だと思いますか」
教室がざわつく。
問いの意味を測りかねたまま、何人かの男子が互いに顔を見合わせ、やがて一人が勢いよく手を挙げた。
「武士道です!」
教師は満足そうにうなずく。
「うむ、良い。精神の柱だな」
続けて別の男子。
「騎士道です! 西洋に学ぶべきです!」
「ほう、視野が広い」
さらに別の声が重なる。
「禅です! 心を鍛えるために必要です!」
教室の前半分は、ほとんど男子の声で埋まっていた。
言葉は勇ましく、どれも「正解らしく」聞こえる。
一方、女子たちは黙っていた。
何かを考えている者もいれば、ただ視線を落としている者もいる。発言する空気ではない、と直感的に理解している。
教師は一通りの答えを聞くと、ふっと視線を和歌の方へ向けた。
「では、和歌」
突然名を呼ばれ、教室の空気が一段、張りつめる。
親衛隊気取りの男子たちが、息を呑むのが分かった。
和歌は本を閉じ、ゆっくりと顔を上げる。
一瞬だけ考える素振りを見せたが、それは言葉を選んでいるというより、どこまで言っていいかを測っている間だった。
「……」
静かに、しかしはっきりと答える。
「微積分と代数学だと思います」
その瞬間、教室の音が消えた。
教師は言葉を失い、口をわずかに開けたまま固まる。
黒板の前で、時間だけが止まったようだった。
「……」
誰も笑わない。
誰もざわつかない。
理解できなかったからだ。
教師はようやく言葉を探す。
「……それは、どういう意味かな」
和歌は立ち上がらない。
座ったまま、背筋を伸ばし、淡々と続ける。
「精神論は、方向を示すことはできますが、
現実の問題を解決する力にはなりません」
教室の空気が、わずかに冷える。
「土地をどう分けるか。
税をどう配分するか。
医療や物資を、どう効率よく届けるか。
戦を避けるために、どう交渉するか」
和歌は一つひとつ、指を折るように言葉を並べる。
「それらは、情緒ではなく、計算の問題です。
微分は変化を読み、積分は全体を把握します。
代数学は、見えない関係を式にします」
少しだけ視線を伏せ、最後に付け加える。
「未来は、気合では動きません」
教師は、何も言えなかった。
反論しようにも、どこから手をつけていいか分からない。
親衛隊の男子の一人が、喉を鳴らした。
「……すげえ」
別の男子は、よく分からないまま頷いている。
女子の中には、和歌をまっすぐ見つめる者もいた。
怖さと、憧れが混じった視線。
教師はしばらく沈黙したあと、咳払いをして言った。
「……なるほど。
斬新な意見だ。今日はここまでにしよう」
鐘が鳴る。
和歌は何事もなかったように本を開き、次のページをめくった。
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