第6話

学校の門をくぐった瞬間、和歌は空気の違いを感じ取った。

屋敷の中にあった、あの息苦しい静謐とは別種のざわめき。声が多く、視線が雑で、規律がゆるい。子どもたちの笑い声が、石畳に跳ね返っている。


――ここが、学校。


期待していなかったわけではない。

だが胸の奥に、説明できない違和感があった。


最初の授業。

教師が黒板の前に立ち、わざとらしく咳払いをしてから語り始める。和歌は、姿勢を正し、手を膝に置いたまま耳を傾けた。


……三分もしないうちに、退屈してしまった。


『「……遅い」』


教えている内容が、ではない。

思考の進み方が、言葉の選び方が、前提としている知識の水準が、あまりにも古い。


『「そこはもう否定されている説。

その説明だと、例外が説明できない」』


指摘はいくつも浮かぶ。

だが和歌は口を開かない。ここで言えば、場が崩れる。それは無意味だと、即座に判断した。


代わりに、視線を窓の外へ移す。

春先の風が、校庭の砂をわずかに巻き上げている。遠くで木の葉が揺れ、空は薄く白んでいた。


――学校に来たのは、失敗だったかもしれない。


そんな考えが、ぼんやりと浮かぶ。

授業の声は聞こえているが、頭には残らない。外の世界のほうが、まだ新しい。


その様子を、見逃さない連中がいた。


教室の後ろの方に固まって座っている男子たちだ。

彼らは最初から和歌を観察していた。姿勢がいい、西洋風な顔立ちだが中性的、妙に落ち着いている。だが授業を見ず、窓ばかり見ている。


「『なんだ、あいつ』」

「『生意気?』」

「『授業受ける気あるのか』」


ざわざわとした不満が、休み時間に形を持つ。


鐘が鳴ると同時に、数人の男子が和歌の机の前に立った。

腕を組む者、机に手をつく者。典型的な威圧。


「なあ」


一人が声を荒げる。


「さっき授業見ないで、外ばっか見てたよな。

なんでちゃんと聞かねえんだよ」


和歌は本を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。

視線は相手の目を正確に捉えるが、感情は乗せない。


「喧嘩がお好きなら」


淡々と、事実を述べるように言う。


「他の女、子供に当たってください。

健闘を祈ります、失敬」


それだけ言うと、椅子を引き、すたすたと教室の奥へ戻る。

彼らを振り返りもしない。


和歌は後席に着くと、何事もなかったように本を開いた。

次の授業の予習だ。すでに理解している内容でも、目を通すことに意味はある。知識は積み重ねだ。


教室には、一瞬、奇妙な沈黙が落ちた。


「……?」


男子たちは顔を見合わせる。

びびると思っていた。泣くか、黙るか、逃げるか。そのどれでもない。


拒絶されたのに、軽い。

しかも、丁寧。


和歌は、静かで、揺るがない。

本に落とされた視線は、彼らを世界から切り離している。


「……なんだよ、あれ」


誰かが呟く。


「やべえな」

「なんか……かっこよく……ね?」


気づけば、最初の敵意は、別の感情にすり替わっていた。

自分たちが相手にされなかった、という事実が、逆に胸をざわつかせる。


こうして、和歌は知らぬ間に、

男子たちの中で「触れてはいけない特別な存在」になった。


後に彼らは、自称・親衛隊のような振る舞いを見せるようになる。

だがこの時の和歌は、そんなことには一切気づかず、ただ静かにページをめくっていた。


――学校は、やはり思ったほど自由ではない。


そう結論づけながらも、

人間の反応の不合理さだけは、少しだけ面白いと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る