第3話 彼女まで見えるなんて知らないし

引っ越しの翌日も、朝からウメさんの忠告どおり、部屋の中で起こる不可解な音や気配に、ひたすら無関心を装っていた。


今朝、天井霊守は、ずっと屋根裏にいるわけではなく、部屋に降りてくることもあるのかと隣のウメさんに聞いた。そうしたら、部屋が暗くなったら降りてくるという。


そういう大事なことは早く言ってほしいものだ。「じゃぁ、今晩からは照明を消さず、部屋を明るくして寝ます」というとウメさんはもう手遅れだという。


「最初の夜に、知らずに部屋の照明を消して寝て、天井霊守が降りてきたのを体験した後から部屋の照明をつけっぱなしにするということは、自ら“部屋に降りてきた天井霊守を感じてしまった”と言っているようなものだ」という理由だった。


「最初の夜から照明をつけっぱなしにしていたら、天井霊守も、この人は夜もずっと照明をつけて寝る人なのだ」と理解してくれたかも知れないけど、もう手遅れ。残念という。

なぜ昨日言ってくれなかったのか・・・


「わからないことがあれば、いつでも聞いておくれ」とウメさん。どうやらこの人は、別段出し惜しみをして言わないのではなく、新人に知らせないといけないことが大学のコースウェアのように自分の頭の中に整理されて記憶されているのではなく、その場で思い出した事柄を喋るタイプの人なのだろう。


とにかく、また一つ分かった。「夜になり部屋が暗くなると、天井から天井霊守が降りてきて、僕の周りを歩きまわれる」。


午後、チャイムが鳴った。

婚約者の彩が訪ねてきた。


「ごめん、まだ荷ほどきが全然進んでいなくて」

僕は部屋の隅に重なる段ボール箱を尻目に、彩を奥の部屋に通した。


コーヒーを沸かすため、コンロにポットをかける。


幸い、天井は静かになり、音はしていない。歩くような音も水のしたたるぽたりという音も止まっている。


「まぁ、そんなに散らかっていないよ」と、ほとんど荷ほどきの終わっていない状態を見て言う。「外から見たら時代を感じるアパートに見えたけど、いい部屋ね。落ち着く感じ。」


コーヒーを二つ用意して奥の部屋に運び、彩に勧める。


「こういう二階建てのアパートメントは一昔前には“文化住宅”という謎呼称がついていたんだ。知ってる?」


「うん」当然というように答えてコーヒーを一口すすり、「実家にあった古い町内地図にも“文化住宅”って書いてあったのを見たことある」と続けた。


「文化住宅の“文化”ってなに?って今の子どもたちには意味不明じゃね?」と言って、昔父から聞いた話をふと思い出した。「僕もお父さんから、昔はアパートに空き部屋があることを宣伝する張り紙に「文化あります」と書かれてあったと聞いたことがあるよ。」


「なにそれ。理解不能やん」噴き出す彩。


「そうそう、だから僕、中学校の時にその話を中学校の文化祭の漫才でネタにしたんだ。」


「え?どんなの?聞かせて!」


期待に目を輝かす彩。では、ここで爆笑していただきましょうと、僕は話し出した。


「欧米人と日本人に見立てた二人の次のようなスタンドアップコメディの台本でさ。こんな感じ。」


僕は立ち上がり、一人二役してしゃべりだす。


A: Hey, Look! That's Japanese style apartment!

B: そうそう、日本のアパートってあんな感じやな。

A: Oh, there is a sign on that fence. What does it say?

B: あー。張り紙に「文化あります」って書いてあるね。

A: Bunka?

B: Oh, yes, It says "There is a culture."

A: Whaaat???


爆笑は起こらず、なぜか彩の目が泳ぐ。


僕は、「でさ、ここで大笑いと思ったら、なぜかすべったんだ。"There is a culture."って意味不明すぎて面白いと思ったんだけど。中学生には早かったかな。」


「いや、」彩は言いにくそうに「普通に寒いかな」


「うわっ、『恒一は50のダメージを受けた』。痛たた」僕は頭を抱えておどけた。


「そのしぐさも寒いから」といってほほ笑んだ彩が、「あのさ、Whaaat???の後にさ、Aの人がさらに

“So… does it come with culture pre-installed, or is it a subscription model?”

って言えば面白くない?」とウィンクする。


「うわっ、ハイレベル!」と、僕は悶絶する。発音がよすぎてヒアリングできなかった。ダズイットの後、何て言ったんだ?この部屋がディクテーションのテスト会場だったら0点になっていただろう。


これぞ正しく、“霊”の出る部屋で、“レイ”点。なんちゃって。ああ、笑えない。二重の意味で。


僕はとっさに「恒一はさらに50のダメージを受けた。」と続けて、ちゃんと聞き取れて、かつ意味も分かった風を装う。


「それじゃぁ。もう恒一のHPゼロやん!」ってツッコんだ彩が、ふと、何かに気が付いたように周りを気にし始める。


部屋全体を見回して、ぽつりと言った。

「……なんか、変な感じがしない?」


同時に、今まで静かにしてくれていた天井霊守がまるで足を踏み鳴らすかのように、昨日よりも激しいぐらいに音を発し始めたのだ。今回は水の音のような音でない。明らかに足音のような音だ。これも空気振動ではないのか?ずっと聞いているうちに区別がつかなくなってきたぞ。


「実は二階の住人の足音がうるさくてさぁ。いや、ほら。それってさ、ここがちょっとばかり古い“The 文化住宅”だからかなぁ」


僕は笑ってごまかした。


彩の感じている「変な感じ」は「この音が聞こえている」という意味か?天井霊守が発する音は、そもそも「空気振動」ではないはずだが。


うわ、ホントに分からなくなってきた。ちょうど、イヤホンをして音楽を聴いているつもりがBluetoothが切れていて、iPad本体からから出ていた、みたいな失敗をしたことは誰にでもあるだろう。イヤホンから?スピーカーから?もうどっちから聞こえているかわからなくなってしまうという感覚、あの感覚に似ている。


彩は、天井の音のする一点をじっと見つめた。ちょうど、人が何か音がした方を見て、音の正体がわからないとき、何の音だったのだろうとしばらく見続けるような感じで。


「どうかした?彩?」


「ううん」と首を振って、作り笑顔でこちらを向いて「何でもない」。


彩の振る舞いに「明らかに聞こえているよな、彩って」と僕は焦った。


――認知できる人にだけ取りつく。

――気づいたら終わり。


しかし天井霊守が聞き耳を立てているかも知れず、僕は彩に「気が付かないふりをしろ、聞こえないふりをしろ」とは言えない。天井霊守に聞こえたら僕がヤツを認知していることを知られてしまうからだ。


ゆっくりとこちらへ近づいてきた足音が、天井のある一か所で止まった。僕は小さく首を左右に振り合図する。(しゃべっちゃダメだ)。こうやって、それとなく伝えているつもりなのに、察してくれよ。


その途端、彩がしゃべり出す。


「つまり、『文化があるっていうんなら、それって元から住居に組み込まれているの?それともサブスクなの?』っていうジョーク。」


何なに?さっきの僕が聞き取れなかった英文の日本語訳なのか?聞き取れていなかったのがばれていたんかーい?あれ?ところで彩は一体どこ見てしゃべってるんだ?視線は僕に向いていない。


「あの~、彩ちゃん?」心配になって僕が声をかける。


床のほうを見下ろしていた彩の目線が急に天井に向けられる。何か動くものを目で追いかけた視線に似ていた。


「あー。恒一が何も感じていない・何も見えないなら、それはそれで平和かな」

彩は肩をすくめて目線をちらちらと僕と何もない壁のほうを交互に見る。


――違う。

聞こえていないじゃない。僕は“聞こえない”ふりをしていただけだ。


だがそのことを、天井霊守が聞こえるかも知れない場所で言えるものか。仕方なく僕は首をかしげて曖昧にうなずき、作り笑いを浮かべる。彩が“聞こえる人”、僕と“同じ側の人間”であることに驚いたが。


ドンドン足を踏み鳴らすかのような音は止んでいるが、音が止まったのとともにこの部屋にヤツが入ってきたような気がする。いやいや、明るいうちは降りてこないはず。しかしこの圧倒的な気配は?すでに近くにいるような気もする。


ウメさんの言葉を信じるなら、ヤツは今も天井裏にいる。そう、天井裏だ。さて、なぜ天井霊守はウメさんから「屋根裏の散歩者」と呼ばれているのか。江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」では、天井の穴から毒薬を部屋に入れて人を殺害する場面が出てくる。


もしかして、天井霊守は何かをこの部屋へ入れようとしているのか。明るいうちは部屋に入れないので、代わりに何かを入れようとしているとすれば・・・


明るいうちは降りて来られないヤツが、自分の存在に気づいてもらいたくて何かを天井の節穴からこの部屋に入れようとしているとすれば、何だろう?


ヤツの存在を知らせる物といえば「音」か。節穴から音を入れる?そうか。天井ごしに音を出すのではなく、この部屋に穴を通して音を入れればと考えているのか。


「音を入れれば・・・」しまった。考えていることがうっかり口に出てしまった。


「え?」、彩が聞き返す。「おトイレって言った?」


「え?うん。そろそろ僕たち『音入れ』に行かないとな・・・と」

と言った。そうだ。バンドの音入れに行く用事があるということにしよう。


「『僕<たち>』って何?トイレなら一人で行ってくれば?」


「いやいや、“おトイレ”じゃねぇし。『音』を『入れる』ほうの“音入れ”だよ、録音のことだよ」


「なんだ、“おトイレ”じゃなくて“音入れ”!なんちゃってー。とかいう、いつもの恒一のおやじギャグかー。」まるで、聞いて損した、というような態度だ。


「違う違う。業界用語だよ。レコーディングのことを『音入れ』っていうんだよ。で。そろそろ僕らバンドメンバーで集まる時間になるなぁっと。ほら、今日はレコーディングするんだぜ」


とっさに、ありもしない今日の予定を口走る。


「どういうこと?引っ越し翌日の今日は、私が会いに来る日になっていたのに、レコーディングの予定を入れていたの?はいはい、私に『そろそろ帰ってね』っていうことね」


「いや、そういうつもりでは」と言ったが、さっさと帰り支度をして部屋を出ていった。


-----

――次回、第4話「怪しい僧の能力なんて知らないし」


チャリン――

聞き覚えのあるあの音が響く。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前、カーッ!」


怪しく見えてもひょっとすると本物なのか?

それとも――


次回、「怪しい僧の能力なんて知らないし」

   ――除霊料、出血大サービスで五桁です。

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