【短編】それでも僕らはもがいていくんだ。
名ノ桜
第1話
高校を卒業して半年ちょっと経った日の早朝。前日まで雪一つ降ってなかったくせに目が覚めると外が真っ白に染まった日に、唯一の友達が交通事故で亡くなった。
あの日のことは今でも鮮明に憶えている。携帯電話の着信音もスマホに写し出された記事も。
きっと僕は、死ぬまで忘れることはないだろう。この時の記憶も、心の痛みも全て。
『06:12』
朝、snsの着信音で目が覚めた。いつもはならないはずのその音に僕は苛立ちを募らせながら昨日ベッドの隅に投げたはずのスマホを手探りで探す。
「うるさいな……」
少し肌寒さを感じながら手探りでスマホを見つけ、重たい瞼を開けておもむろに画面をつける。
「…………は?」
スマホの画面が夢うつつな僕の意識を引きずり下ろしてきた。
明るく眩しい画面に写っていたのは、高校の頃の同級生の名前と、その同級生からのメッセージ、そして一枚のスクショだった。
『奥崎、竹一が亡くなったらしい』
スクショはネットニュースを切り取ったものだった。一枚の写真と共に詳細が載っている。
『今日早朝、国道を走っていた軽自動車とトラックが衝突しました。トラックに乗っていた男性は軽傷でしたが軽自動車に載っていた男性は死亡しました。路面はアイスバーン状態でした。』
なんだよ?ドッキリか?悪質なドッキリか?よくこんな凝ったニュース作ったな。
僕はブラウザを開き、ニュースの虚偽を確かめる為、検索欄に単語を入力する。
『今日 早朝 軽自動車 トラック 交通事故』
出てくる訳ない。あいつが死ぬ訳ない。出てこないでくれ!
そう願い、僕は検索を押した。
「っっ!」
『ネットニュース 軽自動車とトラックが衝突』
恐る恐る題名を押すとネットニュースへと移動する。同級生の話は本当だった。
ネットニュースには同級生から送られてきたものと同じことが書かれていた。
写真に映っている黒い軽自動車は、運転手側が大きく潰れ、悲惨なことになっている。
あいつ、竹一が乗っている車も黒い軽自動車だった。いや、黒い軽自動車なんてそこら辺にたくさんいるだろ。
冷や汗が止まらない。嘘だ……。
その時、僕は竹一がsnsのアイコンを自分の愛車にすると言っていたのを思い出した。
そ、そうだ、そういえば竹一のsnsのアイコンを自分の車にしていた。
僕は急いでsnsのトーク画面を開き、竹一とのトーク画面を開き、アイコンを開く。
出来る限り大きく拡大して、ネットニュースの軽自動車と比べてみる。
同じだった。
何度も何度も見比べてみたがネットニュースの軽自動車は、ひしゃげてて分かりずらいが車の車種もタイヤも竹一がアイコンにしている車と全く同じだった。
その日、僕は唯一の友人だった竹一を失った。
あの日は涼しい夏の日だった。太陽が遠慮して風が心地よくなびく日。
高校の夏休みで暇を持て余していた私は、親友で唯一の友達、由奈の家に来ていた。
約束はしていないけど、由奈だったら嫌な顔せず出迎えてくれる。そう考えながらインターホンを押す。……が返事が返ってこない。
「寝てるのかな?」
スマホを取り出し時間を確認する。
『10:23』
やっぱり寝てる? ううん。そんな筈はない。由奈は早起きするタイプだってことを私は知っている。こんな時間まで寝ていることなんて今までなかったと思う。
その後も何回も押してみるが全く反応はなかった。仕方なく、ドアノブを引く。するとどう言う訳かドアが開く。
「鍵くらい掛けなよ、もう。」
私はため息を一つこぼし由奈の家へと足を踏み入れた。
「お邪魔します。」
由奈の家は妙に静かだった。何回も来たことはあるが由奈の元気な声が響いてたからかこんなに寂しく感じたことはなかった。
「由奈ー?」
声を出して呼んでみるが返事はかえってこない。リビングを覗いてみるも由奈はいない。それどころか朝ご飯を食べた痕跡すらなかった。
「はあ、まさかまだ寝てるの?」
私は寝室へと足を運ぶ。自分の足が木材を床を踏む音だけが聞こえる。
少し前に泊まりに来た時は由奈のベッドで一緒に寝たっけ?恥ずかしかったけど、楽しかったな。
寂しさを紛らすように考え事をしながら私は寝室のドアを開けた。
「ちょっと、いつまで寝て…… 」
開けた先の光景に、私は思わず息を呑んだ。
そこは寝静まりかえっていた。ベッドにはぐちゃぐちゃになった毛布とスマホ。そして部屋の隅には、まるで装飾の一部だと感じるような、生気のない後ろ姿で天井から紐でぶら下がる人がいた。
カーテンが閉じているせいか日中なのにこの部屋だけは別の世界のように見えた。
「え………?」
私にはそのぶら下がっている人が誰かはすぐに分かった。その人が着ている服が、私が以前泊まりに来た時に由奈が着ていたパジャマから。
「うそ…………由奈?」
おぼつかない足で動かない由奈へ近づく。足で一歩踏み出すたび、色々な感情とこれまでの由奈との思い出が込み上げてくる。そして目の前まで来た時に思ったのは一つだけ。
「なんで……。」
静かすぎるその部屋は、私が零した涙の音をまるで聞いてくれとばかりに私の耳に焼き付けてきた。
その日、私は唯一の友達で親友だった由奈を失った。
僕、私は、あの日からずっと笑えない。
「お先に失礼します。」
辺りがもう真っ暗になった5時過ぎ。僕はデスクのを片付けて僕の上司、美羽『みう』さんに言った。
「うん、お疲れ。また明日ね、奥崎君。」
僕の上司、美羽さんは手に持った資料をひらひらとさせながらモニターの横から顔を出す。その顔は笑顔だ。
「はい。」
ここは僕が勤めている会社。高校卒業後、大学には行かず就職の道を選んだ。
別に大学に行けなかった訳じゃない。親からもお金を出してやるとも言われたし、成績もそこそこだった。ただ、大学に行く意味を見出せなかった。それだけだ。
「美羽さんはまだ帰らないんですか?」
黙々と作業している美羽さんを見て無意識に口に出していた。美羽さんは僕より早く職場に来て仕事をしていた。もう勤務時間はとっくに過ぎている筈なのに今もまだ、休むことなくパソコンと睨めっこをしている。
「んー、帰りたんだけどまだ仕事が残ってるんだよね。」
画面から目を離さず美羽さんは僕の疑問に答えてくれた。辺りを見るとまだ数人も美羽さんのように机にしがみついている。
「そうですか。」
まだ新人の僕に何もできないだろう。僕にできることは早くここから離れて邪魔をしないことだ。
そう思い、僕は鞄に持ち物を詰めていく。
「お疲れです。」
「んー。」
そう、新人の僕には手伝えることはない。だから帰ろう。
もう一度、自分に言い聞かせるようにして僕は職場を出た。
美羽さんはすごい人だ。これだけ仕事をこなして、更に右も左も分からない僕に手取り足取り教えてくれる。その間、嫌な顔一つしない。
どうしたらそんな人になれるんだろう。
まるで僕とは大違いだ。周りと違う僕とは。
冬景色の中、仕事帰りの徒歩。今は2月。友人の竹一が交通事故で亡くなってから3ヶ月が経とうとしていた。
大勢の人に踏まれて硬くなった雪の歩道を歩いていると、ズボンのポケットに忍ばせていたスマホの通知音が鳴った。少し前まで聞くことが全くなかった音なのに、あの日、そう、あの日からよく聞くようになった。
『久しぶり!愛音だけどさ、竹一のこと知ってる?奥崎ってさ、竹一と仲良かったじゃん!あの話ってホントなの!?』
取り出したスマホを見ると高校の同級生からそんなメッセージ。
「またかよ……。」
愛音とは全く仲良くない。決して悪くもなかったが、話したのは学校祭の準備の時の報連相くらいだ。連絡を取り合ったのもそれっきり。
最近は少なくなってきたが、前はよく、こういう連絡がたくさん来ていた。スマホを見たくなくなる程には。
自分の人生とは無関係な人から竹一の事故の話のことが上がると、苦しい程に心がぐちゃぐちゃになってしまう。自分でも分からない程に色々な感情が絡みあった負の感情。こんがらがれば、こんがらがる程に他人が嫌いになってしまう。
「もう……やめてくれよ……。」
誰でもない誰かに言った言葉は、白い息と共に消えていった。
『18:47』
「ただいま。」
大学から帰ってきた私は、誰も迎えることのない家の玄関に入り、靴を脱ぐ。
あの日から私は笑えなくなった。笑うことができなくなった訳じゃない。笑顔を作ることはできる。ただ、知り合いが盛り上がっていても全く面白いとか楽しいとかは感じれなかった。
今も鏡の前で今日の出来事を想像しながら笑顔になってみる。
大学で私を輪に入れて趣味の話で談笑していた3人。楽しそうに笑っていたあの3人。
ねえ?何が楽しいの?何が面白いの?
想像しても楽しくも面白くもない。気付くと、鏡の中も私の顔は真顔になっていた。
ああ、一年半前のあの日あの場所で、私は正の感情を落としてしまったみたい。
『08:37』
次の日、大学に向かう為外に出ると、雨が降っていた。冬なのに珍しい、季節外れの雨。
「傘、持って行かなくちゃ。」
私は傘を片手に大学へと向かった。
『17:08』
「美羽さん。お先に失礼します。」
いつも通り、8時間労働ぴったしに仕事を終えた僕は、今日も変わらず忙しそうにしている美羽さんに挨拶をする。
「んー、奥崎君、お疲れ。」
「はい。」
いつもと変わらない退勤時間、いつもと同じスーツと僕。毎日が同じことの繰り返しだ。そんなことを考えながら僕は職場を出た。
ああ、そう言えば今日はいつもと違うことがあった。
暗くなってきた景色を見てそう思う。
今日は、冬なのに雨が降っていたな。
そう、雨は今も降っていた。
雨の中、ドロドロになった歩道を傘を差して歩く。下を見るとうっすらとコンクリートが見える。
「くそっ……。」
ああ、嫌なことを思い出させないでくれ。
あの日、竹一が交通事故に遭った後、三日後には雪が全て溶けてなくなっていた。
まるで今年はまだ雪は降っていないと言わんばかりの街並みに、イラついたことを覚えている。
目についた電柱に向かって、『なんで雪が溶けてんだよ!』と一人叫んで蹴っていたよな。
足に響く鈍い痛みなんか全く痛くない。竹一の方が痛いんだ。これくらいなんてこない。
そんなことを考えていたっけ。
音が鳴った。スマホの通知音。
僕はズボンのポケットからスマホを取り出し確認する。
『よ!奥崎!あの話本当なのか? 竹一が交通事故で死んだって話。おまえ何か知らない?知ってたら教えてくれよ。』
高校の同級生からのメッセージだった。交換だけして会話すらしていない相手。そんな相手からまた届いた。
「くそっ!」
思わずスマホを投げようとしたが、寸でのところで止める。
もう腕に力を入れないように、両腕をだらりと下ろす。だがそれでもぐちゃぐちゃな感情は収まらない。
「くそくそくそっ!」
両方の拳を強く握り締め、どうすればいいか分からないこの感情を抑え込もうとする。
しばらくそのまま耐えていると、少しだけ冷静さと取り戻せた。と、ぐちゃぐちゃな自分に言い聞かすように心の中で呟く。
「…………もう聞かないでくれよ。」
僕は傘を引きずるように持ち、歩き出す。雨で濡れた視界は、チャコールグレー色に歪んだ景色を映し出していた。
冬は嫌いだ。僕の友人を奪っていったから。他人が嫌いだ。僕という人間を壊しにかかってくるから。
しばらく歩いていると、ふと、遠くにある橋が目に入る。ここはいつも通っている場所だが、今日は橋が目立って見えた。
そんな橋に惹き込まれるようにして僕は橋の方へと向かっていったのだった。
『14:57』
大学に行こうと家を出た私は今、大学ではなくカフェに来ている。
大学に向かっている最中に何だか行きたくなくなってきたから。別に逃げている訳じゃない。人間関係とかがめんどくさいとか嫌だとかでもない。そう、これは言い訳なんかじゃないの。ただ、気乗りしなかっただけ、それだけ。
「ごゆっくりどうぞ。」
カフェオレを運んできた、店員の貼り付けた様な笑顔を見て内心吐き気がする。その顔はいつも私が大学で見せている顔とよく似ている。
不気味、でも私の方がもっと気持ち悪い。
そんな心情を気取られない様に、私はテーブルへと顔を逸らした。
店員が去っていき、一人の空間になったと感じてから、私は鞄から参考書を出して勉強を始める。
幼い頃から私は周りに人がいると集中することができない。だからこうして一人で勉強した方が捗る。
だけど、今日は勉強が捗らない。何故なら、隣のテーブルに座っている男の子達の声がうるさいから。
「なあなあ、この動画見た!?」
「見た見た!超面白いよな!」
「だよな、いやーやっぱ、この人面白くて良いわ!」
嫌でも男の子二人の会話が私の耳に入ってくる。周りが静か過ぎると言うのもあるけど、この二人の声はカフェでは大きすぎる。
ああもう、声量でかすぎ。イライラしてくる。
手に力が入り筆圧が濃くなる。それでも集中しようと参考書の文字を目で追うけど、二人の会話は耳に入ってきてしまう。
そんな状態で私はしばらく勉強した。
「そう言えばさ、あいつまだ来ないのか?」
二人の内、一人が唐突にそんなことを口にしだした。
「いやあ、来いっつったんだけど断られた
だよね。」
「はぁ!まじかよ!あいつ、約束したとき『大丈夫』って言ってただろ!なんで来ないんだよ!」
「いや、俺も聞いたんだよ。『なんで来れないんだよ』って。でもアイツ、『ごめん、今日無理』ばっかりで理由聞いても答えてくれねぇんだわ。」
どうやら本当は三人で遊ぶ予定だったみたい。だけど一人が直前で来れなくなった。そう、ドタキャンされたらしい。
隣のテーブルに座っている私にも男の子のイラつきが伝わってくる。
「絶対あいつ来たくなかっただけだろ。」
そう言うとため息をつき、男の子は毒を吐く。
「はあ、あいつ、まじで死ねばいいのに。」
「っ!」
『死ねばいいのに』
男の子が不意に放った言葉に私の手が止まった。
「おーい、それは言い過ぎだろ。」
もう一人が笑いながら軽く注意するが、そんなことじゃ男の子は止まらない。
「いや、約束破るとかあり得ねえだろ。そう言う奴は車にでも轢かれて死ねばいい。」
ペンを持つ手に力が入り、震える。ボールペンが軋む音が聞こえないくらい私の心は怒りでいっぱいに染まる。
「誰かに殺されたりでもいいよ、それか首を吊るとかでもーーーー」
『バンッ!』
二人の会話を聞いていることに耐えれなくなった私は、気づけば勢いよくテーブルを叩いていた。
「は?」
「なんだ?」
幸か不幸か、男の子達の会話が止まった。
隣の男の子達を見ると、二人はびっくりした顔でこちらを見ている。いや、二人だけじゃない。カフェにいる全員が私を見ていた。
その中には迷惑だと言わんばかりの粘着質でキツい目もあった。
「・・・・。」
私は急いでテーブルに広げていた勉強道具を鞄にしまう。広げていた参考書はぐちゃぐちゃに、出していた筆記用具はケースに戻さず直接鞄に突っ込む。
早く、早くここから出て行きたい。
伝票を握り締め、なるべく誰の顔も見ない様に下に俯きながら私は早足でレジへと向かった。
レジにつくと、私にカフェオレを出した店員が立っていた。その顔はさっきの貼り付けた様な表情とは違い人間味に溢れている。『怯え』と言う人間味に。
私は財布から強引に引っ張り出した5000円と伝票を雑にサッカー台に置き、会計を待たずに出入り口へ向かった。
「あのっ!お釣りはっ!」
後ろからレジにいた店員に声をかけられ、足が止まる。今すぐにでもここから離れてたい私は店員を一瞥し、再度歩き出した。
「いりません。」
外に出ると、まだ雨が降っていた。カフェの中には窓があったが、ずっと下を向いていた私はまだ雨が降っていることに気付かなかった。
私は歩きながら傘をさす。横を見ると、ガラス越しにさっきの二人が見えた。二人は楽しそうに笑っている。
さっきの会話を聞いた私には、そんな二人が笑いながら悪口を言っている様にしか見えない。
「大切な人が、大事な人が死んだことがないから言えるのよ。」
本当に大事な人が死んだら、『死ね』なんて言葉は言えない。『死ね』と言う言葉の重みを知った人は絶対に使うことがない言葉。その重みを知らないから言えるんだ。
私は二人を睨みつけ、逃げる様に急ぎ足でカフェを離れることにした。飛び跳ねた濁った氷水がズボンにつくことも躊躇わずに、一心不乱に。
カフェがもう見えなくなるくらい離れた私は、冬道を意味もなく歩いていた。目的地なんてない。行く場所もない。けど家には帰りたくない。
狭い家に一人きりだと、あの部屋を連想してしまうの。
ふと足が止まる。前から、楽しそうに笑いながら歩く二人の女子高生達。その姿はまるで2年前の私と由奈の様で、背丈も髪型も違うのに、何故か二人が由奈と私に重なって見える。そんな二人と私はすれ違う。
ああ、羨ましい。私が手をどんなに伸ばしてももう掴めない未来。
頬に何かが滴る。温かくむず痒い何か。数秒遅れて、それが涙だという事に私は気付いた。
どんどん溢れてくる。止まることの知らない涙は、悲しみと共に止めどなく流れる。
なんで自殺なんかしたの、由奈。
手から力が抜け、落としてしまった傘に私は心の中で問い掛けた。無機質の傘が答える筈がないと分かっているのに、もうここにいない由奈に届いて欲しくて訴える。
どこかに行こう、私だけだけど、一人じゃない場所に。
一人じゃないけど、一人の場所。私はそんな矛盾した場所を探し求めて、フラフラと雨の中を歩き出した。さっきは温かかった涙も今はもう冷たい。
何時間歩いたのかな。半分意識のない様な状態で歩いていたからか時間感覚が分からない。辺りが暗いから5時くらい?
気づくと私は一本の橋の真ん中に立っていた。その橋は車が通るには狭く、人三人程の幅しかない。両端には手すり代わりなのか、1.5メートル程のフェンスがついている。
濡れた髪をかき分け、前を見ると、街が遠くに見える。下には冬なのに凍ることなく流れている川。
もっと近くで見たくなり私はフェンスに近づく。吹き込む風が頬に当たって冷たいが、今の私にはどうでもいい。
引き込まれる様に私の体が前のめりになり、フェンスの冷たさが手をつたって体に染み入る。
ねえ、由奈。私、ここで飛んだら楽になれるのかな?
もういない友達に、私は尋ねた。
仕事終わり、ふと目に入った橋に向かって歩いている最中、何故か僕は竹一との日々を思い出していた。
あの日はよく晴れた夏の日だった。
「よっ、奥崎。」
中間テストが明日に控えてる日の放課後。僕は良い点数を取るために、唸りながら教室の机に齧り付き勉強していた。
そんな僕のところに竹一が来た。
「……何?」
「この後バスケしに行かねぇ?」
「明日テストだけど?」
「知ってるよ。だからバスケ誘ってんだよ。」
「・・・・どういうこと?」
竹一が意味不明なことを言っている。
勉強のしすぎで頭がおかしくなったのか?
僕は、ノートから目を離し、竹一をじっと見た。竹一は僕とは違ってアウトドア派なのは知ってるけど、テスト前日にじっとしてられない程、体動かすのが好きな奴じゃない。
竹一はヘラヘラしながら僕の返答を待っている。
「テスト終わってからじゃ駄目?」
「駄目、今日行こうぜ!今日行きたいんだ。思い立ったらすぐ行動!それが俺だぜ?」
それくらい知ってるよ。君がどう思ってるかは分からないけど、僕にとって君は友達なんだから。
ヘラヘラと明るい君を見てため息をつく。
「分かった、行くよ。」
「よし!行くぞ!ほらっ!教科書しまえって!」
僕の返答を聞くな否や、竹一は僕の勉強道具を隣に立てかけてあった鞄へとしまいだす。
「あっ!おい!」
そんなに早く行きたいのかよ。
竹一の子供じみた行動に、僕の口元が少しだけ上がった。
そうして僕は、友達の竹一といっしょに街中の総合体育館へと向かいバスケをすることになった。
広い総合体育館の左端。いつもは数人、十数人がいる体育館には今、僕と竹一しかいない。ボールの弾む音だけが聞こえ、まるで二人だけの世界に閉じ込められた様なそんな感覚になる。
「奥崎。」
目の前でボールをついている竹一が、僕に不敵な笑みを浮かべる。
「もうそろそろ疲れてきたんじゃないのか?無理しなくていいぜ。」
そう言う竹一の額は汗でびっしょりだ。
まあ、僕もなんだけど。
「そっちこそ、疲れてるのに見栄なんか張らないで大人しく負けてくれてもいいんだよ?」
ちなみに、そう言っている僕の心情は、『もう辞めたい、疲れた』だ。それを薄っぺらなプライドが妨害している。見る限り竹一もそんな感じだ。
36対38
頭の中で得点を数える。左が僕の得点で右が竹一の得点だ。この体育館で、僕たちは1on1をやっている。かれこれ1時間以上も。
ちなみに今負けているのは僕だ。ルールは、先に4点離した方の勝ち。
再度頭で得点を数える。
36対38
ここで竹一を抑えても僕は不利のまま。この次、僕がシュートを決めてようやく同点。
今竹一が見せている笑みは自分が有利な状況にいると言う安堵の笑み。
僕は大きく息を吸う。
僕のその行動を隙と見たのか、竹一は動きだした。
「この勝負、勝ちはもらったぜ!」
右側へと動いた竹一。その動きは、僕が予測していた場所だった。
取れる!
『ガコンッ!』
バスケを終え、僕たちは体育館の入り口の自販機でジュースを買っていた。
「いやー楽しかった!」
ジュース片手に竹一は清々しそうに言う。
「やっぱ、体動かすっていいな!」
「まあ、たまには悪くないな。」
僕は自販機から取り出した缶ジュースを開け一気に飲み干す。
先の1on1の勝負、結果から言うと、僕は負けてしまった。あの後、僕は竹一の攻撃を防げずそのまま4点離されてしまったのだ。
「奥崎おまえさ、あんまり運動しないくせに結構動けるよな。」
竹一は、飲む終えた缶ジュースを隣のゴミ箱へと投げる。それに続き僕も投げた。
「そう……言われればそうかも。」
確かに言われてみればそうだった気がする。昔から、ある程度のスポーツは少しやればすぐ上手くなる。始めたばかりの人を見て『なんでそんなに出来ないの?』なんて思ったこともあった。けど、僕はいわゆる器用貧乏って奴で、ある程度は上手だけどある程度しか上達しない。
だから確かに、結構動ける部類。
「奥崎、おまえ部活入ってないんだしバスケ部に入ってみたらどうだ?活躍できるかもよ?」
「入んないよ。」
「なんでだよ?」
「バスケ部でもない人に負けたのに、習っている人相手に勝てる訳ないだろ。」
そう、竹一はバスケ部じゃない。文化部に入っている。
「そう言う竹一がバスケ部入ればいいでしょ。きっと活躍するよ?」
「嫌だよ。」
そんなやり取りをした僕たちは、総合体育館を出た。
外は少しオレンジ色に染まっていた。
涼しげな風がカラスの鳴き声と車の騒音を運んでくる。
そんな道を無言で歩く二人。
疲れたからか、話の種がないのか、はたまた話さなくて分かり合っているからなのか、二人の間に会話は聞こえない。
「なあ、奥崎。」
しばらく歩いていると、竹一が話しかけてきた。
見ると、竹一は前を向いたまま。
「なに?」
竹一が前を見たままこっちを見ないから、僕も前を向き直す。
「おまえさ、いつも机で勉強してるだろ?」
「そうだけど?」
机で勉強するのは当たり前じゃん。僕には、竹一の言いたいことがよく分からない。
「あのさ、勉強するのも大事だけど、たまには今日みたいに体動かして気持ち楽にしないといつか壊れるぞ?」
え?なんだよ急に。
竹一の突然の発言に少し驚く。
竹一は、まるでここ最近の僕が、壊れる寸前だったと言っているみたいだった。だがしかし、ここ最近の僕はそんな切羽詰まってなどいない。いや、竹一にはそう見えていたのかも知れない。
ここ最近、僕はテスト前だから休み時間はずっと勉強していた。だから、そう見えても不思議ではないのかも知れない。
ああ、僕の心配をしてくれてたのか。そうだったのか……ああ、竹一……君は僕の親か何かか。
つい、心の中で突っ込みを入れてしまう。
まあ、でも、
「そんなことにはなんないよ。」
僕は竹一の方を向いて言った。
きっと僕は今笑っているんだろう。いや、微笑んでいるんだろう。
そんな顔をした僕の方を君は見て、目を見開いた。
そう、そんな事にはならないよ竹一。君がいるから。もしそうなる時があるのなら、それは竹一がいない時だろう。だけど、そんな事にはならない。あと50年、60年。僕達二人は、年老いて死ぬ時までずっと友達だ。
少なくとも僕はそう思っている。
微笑んだ僕を見て何を思ったのか、少し間を開け竹一は笑顔になる。
「……まあ、奥崎がそんな状態になる前に、俺が助けるけどな。」
今度は僕が目を見開いた。
「……あっそ。」
竹一の唐突のセリフに僕はちょっとむず痒くなり、素っ気なく返す。
なんでそんな事さらっと言えるんだよ。だからこいつはモテるんだな、ちくしょー。
「あ!今恥ずかしがっただろー。」
竹一はニヤニヤと俺を指差し笑っている。さっきとは違い、ニヤニヤと。
いや、あんな事言われたら誰だってこうなるだろ。
「恥ずかしがってない。」
図星を当てられた僕は、それでもごまかそうと顔を逸らす。
「見栄はるなって。」
「張ってない。」
「嘘だ。」
「嘘じゃない!」
しつこい竹一に、僕は怒鳴った。
竹一は目をまん丸にしてキョトンとしている。
「…………プッ、あは、あはははは!」
その顔が何故かおかしくって面白くって、僕は堪えきれず笑ってしまった。
「おい!何、人の顔見て笑ってんだよ!」
「あはは!いやっ!だって!すごく面白い顔してたんだもん!あははは!」
さっきの顔を思い出し余計に笑えてくる。
ああ、お腹が痛い。
「はあ!?俺面白い顔なんてしてねえよ!ほら!」
竹一は自分の顔を指差し訴えてくる。
「あはは!…ん?」
見ると、竹一は変顔をしていた。
顎をしゃくらせ、寄り目をして鼻息を荒くしている。
「「・・・・。」」
僕と竹一は互いに見つめ、表情を変えまいと固める。だが徐々に、少しずつお互いの口角が上がっていき、ついに静寂が破られる。
「「あはははははは!」」
雀が、カラスが羽ばたいてゆく。僕達二人の笑い声に驚き、虫達が逃げていく。
僕達は今年1、いや人生で1番笑いあった。
「あはははは!」
「ひい!苦しい!」
しばらく笑いあい、時間が流れると共に次第に可笑しさが収まっていった。
そしてまた、静寂が訪れる。
「「・・・・・・・・。」」
「なあ、奥崎。」
発したのは竹一。僕の名前を呼び、一瞬だけ口を紡んだ後、続けて喋りだす。
「実は今日はさ……俺が行きたかったんだ。」
竹一は遠くを見つめ、そう言った。その顔は、どこか遠くにいる人を懐かしんでいる。そんな表情をしていた。
「・・・・。」
「ありがとうな、奥崎。」
そう言い笑う顔は、ちょっと嬉しそうで、でも、とても悲しそうな、泣きそうな顔をしていた。
「・・・・。」
僕は何も言えなかった。慰めの言葉も、何があったのか聞くことも、何もかも。ただただ黙っていることしかできなかった。いや、しなかったのかも知れない。
昨日、僕は見てしまったのに。君が、昨日人知れず泣いているところを見たのにだ。
この日以来、竹一が悲しそうに泣きそうな顔を見せることはなくなった。
ふと気がつくと、僕は橋を歩いていた。
横を見るとフェンスがあり、その奥に真冬なのに凍っていない川が見える。
「……え?」
ここは、遠くに見えていた橋?
どうやら僕は、歩いてきた時の記憶が無いくらい、過去の記憶に没頭していたみたいだ。
自分の状態を確認する。
着ているスーツはびしょびしょで。朝にセットした髪は崩れてしまっている。持っていたはずの傘はいつの間にか消えており、塞がっていた両手は、今は片手に鞄だけだった。
どこかに置いてきてしまったのだろうか。ここに来る途中のことは全く覚えていないけど、多分そうなんだろう。
「……ん?」
ふと、僕は前方に何かがある事に気づき、顔を上げた。
なんだ……女性?
それは女性だった。
暗くなった時間帯に雨の中女性が一人、橋から何処か遠くを眺めていた。手に傘は握っておらず、全身がびしょ濡れで服が体に張りついているようになっている。
あの人、傘も差さずに何してるんだ?
自分も傘を差してないくせに、僕は前にいる女性に内心呆れる。
その時、その女性はフェンスへとゆっくり歩きだした。
僕は、すごく嫌な予感がした。
女性が雨でびしょ濡れだったから、余計にそう思ったのかもしれない。
僕の目に映るその女性の歩く姿は、とても生気があるようには思えなかった。
足を引きずるように歩く姿は、とても苦しんでいるように見える。
気付けば、僕は走りだしていた。
鞄を強く握りしめ、勢いよく腕を振る。水気を取るように足を動かし、重い体を動かす。
女性が、フェンスに辿り着く。冷たいであろうフェンスに両手を置き、誘われるように体を傾けてゆく。
それを見て、僕は持っていた鞄を投げ捨てた。
空いた両手両腕を出来る限りの勢いで振り、走る。
駄目だ駄目だ駄目だ!自殺なんか、死んだりなんかしたら、駄目だ!
無我夢中で走る。高校卒業以降、一才運動をしなかった僕の体力は、こんな数秒にも満たない走りで、もう半分以上削られていた。
突然の衝撃を受けた肺から漏れ出た空気が、外の寒さで白く変わった瞬間、風が吹いた。
その風は雨で垂れていた僕の前髪を上げ、視界を良くする。そんな僕の視界に、風でなびいた女性の髪の隙間から見える『目』を映しだした。その目を見た瞬間、世界が止まったように感じた。
何故なのか、それは分からない。もしそれに、無理やりにでも理由をつけるとするなら、女性の目があの夏の日に見た『目』に似ていたからだと、僕は思う。
「危ない!」
僕は、女性が落ちる前に、覆い被さるようにして後ろから体を掴んだ。濡れた服越しに、女性特有の柔らかな感触を感じるが、それに興奮する余裕は今はない。
掴んだ拍子、女性が下へ落ちる勢いで僕もよろめいて落ちそうになるが、何とか堪える。
この人が女性ではなく男性だったら、もしくはもっと重かったら僕も一緒に落ちていただろう。
そのまま傾いている女性の身体を橋へと戻し、フェンスから離れる。その間、女性は力も入れずになすがまま。
フェンスから十分に距離を取り、僕が手を離すと女性は崩れ落ちるように地べたに座った。
女性の表情は、まさに死んでいる。
「何……してるんですか。」
「・・・・。」
聞いても女性は答えない。力なく、下を俯いたまま。降り続いている雨の音と流れる川の音だけしか聞こえない。
「何で……こんなことしてるんですか。」
もう一度女性に聞くが、やっぱり黙ったままだった。
「……っ!」
そんな女性を見て、何故か腹が立った。
聞いても無視されたからか、それとも女性がここ最近の僕と重ねてしまったからなのか。はたまた、僕と言う人間の前で『死』と言う、もう懲り懲りの事象が起ころうとしているからなのか。
僕は、つい声を荒げてしまった。
「だから何でこんなことしてるんだって聞いてんだよ!」
「あなたには関係ないでしょ!」
僕は目を見開いてしまう程に驚いた。いつもは怒鳴ったりなどしない自分にも、ずっと黙っていた女性が突然叫んだことにも。
女性は顔を伏せながら言葉を続ける。
「私がここで何をしようが、あなたには関係ないでしょ……放っておいてよ!」
その声は怒りと悲しみが入り混じっているかのように震えた叫び声だった。
……関係ない?今、この人……、関係ないって言ったのか?
女性が僕に放った言葉が、今まで僕の中で必死に我慢し、抑えていた感情を溢れさす。
は?関係ないって言ったよな?この人。
ああ、確かにこの女性には関係ないのだろう。自分が何をしようと、赤の他人にどうこうされる筋合いはない。通りすがりの僕は関係ない。
けど、僕にとっては違う。もう僕は、僕の回りで『死』ということを聞きたくもないし見たくもないんだ。
この女性にとって僕は関係ないんだろうけど、僕にとっては関係のある。関係はないけど関係あるんだ。
だから関係なくなんてない。少なくとも僕には。
ああ、ムカつく、腹立つ。何でこうも見たくも聞きたくもないことばかり他人はしてくるんだよ。もう何回も何回もされてきて、こっちはとっくに疲れ果てているんだ。
僕はしゃがみ込み、座っている女性の胸ぐらを掴んだ。女性は怯えることなく、むしろ僕を恨むかのように僕を睨む。
その強い眼光が更に僕の気持ちに火を注ぐ。
「だったら……死……なよ……。」
駄目だ、言うな。堪えろ自分……。
歯を食い縛り、拳に力を入れ、言いかけた口にブレーキをかける。
必死に自分で自分を抑えようとするが、抑えるには大きすぎる気持ちは、ブレーキを壊して叫びとして外に出てしまう。
「だったら僕の前で死のうとなんかするなよ! 僕はもう、誰かが死んだとかそんなこと聞きたくも見たくもないんだよ!」
どんどん口から言葉が溢れてくる。今まで誰にも言わなかった、言えずに我慢していた言葉が止めどなく溢れてくる。
僕の頬に、温かい雨が落ちてくる。
「皆同じことしか言ってこない!同じような話しかしない!一体、僕が何したって言うんだよ!あいつが何したって言うんだよ!」
何言ってるんだ僕は。見ず知らずの女性にそんなこと言っても意味ない、分からない。友達を亡くした悲しみも、『死』と言う言葉の重みも知らない人になんか言っても理解なんてしてくれやしないのに。
だけど、僕の口は止まらない。
「もううんざりなんだよ! 掛けられる言葉も同情する振りをされるのも、誰かがいなくなるのも! それならいっそほっといてくれよ! そんなことをされたって、ただただ苦しくなるだけなんだ! 」
「だから!……だから! ……もうやめてくれよ……。」
ああ、自分でも何を口に出しているのかが分からない。今までのが苦痛をいっぺんに言ったから、支離滅裂な言葉が口から出た。
「…………ごめんなさい……。」
今までずっと押さえ込んでいた感情が、雨のように流れてしまった。熱くなった瞼は強く閉じても冷めやしない。むしろ熱さを増すばかり。
竹一が死んで約三ヶ月。
由奈が亡くなって一年と半年ちょっと。
雨が降り続ける冬の橋の真ん中。僕は命を救い、『私は命を救われた』。
けれど、僕の『私の』心は救われていない。苦しいまま。それでもなお、生きていかなければならないんだ。
親友の分まで、精一杯に。
【短編】それでも僕らはもがいていくんだ。 名ノ桜 @nanosakura
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