第3話 早く食え、伸びる


 午後2時。昼のピークが過ぎ、店内には緩やかな空気が流れていた。

 この時間帯は『聖域』にとっても休息の時間だ。

 客はまばらで、換気扇の音がやけに大きく聞こえる。


「……ふぅ。ちょっと慣れてきました」


 ホールでダスターを絞りながら、ミオが小声で呟いた。

 昨日の今日で、動きが少しマシになっている。

 まだ動きに無駄が多いが、少なくとも客に水をぶっかけるようなポカはしていない。


「気抜くな。アイドルタイムこそ掃除だ。カスターセットの汚れ、拭いとけ」

「はいっ、さく先輩!」


 俺は寸胴の火加減を調整しながら指示を飛ばす。

 カスターセットとは、卓上の調味料入れのことだ。

 豚骨の脂は空気中に舞い、あらゆるものをベタつかせる。こまめに拭かなければ、店はすぐにスラム街のような有様になるだろう。

 リュクスがサロンとして成立しているのは、この徹底した清掃のおかげだ。


 カラン、とベルが鳴った。

 反射的にミオが「いらっしゃいませ!」と声を張り上げる。

 入ってきたのは、パーカーのフードを目深に被り、黒いマスクをした小柄な客だった。

 性別は女性。

 華奢な体つきだが、足取りはしっかりしている。

 彼女は迷わず券売機に向かうと、慣れた手つきで食券を購入した。


「一番奥、どうぞ」


 ミオが案内しようとするが、彼女は軽く会釈をし、言われる前に一番奥の席へ座った。

 常連だ。

 俺は食券を受け取る。

『小ラーメン 麺半分 脂少なめ』

 ストイックなオーダーだ。

 俺は彼女の顔を見る。マスク越しの瞳が、少し疲れているように見えた。


「……ニンニクは」

「あ、別皿で……お願いします」


 声が小さい。

 彼女――アイドルグループ『mille clair(ミルクレール)』のセンター、瀬名せな いのりだ。

 テレビや雑誌で見ない日はないほどの売れっ子だが、ここに来るときはいつもオーラを消している。

 おそらく、仕事の合間か、レッスンの前なのだろう。


「せ、先輩……! 今の声、もしかして『ミル・クレール』の……!」


 ミオが目を輝かせて詰め寄ってくる。マスクをしていても、特徴的な声で気づいたらしい。

 今にもカウンターへ飛び出して話しかけに行きそうな勢いだ。俺は平ざるを持ったまま、冷ややかな視線を送る。


「騒ぐな。誰だろうが客は客だ」

「で、でもっ、本物ですよ!? 私、ファンなんですけど!」

「なら尚更、静かにしてやれ。それがこの店のルールだ。なんでこの店に来ているか考えろ」

「あ……」


 ミオはハッとして、奥の席を見た。

 誰にも見つからないように、縮こまるように座る彼女の背中。それを見て、ミオも何かを察したらしい。 「……はい。すみません」と殊勝に頭を下げ、持ち場へ戻っていった。


 俺は無言で麺を茹で始める。


 提供。

 麺半分とはいえ、野菜の盛りはそれなりにある。

 いのりは「いただきます」と小さく手を合わせ、箸を割った。

 そこまではいつも通りだった。

 だが、今日は箸が進まない。

 一口、二口と麺を啜るが、そこで動きが止まる。

 丼を見つめたまま、何か考え込んでいるようだ。

 溜め息のような呼吸が、マスクの下から漏れているのが分かる。


 俺は眉をひそめた。

 悩みがあるのか、体調が悪いのか、そんなことは俺の知ったことではない。

 だが、目の前で麺が伸びていくのは許容できない。

 この店が出した最高の状態を、客側の事情で劣化させる。それは職人として、そして店として見過ごせない損失だ。


「……おい」


 俺は厨房から声をかけた。

 少し低めのトーン。

 ミオがビクッと反応し、心配そうに俺といのりを交互に見る。

 いのりがハッとして顔を上げた。


「リズム」


 俺は短く告げる。


「止まるな。麺が伸びる」


 ただの事実だ。

 ラーメンは生き物だ。茹で上がった瞬間がピークで、あとは死に向かって劣化していくだけ。

 客が立ち止まれば、その分だけ味は落ちる。

 美味しくないものを食って帰られるのは、店の評判に関わる。


 店内が一瞬、静まり返った。

 ミオが「あわわ……」と口元を押さえている。客に「早く食え」と急かすなど、接客業としては最悪の部類だろう。

 だが。

 いのりの瞳に、光が戻った。


「……っ、はい!」


 彼女は背筋を伸ばし、力強く返事をした。

 そこからは早かった。

 迷いを振り切ったように麺を啜り、野菜を食み、スープを飲む。

 一定のリズム。

 呼吸を整え、目の前の課題(ラーメン)を処理していく。

 その横顔からは、先ほどまでの迷いが消えていた。

 10分も経たずに完食。

 彼女は丼を高台に戻し、自身のハンカチで口元を拭った。


「ごちそうさまでした。……ありがとうございました」


 最後に深々と頭を下げ、彼女は颯爽と店を出ていった。

 入ってきた時とは別人のような、軽い足取りだった。


「……へ?」


 取り残されたミオが、間の抜けた声を上げる。


「え、あ、あれ? 朔先輩、今の……」

「何だ」

「いや、怒ったんですよね? 『早く食え』って」

「事実を言っただけだ。伸びたら不味くなる」

「でも、お客さん、なんかスッキリした顔で『ありがとうございました』って……」


 ミオは理解不能といった顔で首を捻っている。

 俺はダスターでカウンターを拭き上げながら、鼻を鳴らした。


「客がどう受け取るかは客の勝手だ。俺は、一番美味い状態で食わせたいだけだ」

「はぁ……。なんか、この店の人たち、みんな変です……」


 ミオは遠い目をしている。

 変で結構。

 俺たちの仕事は、客の機嫌を取ることじゃない。

 腹を満たし、熱を与え、また戦場(日常)へ送り出すことだ。

 それができているなら、会話など必要ない。


 俺は次のロットの麺を鍋に投入した。


***


〈ラジオ書き起こし〉

【番組名】mille clair 瀬名 いのりの『いのりズム』

【放送日】○月○日


**(リスナーメール):**

「いのりん、こんばんは! 最近、ダンスのキレがさらに増した気がします。何か特別なトレーニングとか始めたんですか?」


**瀬名 いのり:**

「こんばんは〜。あ、やっぱり分かっちゃいます?

 実はね、最近『鬼のトレーナー』さんに見てもらってるんですよ!」


**(中略)**


**瀬名 いのり:**

「その人がもう、すっごい厳しくて!

 私、体力には自信あったんですけど、その人の前だと全然ダメで……。

 この前なんて、ちょっと考え事して動きが止まっただけで、すかさず指摘が入るんです。

 『リズム。止まるな』って。

 もうね、声のトーンがガチなんです。一切の甘えを許さない感じで、『劣化するぞ』って言われてるみたいで……」


**(中略)**


**瀬名 いのり:**

「でも、言われるとハッとするんですよね。

 あ、私、今集中切れてたな、って。

 その人にリズムを正されると、不思議と最後まで駆け抜けられるんです。

 終わった後は汗だくなんですけど、『今日もやりきった……!』って達成感がすごくて。

 体づくりって奥が深いなぁって思います。これからも通って、もっと鍛えてもらおうと思ってます!」


**(曲へ)**


---

**【SNSの反応】**

@mille_fan_A

いのりんの新しいジム、ガチ勢向けっぽいな。「劣化するぞ」って厳しいw


@mille_fan_B

リズム重視のトレーニング? 有酸素系かな。

終わった後汗だくって相当追い込んでるぞこれ


@mille_fan_C

あの細い体で鬼トレーナーについていけるのすげえ……尊敬するわ

俺もジム行こ



***


【あとがき】

第3話をお読みいただきありがとうございます!


人気アイドル・いのりちゃんが登場しました。

彼女にとって、リュクスは単なる食事処ではなく、心身を整えるジム(?)のようです。


「朔の指導、厳しいけど愛がある?」「勘違いが加速してるw」と楽しんでいただけたら、ぜひ作品フォローと、ページ下部の【☆☆☆】から評価をお願いします!

(★をいただけると、作者の執筆リズムも整います!)


明日は第4話、ちょっと危うい雰囲気の人が来店します。

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2026年1月16日 19:03
2026年1月16日 21:03
2026年1月17日 11:47

Noodle Salon: LUXE(リュクス)へようこそ ~ラーメンと真摯に向き合っていたら、Sランク美少女達に溺愛・崇拝されました~ 他力本願寺 @AI_Stroy_mania

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