妖狐キキ ★廃神社で暇を持て余す最強の九尾が織りなす笑えて泣ける極彩色の和風パンク・ミステリー★

うたたね村長

第1話 『夕凪《ゆうなぎ》の約束と塩むすびの味』

 滋賀県、琵琶湖の東岸。

 世界があかね色から群青へと溶けていく、逢魔が時おうまがとき


 鬱蒼うっそうとした杉林に囲まれた、名もなき廃神社の境内。

 そこに、風景から浮き上がるような異質な女性が一人、濡れ縁に腰を下ろしていた。


 ショッキングピンクの髪をルーズにまとめ、大きめのTシャツに短パン。

 手にはスマートフォンではなく、ふもとの駄菓子屋で買ったラムネの瓶。  


「 ・・・ぬるいな 」


 ――人間の社会では『春魅狐はるみこキキ』と名乗る彼女が呟いた。

 瓶の中で、ガラス玉がカランと涼やかな音を立てる。


 一見すれば、現代のどこにでもいる派手好きの若者だ。

 だが、その琥珀色の瞳の奥には、人間の一生など瞬きに過ぎないと感じるほどの、途方もない時間がよどんでいる。

 彼女はこの土地に千年棲み着く、九つの尾を持つ妖狐。今はただ、尻尾を隠し、人の形を借りて、過ぎ去る夏を惜しんでいるに過ぎない。


 ヒグラシの声が、遠い記憶の底から響くように境内を染め上げていく。

 その時だ。


 参道の遥か下、長い石段の先の闇の底から、砂利を踏む音がした。


 妖狐であるキキだからこそ聞こえる僅かな音。


 ザッ、ザッ、ザッ――・・・


 不規則で、頼りなく、それでいて一歩一歩に生の執着を滲ませた人間の足音。

 キキはラムネ瓶を置き、気配を殺した。こんな寂れた場所に、今さら参拝客など来るはずがない。肝試しの若者か? あるいは不法投棄の業者か?


          ▽


          ▽


 だが鳥居をくぐり現れたのは、上質なスーツを着た老人と、彼を支える若い女性だった。


 老人は杖をついている。その歩みは、まるで薄氷の上を行くように慎重だ。見上げる顔には年輪のような深い皺が刻まれ、その瞳は白く濁り、現世の光を映していないように見えた。


「 おじいちゃん、本当にここでいいの? もう誰もいない、ボロボロの神社だよ 」


 孫娘らしき女性が不安げに声をかける。その声音には、朽ちた場所への生理的な忌避感と、祖父へのいたわりが混ざっていた。


「 ・・・ああ、間違いない。匂いがする 」


 老人の声は、乾いた枯れ葉が擦れる音に似ていた。


「 昔と同じだ。湿った土と、湖から吹く風の匂い。ここは何も変わっておらん 」


 追い返そうか、とキキは迷った。

 だが、老人がまとう空気に足を止める。

 

 それは「死」の予感だ。


 今日明日という話ではない。だが、彼の命の灯火ともしびは、ろうの底で揺らめく最後の炎のように、儚く――そして静かに燃え尽きようとしている。


 そんな人間が、なぜ最期にこんな場所へ?


 拝殿の前までたどり着いた二人に対し、キキはあえて縁側に座ったまま声を投げた。


「 神様なんぞおらんで? 賽銭箱も空っぽや 」


「 ヒッ! 」


 唐突な声に、孫娘が短く悲鳴を上げる。無理もない。廃墟同然の神社に、ピンク髪の女がラムネを飲んで座っているのだから・・・


「 だ、誰? ここの管理の人? 」


 孫娘が警戒心を露わにする。

 だが老人は違った。

 ほぼ見えていないはずの瞳を、正確にキキの気配へと向け、杖を持つ手をわななかせた。


「 そのお声・・・やはり、いらっしゃったか 」


「 ・・・あんた、ほとんど目ぇ見えへんのやろ? なんで私がここにおるって分かった? 」


「 分かりますとも! 七十五年間、一日たりとも忘れたことはありませんでしたから 」


 七十五年――


 その数字を聞いた瞬間、キキの記憶のひきだしが、錆びついた音を立てて開いた。


 四分の三世紀も前・・・

 コンビニもアスファルトもなかった頃。

 焦土と化したこの国で、人々が飢えと喪失感に膝を折っていた時代。


 キキは目を細め、老人の皺の奥にある面影を探った。

 そして、一つの映像がフラッシュバックする。


 ――すすと泥にまみれたランニングシャツ。あかぎれだらけの裸足。いつも鼻水を垂らし、空腹のあまり、この拝殿の床下でうずくまっていた痩せっぽちの少年。


「 ・・・まさか! シンちゃん――、か? 」


 その名を口にした途端、老人の表情がくしゃりと崩れた。長い歳月で硬く閉ざされていた感情の堤防が、一気に決壊したようだった。


「 ああ、ああ! 覚えていてくださいましたか! 信一です! 泣き虫の、腹ペコの信一ですとも! 」


「 ・・・変わりすぎてて分からんかったわ。随分と立派な服、着るようになってからに 」


 キキは苦笑し、縁側から降りた。

 ザッ! とスニーカーの音が静寂に響く。

 老人はよろめきながらも、キキの前へと歩み出た。


「 お返ししに来たんです。神様に、借りっぱなしだったものを 」


「 借りもん? 」


 老人は懐から、古びたハンカチに包まれた「何か」を取り出した。

 震える指先が、ゆっくりと布を開く。


 夕映えを受けて、キラリと光るものがあった。

 一粒のビー玉だ。

 表面は傷だらけで白く曇っているが、その芯にある深い青色は、琵琶湖の湖底のように澄んでいる。


 あの日――

 戦争で父親を亡くし、その後母親も病に伏せり、食べるものもなく絶望していた少年。

 あまりに泣き声がうるさいから、キキは人間に化け彼に近づいたのだ。


「 おきつねのお姉さん。あなたはあの日、私にこれを下さいました 」

「 『これは魔法の宝石や。これを持ってたら、いつか絶対ええことがある』と・・・ 」


「 ・・・そんな出まかせ、よう覚えとるなぁ 」


 キキはポリポリと頭をかいた。ただの気まぐれだった。盗んできたラムネ瓶を割って、中のガラス玉を放ってやっただけだ。


「 ええ、魔法でした。この冷たい光を握りしめるだけで、私は夜を越せました。ですが、それだけではありません 」


 老人は深く息を吸い込み、声を震わせた。


「 お姉さんは、泣き止まない私を見て、どこからともなく『握り飯』を持ってきてくださいましたね。それも一つや二つではない。両手でも抱えきれないほどの、山のような塩むすびを 」


 そうだ、思い出した。

 キキはあの日、里中の家々から少しずつ米を「拝借」し、不格好な握り飯を大量に作ったのだ。てのひらを真っ赤にして熱々の米を握った。


『 ほれ食え! 腹いっぱい食え! 涙なんか塩気の代わりにしとけ! 死ぬ気で食うたら、生きる気も湧いてくるわ! 』


 そう言って、少年の目の前に積み上げたのだ。


「 あの時の塩の味・・・米の熱さ、あれほど美味いものを、私はその後の人生で一度たりとも食べたことがありません 」


 老人の濁った瞳から、とめどなく涙が溢れる。


「 あの山のようなおにぎりが、私の血となり肉となりました。そしてビー玉が心を救い、おにぎりが命を繋いでくれたのです! お姉さんが、私を生かしてくれたのです 」


 老人は、ビー玉をキキに差し出した。


「 お返しします。私は十分に生きました。お陰様で家族を持ち、孫を抱き、ひもじい思いなど一度もさせずに暮らせました。これはその証です 」


 七十五年分の、人間の手垢と、汗と、祈りが染み込んだガラス玉。

 そして、かつてキキが与えた「食」によって紡がれた、一人の人間の長い歴史。


 キキは、老人の差し出した手を見つめた。

 枯れ木のようにガサガサとした皮膚。冷たく、脆い骨の感触。


 対するキキの手は、白く滑らかで、瑞々しい若さに満ちている。


 残酷なまでのコントラスト――

 けれど老人の手には、確かに生き抜いた者だけが持つ、確かな「熱」があった。


「 ・・・アホか。それはあんたにあげたもんや、いらんわ 」


 キキは老人の指をそっと包み込み、ビー玉を再び握らせた。


「 それはあんたの勲章みたいなもんや。私が持ってるより、あんたが持ってる方がずっと綺麗や 」


「 しかし、私はもう―― 」


「 持っていき。これから先、もっと遠い場所へ行かなあかんのやろ? 三途の川を渡る時、そのビー玉が駄賃代わりになるかもしれん――、それに、向こうに行ったら自慢したらええ 」


 キキは悪戯っぽく、けれど優しく笑った。


「 『昔、絶世の美女と一緒に、腹がはち切れるほど握り飯を食うたことがあるんや』ってな 」


 老人は一瞬きょとんとし、それから、しわくちゃな顔いっぱいに笑顔を咲かせた。

 それは、七十五年前の少年が見せた笑顔と同じものだった。


「 ふふ・・・はい! はい、そうします! きっと自慢しますとも! 」


 老人は深く、深く頭を下げた。

 隣で見ていた孫娘は言葉を失っていたが、祖父の穏やかな表情を見て、何かを悟ったように静かに頭を下げた。


「 お姉さんは・・・歳を取らないんですね 」


 帰り際、老人は背を向けたまま呟いた。


「 ずっとそのままで、美しく、強く、優しく・・・どうかこの里を、これからの子供たちを見守っていてください。私のように、ひもじい思いをする子がいないように 」


「 ・・・ああ、約束したる 」


 老人は満足そうに頷き、孫娘に支えられて石段を降りていった。


          ▽


          ▽


 遥か遠くで、車のドアが閉まる音。

 エンジン音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。


 後には、湿った風の音と、ヒグラシの声だけが残された。


 キキは再び縁側に腰を下ろした。

 空になったラムネ瓶を、一番星が光り始めた夜空にかざす。

 瓶の底に残ったわずかな液体が、星の光を屈折させて青く滲む。


 あの日、少年が夢中で頬張ったおにぎり。米粒を頬につけながら、「うまい、うまい」と泣きながら食べた姿。

 あの時、キキが与えたのはただのカロリーだったかもしれない。けれど、それは確かに一人の人間の、七十五年という時間を支えるいしずえになったのだ。


「 悪くない投資やったわ 」


 たった数合の米と、一個のビー玉で、人間はこんなにも立派に生きられる。

 不意に、キキのお腹が――グゥと可愛らしい音を立てた。

 昔話をしていたら、こちらの腹まで空いてきたらしい。生きている証拠だ。


「 さてと、しんみりしすぎたな 」


 キキは大きく伸びをして、パンと両頬を叩いた。


「 お腹空いたわ! 今日は私も、コンビニおにぎり『全種類』買うたろ! ツナマヨも昆布も明太子も! 悪魔のおにぎりも、チャーハンおにぎりも、もちろん塩むすびも、全部食うてやる! 」


 誰もいない境内に、流暢な関西弁が響く。

 キキは立ち上がり、軽やかな足取りで社務所の方へと歩き出した。


 その背中で、一本の狐の尾がゆらりと揺れる。

 それはまるで、去りゆく夏と、見事に生き抜いた命への「あっぱれ」という拍手のようだった。


 春魅狐はるみこキキ――

 

 彼女の長く騒がしい物語は、まだ始まったばかりだ――


 ~~第一話・おしまい~~


――――――――――――――――――――

お読みいただきありがとうございます!

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