第2話 もう用済みよ、ゴミ箱さん

 翌朝、体内に残る魔毒の重苦しさを引きずりながら、僕は家を出た。


 早朝の冷気が心地よい。けれど、門を出て数歩歩いたところで、僕は足を止めた。


 石造りの塀に背を預け、退屈そうに地面を蹴っている少女がいたからだ。


 朝陽を浴びてキラキラと輝く、プラチナブロンドの髪。凛とした意志を宿す菫色すみれいろの瞳。その身に纏うのは、名門スプレンディアス家の紋章が刻まれた、気品溢れる騎士装束だ。


「・・・・・・遅いじゃない、ミト。待ちくたびれたわよ」


 幼馴染おさななじみのエマ・シアン・スプレンディアスが、僕を見て微笑んだ。


 スプレンディアス家は名門騎士一族だ。代々、国のかなめとなる優れた騎士を輩出している。普通なら、僕らのような不浄の家など視界に入れることすら避けるはずなのに、現当主である彼女の父親は、なぜか僕たちを対等に扱ってくれる。

 そして、その娘であるエマはというと――


「エマ。どうしてここに?今日は演習があるんじゃなかったのか」

「そんなの、さっさと終わらせてきたわよ。今日も仕事なんでしょ?途中まで一緒に行きましょ。ほら、歩いて」


 彼女は当然のように僕の隣に並ぼうとする。僕は慌てて一歩分、距離を取った。


「ダメだよ、エマ。僕は今、昨日の毒がまだ抜けきってないんだ。君みたいな高貴な騎士が、僕みたいなのと一緒に歩いてたら、変な噂が立つ」

「噂?そんなの、私の剣で黙らせてやるわよ。それとも何?未来の旦那様がこんなに辛そうな顔をしてるのに、放っておけって言うの?」

「・・・・・・旦那様だなんて、まだそんなこと言ってるのか」


 幼い頃から、彼女は事あるごとに「私はミトと結婚する」と公言してはばからない。誰しもを魅了する才色兼備の騎士。彼女に言い寄る貴族やエリート騎士、高位魔道士は数知れないというのに、彼女の視線はずっと、この「ゴミ箱」に向けられている。


 エマは僕の拒絶を無視して、ぐいっと距離を詰めてきた。


「顔を見せて。・・・・・・やっぱり、昨日またリリアニア様に呼ばれたんでしょう?あのアマ、また無茶な量の魔毒を押し付けたわね」


 エマの瞳に、激しい怒りと、それ以上の慈愛が宿る。彼女は僕の手を強引に掴もうとした。


「待って、エマ。危ないよ」

「・・・・・・うるさい。いいから、こっちに来なさい」


 彼女は僕の腕を引き、街路樹の陰へと僕を連れ込んだ。

 そして、躊躇うことなく僕の体にその細い腕を回し、ぎゅっと抱きしめてきた。


「エマ・・・・・・っ!」

「いいの。私なら少しくらい平気よ。それより、あなたのこれが・・・・・・一番痛そうなんだもの」


 彼女の体温が、服越しに伝わってくる。


 不思議だった。宮殿で聖女たちに強制的に毒を流し込まれるときは、あんなに汚く不浄なものに感じるのに。エマに抱きしめられると、僕の中の毒が、まるで飼い主を見つけた犬のように大人しくなる。


 いや、それだけじゃない。


 僕は気づいていた。エマもまた、一流の騎士として、日々の鍛錬や魔剣の使用で、その体内に微量の魔毒を溜めていることに。


 それは聖女のような醜悪なものではないように感じられた。彼女が努力し、誰かを守ろうともがいた証としての、気高い毒。同じ魔毒のはずなのに、なぜか僕にはそう思えた。


「・・・・・・エマ、少しだけ、じっとしていて」


 僕は自分から、彼女を抱き返した。


 普段なら絶対にしない。けれど、今の僕には、彼女の体の中に澱んでいる僅かな魔毒が、耐え難く愛おしいものに感じられた。

 他の誰の毒でもない。彼女の毒を、僕が受け止めたい。


「あ・・・・・・」


 エマの口から、小さな吐息が漏れる。


 僕が意図的に吸引を始めたからだ。彼女の体内にある、神経を昂ぶらせ、筋肉を強張らせていた微細な魔毒が、僕の体へと流れ込んでくる。


 リリアニアの毒を喰らうときは、汚物を流し込まれる感覚だが、エマの毒を喰らうのは、まるで彼女の心の一部を分け与えてもらうような、甘やかで切ない痛みだった。


 数秒の抱擁。


 僕の体内の黒い紋様が一瞬だけ赤く明滅し、エマの顔から疲れの色が消えていく。


「・・・・・・ふう。やっぱり、ミトにされると、回復薬ポーションを飲むよりずっとスッキリするわね」


 エマは僕の胸に顔を埋めたまま、呟いた。


「バカだよ、エマは。僕に触れたら、君の評価まで下がるのに」

「評価なんて、そんな安っぽいもの、ミトの指先ひとつ分にも満たないわ」


 彼女は顔を上げ、僕の頬に手を添えた。その瞳には、穏やかな慈しみの情が宿っていた。


 この美しい騎士だけが、僕を「ゴミ箱」ではなく、一人の「人間」として見てくれている。


「・・・・・・さあ、行きましょう。宮殿まで送ってあげる。・・・・・・いつか、必ずあなたをあそこから連れ出してあげるから。それまでは、私があなたを守る盾に、そして剣になるわ」


 エマは僕の手をしっかりと握り、歩き出した。


 繋いだ手から伝わってくる確かな温もり。


 体内には依然として、世界中の不浄が渦巻いている。けれど、僕の隣を歩く銀光の少女の存在が、僕を辛うじて、人間らしさに繋ぎ止めていた。


 朝陽に照らされた二人の影が、石畳に長く伸びる。


 一方は澱みに満ちた影、もう一方は輝きに満ちた影。

 けれどその境界は、今だけは溶け合うように重なり合っていた。


♢ ♢ ♢

 

 宮殿の重厚な正門をくぐったとき、いつになく肌を刺すような寒気を感じた。


 エマに手を引かれ、共に歩くこの道は、いつもなら彼女の温もりのおかげで少しだけ輝いて見えるはずだった。


 けれど今日、宮殿前の広間に待ち構えていた聖女・リリアニアの表情を見た瞬間、全身を嫌な予感と怖気が駆け巡った。  


 聖女様の端正な顔が、酷薄な笑みを浮かべる。


 そして、その綺麗な口元から告げられる氷のように言葉が、たった今まで存在していた、エマとの楽しく暖かな時間を、無惨に打ち砕く。


「――お前はもう、用済みよ。ゴミ箱さん」


 リリアニアは、まるで道端に落ちた石ころでも見るような、冷淡な、そして心の底から清々せいせいしたような視線をぶつけてくる。


 僕とエマは呆然と立ち尽くす。


「どういう・・・・・・意味ですか」

「言葉通りの意味よ。つい先日、我が国の魔導研究所が新しい魔法物質の開発に成功したの。その名は『魔吸石まきゅうせき』。お前のように不潔で、不安定で、いつ壊れるかわからない人間もどきに頼らなくても、より効率よく、より確実に魔毒を吸収し、廃棄処分することが可能になったのよ」


 手にした水晶を見せびらかすように掲げる聖女リリアニア。淀みのない透明な輝きを放つそれは、僕が物心ついてから十年以来、日夜背負ってきた役割を、ただの物質として代替することを証明していた。


「お前はもう、ただの不浄な塊でしかない。この神聖なる王国に、汚れ物は必要ないわ」

「待ちなさい、リリアニア様!」


 エマが僕の前に踏み出し、腰の剣に手をかけた。その瞳には怒りの炎が燃え盛っている。


「ミトがどれほど、あなたの、そしてこの国のために、苦労してきたと思っているの!その生まれゆえに、職業選択の自由も許されず、幼き頃からひたすら魔毒を摂取してきた・・・・・・それを、新しい道具ができたからとポイ捨てするなんて・・・・・・あなたに人の情というものは無いの!?」


「あら、スプレンディアス家のご令嬢。そんな穢らわしい男をかばって、家名に傷をつけるつもり? 衛兵、捕らえなさい。その『ゴミ箱』を処分場へ運ぶのよ」


 リリアニアの合図と共に、隠れていた十数名の近衛騎士が一斉に飛び出してきた。


「やめろ! エマ、抜くな!」


 僕は叫んだ。ここで彼女が剣を抜けば、反逆罪になる。スプレンディアス家まで、つぶされてしまう。

 

 騎士たちは僕を力任せに押さえつけ、鉄格子のついた頑丈な馬車へと引きずっていく。


「離せ離せ!ミトを・・・・・・ミトを返しなさい!」


 エマは取り押さえられながらも、僕の方へと必死に手を伸ばした。彼女の誇り高い騎士装束が泥に汚れ、銀色の髪が乱れる。数人の大男に押さえつけられながらも、彼女は絶叫した。その声を聞くと、胸をナイフでえぐられるように痛かった。


「エマ! 聞くんだ!」


 僕は馬車の小窓から、必死に彼女に呼びかけた。


「父さん、母さん、そして妹のユナ・・・・・・僕の家族を、よろしく頼む!君にしか、頼めないんだ!」

「嫌!そんなの・・・・・・ミトがいなきゃ、ダメなのよ!ミト――っ!!」


 馬車が動き出す。背後からは、エマの涙の混じった叫び声と、それをかき消すように響きわたる、リリアニアの高らかな嘲笑だけがいいつまでも聞こえ続けた。

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