魔毒喰らいのミト~「ゴミ箱」と呼ばれた魔毒処理師、実は最強の知識とスキルを溜め込んでいました~

いおにあ

第1話 毒を食らう器


 胃の奥から、どろりとした嫌悪感がせり上がってくる。それは吐き気というよりも、己の生存本能が「これを中に入れてはならない」と絶叫しているような、根源的な拒絶反応だった。


「・・・・・・っ、ふぅ・・・・・・っ」


 僕は歯を食いしばり、目の前に差し出された白皙はくせきの手を握る。


 聖女リリアニア。

 この国の希望であり、慈愛の象徴。


 彼女の体内に溜まった「魔毒」と言う名の猛毒が、彼女の掌から僕の腕を伝い、全身へと流れ込んでくる。


 熱い。そして、凍えるほどに冷たい。


 錆びた鉄を飲まされているような、あるいは腐った泥を血管に流し込まれているような、形容しがたい不快。視界がチカチカと火花を散らし、内臓が雑巾のように絞られる。


「・・・・・・ふう。やはり、あなたに流すとすっきりするわね。ゴミ箱さん」

 リリアニアの、鈴を転がすような美しい声が頭上に降ってきた。


 彼女は、先ほどまでの苦痛に満ちた表情が嘘のように、晴れやかで、残酷なほど清らかな笑みを浮かべている。


 僕が彼女の“魔毒”をすべて引き受けたからだ。彼女の体内は今、一滴の穢れもない、純白の聖域へと戻った。


「感謝なさい。私のとうとい魔毒を、その卑しい体で受け止められる光栄を」


 彼女は僕の手を、まるで汚物から逃れるように振り払った。

 僕は宮殿の冷たい石床に膝をつき、激しい動悸に耐えながら、荒い息を吐き出す。皮膚の下を、黒い血管のような紋様が這い回り、ゆっくりと沈殿していく。

 周囲の近衛騎士たちや、控えていた魔導士たちの視線が僕を刺す。

 そこにあるのは、感謝でも同情でもない。ただけがらわしいものを見る、生理的な嫌悪だった。


「さあ、さっさと立ちなさい。お前がいつまでもここにいると、この神聖な部屋が汚れてしまう」


 うながす声に顔を上げると、そこには豪華な装束に身を包んだ一流の剣士や魔導士たちが列をなしていた。



 魔毒。それは魔法を使用する度に発生する、燃えカスのごとき精神的・肉体的な毒素だ。


 その、魔法を使うことの代償として生じる「魔毒」を、リリアニアを筆頭とした聖女たちが、浄化する。いや、本当は浄化ではない。ただ一時的に、魔毒を体内に蓄積しているだけだ。そして、その魔毒の行き先が最終的にどうなるかというと――僕に。それがこのアルヴェニア王国の、美しき繁栄の裏側だ。


 誰もが、僕を人間だとは思っていない。

 蛇口をひねれば出てくる水を受け止める、排水溝。あるいは、溜まったちりを放り込む、ただのゴミ箱。

 僕、ミト・ノルディアスは、この黄金のユートピアを維持するための、生きた廃棄物処理場だった。


 宮殿を出る頃には、日はすっかり落ち、空には銀の月が浮かんでいた。

 足取りは重い。一歩踏み出すたびに、体内に溜まった魔力の残滓ざんしが、鉛のように五臓六腑をかき乱す。


 宮殿の門をくぐり、大通りへ出ると、そこにはいつもの夢のような景色が広がっている。

 魔導灯が街を昼間のように照らし、人々は笑顔で談笑している。


 病は魔法で癒やされ、飢えは魔法で作り出された食糧で満たされる。荒事があれば一流の騎士たちが一瞬で鎮圧し、気候さえも魔導士たちが、いつも快適な状況に保っている。

 

 王都エテルナは、今日も人々の幸福で満たされている。


 王都だけではない。このアヴェルナ王国には、苦痛がない。悩みがない。


 ・・・・・・なぜなら、それらはすべて、一つの家系へと押し付けられているからだ。


 ノルディアス家。


 代々、この国の「魔毒」を処理することを生業としてきた、呪われた一族。


 本来、魔毒を一定以上体内に取り込めば、並の人間は数秒で狂い死ぬか、肉体が崩壊して怪物に変じたりする。だが、僕たちの血筋だけは、それを喰らい、処理することができた。

 

 処理といっても、瞬時に浄化するわけじゃない。ただ、自分の中に溜め込み、長い時間をかけて肉体という檻の中で、少しずつ腐らせていくだけだ。


 街の人々は、僕を避けるように歩く。


 僕が通るだけで、空気が淀むのを感じるのだろう。


 「不浄の申し子」「歩くゴミ捨て場」「人間便所」。


 ひそひそと囁かれ、ときには露骨に向けられる悪口雑言には、もう聞き飽きた。


 彼らが享受しているその平穏が、僕の体内の激痛によって支えられていることなど、彼らは知りもしないし、知る必要もない。

 

 トボトボと歩き、街の外れにある、古びた、それでいて堅牢な屋敷へと辿り着く。


 宮殿の冷気から逃れるようにして、僕は我が家――ノルディアス家の門をくぐった。


 全身を巡る魔毒は、時間が経つにつれて重さを増していく。皮膚の下で蠢く黒いおりが、内臓をじりじりと焼くような不快感を伴って沈殿していく。吐き出す息さえも毒気を帯びているようで、僕は玄関の前で一度深く、肺の中を入れ替えるように呼吸を整えた。


「――ただいま」


 重い扉を開けると、そこには宮殿のきらびやかで冷酷な空気とは対照的な、柔らかい橙色の光が溢れていた。


「あ、お兄ちゃん! おかえりなさい!」


 真っ先に駆け寄ってきたのは、妹のユナだった。まだ幼さの残る顔を輝かせ、僕の腰のあたりに抱きつこうとして――寸前で止まる。僕の体から漂う、独特の焦げ付いたような魔毒の臭いに気づいたのだろう。


 ノルディアス家の男だけに受け継がれる「魔毒を喰らう」力。女性であるユナにはその耐性がない。彼女が僕の毒に直接触れれば、たちまち高熱に浮かされることになる。


「・・・・・・ごめんね、ユナ。今はまだ、ちょっと汚れてるんだ」

「ううん、いいの。お兄ちゃんが今日もお仕事頑張った証拠だもん。すぐにご飯にするね!」


 ユナは健気に笑って、キッチンへと駆けていった。ノルディアス家の女性は、魔毒を処理できないがゆえに、一族の中でも「役立たず」として不遇な扱いを受ける歴史があった。けれど、この家の中にそんな冷たい視線はない。

 居間へ向かうと、食卓には母さんが用意した質素だが温かい料理が並んでいた。


 そして、上座には父さんが座っている。


「・・・・・・帰ったか、ミト」


 父さんは僕の顔を見るなり、痛ましそうに目を伏せた。


 父さんはノルディアス家の現当主でありながら、生まれつき魔毒を一切受け付けないという特異体質だった。本来、一族の男子にとっては致命的な欠陥だ。そのせいで父さんは宮殿での仕事を免ぜられ、今は街の役場の小さな書記官として働いている。その稼ぎは、聖女や英雄たちの毒を一身に引き受ける僕の「給付金」に比べれば、微々たるものだった。


「すまない、ミト。私が・・・・・・私の体がもっと丈夫であれば、お前にこんな無理をさせずに済んだものを」


 父さんは、震える手で茶杯を握りしめた。その目には、息子を道具としてしか見ていない宮殿の連中とは正反対の、純粋な愛と罪悪感が滲んでいる。

 

 僕がこの家の大黒柱であることは事実だ。僕が毒を喰らえば喰らうほど、ノルディアス家に金が落ち、家族は飢えずに済む。けれど、父さんはそれを少しも喜んでいなかった。


「いいんだよ、父さん。これは僕にしかできないことだから。それに、こうして帰ってくる場所があるだけで、僕は・・・・・・」

「ミト、あまり無理を言わないで。顔色が悪いわよ」


 母さんが心配そうに僕の肩に手を置こうとして、僕が少し身を引くのを見て、悲しそうに微笑んだ。


「・・・・・・洗面所で少し、毒を落ち着かせてくるよ。それから一緒に食べよう」

 

 僕たち家族の仲は良い。皮肉なことに、世間から「ゴミ箱」と忌み嫌われ、不浄の烙印を押されているこの家の中だけが、この国で最も清らかな場所のように僕には思えた。

 

 食事中、ユナが今日あった出来事を一生懸命に話してくれる。街で見た綺麗な花のことや、近所のおばさんに褒められたこと。その何気ない会話が、僕の体内で暴れる魔毒を、少しずつ落ち着かせてくれた。

 たとえ明日、また聖女さまに「ゴミ箱」と罵られようとも。魔毒を喰らわされ続けようとも。この温もりを守るためなら、僕はいくらでも泥をすすれる。そう思えた。

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