第2話

 「悪いなレイ。こいつは、俺の帳簿には載ってねえ代物だ」


煤けたゴーグルを額に上げた情報屋の老人は、ピンセットでつまんだ空き瓶を忌々しげに突き返した。


周囲には、違法に横流しされた魔石や、出所不明の機械部品が山積みになっている。


この界隈のゴミの動きをすべて把握しているはずの彼が、苦い顔で首を横に振った。


「見たこともねえ細工だ。スラムの錬金術師が作った安物じゃねえ。かと言って、上層階の公社が認可するような清潔な薬品でもねえ。……ドブネズミに無理やり絹の服を着せたような不気味さだ。悪いことは言わねえ、そいつはドブにでも捨てちまえ。じゃなきゃ、お前の肺が腐る前に、その運命が腐っちまうぞ」


「忠告だけじゃ腹は膨らまねえんだ。まあいい、手間をかけたな」


俺が瓶をハンカチに包み、席を立とうとした時だ。老人が声を潜めて俺の袖を引いた。


「おい、レイ。それと関係があるかは知らねえが、最近下の様子がおかしい」


「下の連中が大人しかったことなんてあるか?」


「そうじゃねえ。……静かすぎるんだ。路地裏を塒にしてた浮浪者や、コソ泥どもが、ごっそり姿を消してやがる。代わりに、今まで見たこともねえような、妙に肥え太った野良の魔物が、排水溝の奥から這い出してきてるって噂だ。まるで、誰かが餌でも撒いて、街の掃除でもしてるみたいによ」


老人の濁った瞳が、本気で怯えているのを見て、俺は背筋を冷たいものが通り過ぎるのを感じた。


「掃除か。俺の同業者が増えるのは御免だ。礼を言うよ、爺さん」


俺は数枚の硬貨をカウンターに置き、事務所への帰路についた。



 事務所の古びたラジオが、煤の混じったノイズを吐き出している。


俺は、ニナが買ってきた数日前の新聞「摩天楼経済報」を広げた。


一面を飾っているのは、自信に満ちた笑みを浮かべる一人の男の写真だ。


『下層の煤を黄金に変える男―ハワード・フィッシャー氏。

没落貴族の邸宅「鴉の巣」を買収し、新たな魔石精製拠点の設立を宣言』


記事は、彼の新進気鋭の実業家としての手腕をこれでもかと称賛していた。


スラムに近い不動産を買い叩き、上層階の投資家へ転売する。


その強引なやり口は、一部では「死肉を啜るハゲタカ」とも揶揄されているが、今のこの街では「成功者」の同義語だ。


「煤を黄金に、ね。吐き気がする見出しだ」


俺が新聞を放り投げ、ソファで目を閉じたその時だった。ニナが、顔を向けずにボソリと呟いた。


「レイ、その『黄金』が来たみたい。重い皮靴と、安物の成功者が好む、きつい香水の匂い」


直後、安物のドアがノックの音もなく開け放たれた。



 入ってきたのは、新聞の写真よりもずっと顔色の悪い男だった。


仕立ての良いコートは煤で薄汚れ、その瞳は成功者の輝きどころか、底なしの恐怖に泳いでいる。


「君がレイモンドか。スラムの掃除屋にしては、随分と暇そうにしているな」


男は部屋の隅々を、汚物でも見るような目で一瞥した。


「生憎だが、俺のスケジュールは『何もしない』という予定で埋まってるんだ。で、その高価な靴を煤まみれにしてまで、俺に何の用だ?」


ハワードは嫌悪感を隠そうともせず、白粉のようなハンカチで鼻を抑えながら切り出した。


「買ったばかりの屋敷から変な声がする。夜な夜な、壁の向こうから、誰かが啜り泣くような、あるいは何かを貪り食うような音が聞こえるんだ」


「幽霊退治なら、上層階の聖職者にでも頼め」


「あいつらも、警察も役に立たん。それに、あの音は霊なんて高尚なものじゃない。もっと不潔で、生物的な音だ。私の部下も一人、あの屋敷で行方不明になっている」


行方不明。情報屋の爺さんが言っていた「消えた浮浪者」という言葉が、不意に脳裏をよぎった。


「あんた、その屋敷、前の持ち主はどんな死に方をした?」


「流行り病だと聞いているが。没落した名家だ、最期は孤独死に近い。それが何か関係あるのかね?」


「いや。幽霊にしては、随分と食欲旺盛な奴が住み着いているらしいと思ってな」


俺は椅子を回して、壁にかけてあったホルスターを手に取った。


ハワードの瞳の奥に張り付いた本物の恐怖。


そして、爺さんが怯えていた「街の掃除」。


この依頼、ただの成金のヒステリーじゃ済まない匂いがプンプンしやがる。


「いいだろう、その依頼。……だが、俺の清掃料は高いぞ。あんたがその屋敷を買い叩いた時の差額、その半分を前金でいただく」


ハワードの顔が一瞬引き攣ったが、彼はすぐに震える手で小切手帳を取り出した。金に糸目をつけないその態度が、逆に事態の深刻さを物語っている。


俺はリボルバーのシリンダーを弾き、魔石弾の充填を確認した。


夕闇が降り始め、窓の外では七色の煤が不吉なダンスを踊り始めていた。

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煤降る街の白粉 修羅 @rame122

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