第5話 心のリハビリ②
あの後、「羅々プラン」から何故か「豪屋プラン」へ話が移行していた。
何故だ!
樹々兄と全面戦争になるというのに!
抗議の声を上げた私を、羅々は一言で切り捨てた。
「樹々に焼きもちを焼かせたいんだろ?
なら、あいつが惚れてる豪屋をターゲットにすりゃ一番わかりやすい」
「わかりやすいって……私の命が危ういんですけど!」
「胡桃に焼くのか、豪屋に焼くのか。……どっちにしても、あいつは自分の気持ちを突きつけられる」
羅々の目が、いつになく真剣だった。
「お前もこのままじゃ駄目だと思ったから賭けに出るんだろ。なら腹括れ」
……言い返せなかった。
樹々兄が誰に焼きもちを焼くのか。
それが、彼の本当の気持ちを探る手がかりになるかもしれない。
そして私も、このままずるずる「可愛い妹」ポジションに甘んじてはいけない。
変わりたい。変えたい。
その一心で。
「……分かった。腹括る」
静かに頷くと、羅々は満足そうに短く返し、ニヤリと笑った。
◆
それから数日後。
羅々と愛島さんと最終確認を済ませ、私はついに行動に移した。
まずはLINEで、豪屋さんに“デート”のお誘い。
スマホを握る手に、じっとり汗が滲む。
大阪で一緒に行動したことはある。
でもあれは、樹々兄に会うための手段だった。
改めて“デート”として誘うとなると、ハードルが一気に跳ね上がる。
(頑張れ私。今回は作戦。作戦だから。平常心、平常心……!)
『今週末、映画を一緒に観に行きませんか? 作戦のデートプランです!』
色気ゼロ。業務連絡。
……だが、これが私の限界だ。
勢いで送信ボタンを押した瞬間、胸がどくんと鳴った。
送信後、落ち着かない時間は続かなかった。
すぐに返信が来たからだ。
『ああ。週末は空いている。待ち合わせはどこにする?』
「……よしっ!」
思わず小さくガッツポーズを作る。
「互いに業務連絡みたいな誘い文句でも、気にしない! これは作戦!」
その勢いで羅々たちに報告すると、すぐ返信が返ってきた。
『まずはデートらしい格好の準備だな。雰囲気を忘れるなよ』
『デート服……ハードル高い。樹々兄に気づかれないように用意しなきゃ』
『樹々には適当に誤魔化せ。今週末は忙しいはずだし』
そうだ。
樹々兄は今週末、地元の占いイベントに参加する予定だ。
いつもなら迷うことなく押しかけるのに――今回は我慢。
(我慢よ、私。頑張れ私……!)
◆
迎えた当日。
私は全力で“おしゃれ”を駆使し、映画館へ向かった。
少し早く着いたが、待つ時間も作戦の一環だと思えば悪くない。
約束の時間ぴったりに現れた豪屋さんは、普段通りのカジュアルな服装だった。
「待たせたか?」
「十分くらいなので許容範囲です」
「正直なやつだな」
豪屋さんは苦笑して、歩きながら言った。
「ああ……こういう時は『今来たところです』って答えなきゃでした?」
「いや、気遣いは無用だ」
そのまま、ぽん、と頭を軽く撫でられる。
……ちょっと待って。幼児扱いはやめてほしい。
心の奥が、妙にざわついた。
◆
一方その頃。
「あら? 胡桃は一緒じゃないの?」
樹々が占いイベントへ向かうため玄関を開けた瞬間、
お隣の胡桃の母親が声をかけてきた。
「胡桃は今日は来てないわよ?」
「あら、そうなの? 珍しくお洒落な格好をして出て行ったから、
また樹々君に迷惑かけてるんじゃないかと心配したんだけれど」
「……お洒落?」
樹々の眉間に、わずかに皺が寄る。
占いイベントの朝に胡桃が押しかけてくるのは、半ば日常だった。
それが今日は朝から一度も姿を見せない。
友達と遊ぶことは珍しくない――はずだ。
だが、樹々を後回しにする胡桃など、樹々は見たことがない。
(誰と出かけたの……?)
胸がざわつく。
先日の羅々とのやり取りが脳裏をよぎる。
『……お前は胡桃のこと、どう思ってる?』
『どうって……可愛い妹みたいな存在よ』
『本気で妹扱いしてんのか? あいつの気持ち知ってんだろ。占い師してて知らねーわけねーよな?』
『……』
『いい加減ハッキリさせねぇと、あいつ婚期逃すぞ?』
胡桃の視線や態度の意味は理解している。
真っ直ぐ向けられた“恋愛感情”だということも。
けれど“受け入れられない”自分も確かにいる。
自分の恋愛対象は“男性”で、豪屋に惚れているのも事実だ。
樹々は無意識に携帯を手に取り、胡桃にメッセージを送ろうとして――指が止まった。
(何て送るつもり? ズルいわよね……)
受け入れられないなら、いずれは離れる。
それが現実だ。
「樹々、イベントの時間に遅れるぞ?」
背後から羅々の声。
樹々はハッとして携帯をポケットにしまい、タクシーへ乗り込んだ。
羅々は一人、にやりと笑う。
(さあ……どう答えを出す? 樹々)
◆
映画館。
大画面に映る迫力のアクション。
隣の豪屋さんは真剣に見入っている。
私も画面を追っている――つもりだったが、心の奥はずっとざわついていた。
(樹々兄……イベント、頑張ってるかな……)
今日は樹々兄に内緒で豪屋さんと映画に来ている。
いつも樹々兄を優先していた分、胸に小さな罪悪感が刺さる。
でもこれは作戦。
樹々兄に“私の存在”を再認識させるための……。
ふと、肩に温もりを感じた。
「……およ?」
気づけば豪屋さんが眠っていて、頭が私の肩に傾いていた。
鼓動が一気に跳ね上がり、息を呑む。
(ちょっと……近い! 重いし、筋肉マン!)
起きてくれないかと顔を覗くが、豪屋さんは熟睡している。
……疲れているのだろう。
昨夜遅くまでバイトだったのかもしれない。
起こすのは忍びない。私はジュースを啜り、なるべく平静を装って画面へ視線を戻した。
エンドロール。
客が立ち上がり、豪屋さんもようやく目を覚ます。
「……悪かった」
「別に気にしてないですよ。お疲れなんですよね」
「助かった」
言葉は平静、心臓は暴走。
密着した時間を思い出し、顔が熱くなる。肩も、ずしりと重い(物理)。
夕暮れの街に出ると、思ったより冷たい風が吹いた。
少し歩いたところで、豪屋さんがぽつりと言う。
「お前は上手いな」
「え? 何が?」
「人付き合いが。俺は人と距離を詰めるのが下手だからな」
意外な言葉に、戸惑う。
「あー……豪屋さん、強面だから……」
思わず正直に言ってしまい、豪屋さんが笑った。
「そういうところだ。普通は言わねぇ」
「デリカシーないって言われました? 今夜枕を濡らす案件ですかね?」
「そういうのも含めて、面白くて助かる」
胸がきゅっと鳴った。
樹々兄以外から「面白い」と言われるのが、妙に新鮮で――怖い。
「だから今回のことも協力した。難しいよな、気持ちを伝えるのは」
その声には、深い理解が宿っていた。
(もしかして……)
樹々兄への想いを、察しているのだろうか。
――その時。
「胡桃?」
振り向いた瞬間、全身が固まった。
そこに立っていたのは――樹々兄だった。
驚きで硬直した彼の目が、私と豪屋さんを交互に見つめる。
困惑が、痛いほど滲む。
「イベント帰り? お疲れ様」
平静を装ったつもりが、声が少し上ずった。
樹々兄は黙ったまま、私たちを見つめ続け――低く、確かな声で言った。
「いつからなの?」
「え?」
「胡桃と、付き合い始めたの?」
豪屋さんは一瞬戸惑い、次の瞬間、表情を引き締めた。
「俺がコイツを映画に誘った。……俺からアプローチをかけてる最中だ」
「っ!」
息が止まる。
豪屋さんは、私を庇うために嘘をついてくれた。
その言葉に、樹々兄の目が悲しげに細まった。
「そう……分かったわ」
それだけ呟き、樹々兄は踵を返して去っていく。
残された私たちは、呆然とその背中を見送るしかなかった。
「……やっちまったかな」
豪屋さんがぽつりと零す。
私は唇を噛みしめたまま、返事ができなかった。
胸の奥で、嫌な予感だけが膨らんでいった。
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