第5話 心のリハビリ①

大阪から戻ってすぐ、私は風邪をひいて寝込んでしまっていた。

そしてベッドの横には樹々兄が、心配そうに私を覗き込んでいる。


「熱はもう下がったみたいね。食べたい物はない?」

「うん……ごめん。大阪から戻ったばかりなのに迷惑かけて」

「何言ってるのよ。胡桃の看病くらい慣れてるわよ」


樹々兄は小さく笑って、薬の説明をしながら私の額に触れる。


「それより、不摂生してたの? ちゃんと健康管理しなきゃダメよ?」

「……はい」


イベント帰りの樹々兄に余計な心配をかけてしまった。

――けれど。


(大阪に行ってたの、バレてない……!)


心の中で小さくガッツポーズを決める。

羅々の“管理”が功を奏したらしい。


樹々兄は帰り支度を整えながら言った。


「じゃあ、帰るから。ちゃんと寝ておくのよ」

「はーい」


部屋のドアが静かに閉まり、足音が遠ざかっていく。


――さて。

凛花さんのアドバイス「押してダメなら、引いてみて」。

布団と親睦を深めながら、私は真剣に作戦会議を始めた。


まず樹々兄に、「胡桃の好意の対象が変わった」と思わせる。

……つまり、樹々兄以外の誰かを“それっぽく”用意する。


でも、十六年一筋の拗らせ片思いだ。

そんな人物がポンと出てくるなら、そもそもここまで拗れてない。


ならどうするか。

――身近なところから、協力を引き出すしかない。


脳裏に浮かぶ候補者。


愛島さん。

羅々。

豪屋さん。


……駄目だ、豪屋さんは駄目だ。


樹々兄の想い人に手を出すなんて、私は樹々兄と全面戦争するつもりか?

「特別な存在」として認識される代わりに、別の意味で永遠に刻まれる。

想像しただけで背筋が凍えた。


(豪屋さん、却下!)


脳内の作戦ボードに、豪屋さんへでっかい×を描き込む。

――とりあえず、風邪が治ったら相談しよう。協力要請だ。



「で?」


目の前でラーメンを啜る愛島さん、羅々、豪屋さんが、訝しげに私を見つめている。

このメンツでラーメンを啜っている理由は単純だ。

先日の大阪フェスの打ち上げで、大将から招集がかかったのだ。


(ちなみに私の風邪は完治しました。ラーメン、うまいです)


「で? とは?」

私も麺をすすりながら、愛島さんの問いに質問で返した。


「俺に何をしろって?」

「別に何もしなくていいけど――樹々兄に焼きもち焼かせる協力をしてほしい」

「協力内容は?」

「んー……デート、とか?」


(自分で言っておきながら、めちゃくちゃ恥ずかしい)


愛島さんは箸を止め、私を見た。


「……デートくらい別にいいけど。そもそも何で俺なんだ?」

「んー……消去法?」

「お前……そこは嘘でも『好意がある』くらい言えよ」

「それこそ嘘がバレるじゃない。拗らせ系を舐めないで頂きたい」


えっへん、と胸を張った瞬間――デコピンが飛んできた。


「痛い! 私、病み上がりぞ?」

「お前は極端なんだよ。病みながら脳まで病みやがったのか?」

「違うから。これは樹々兄に“再認識”してもらうためのミッションなの。

――『押してダメなら引いてみよう』作戦」


すると羅々が、ラーメンをすすりながら冷静に刺してくる。


「引くのはいいが……逆に応援されたらどうする?」

「……」


言葉が詰まったところへ、愛島さんが淡々と追撃する。


「お前、姫塚から見たら妹ポジションだろ。

そんなお前が『本気で気になる人ができました』なんて言ったら、

相手が誰であれ協力するだろうな」

「え? そんな感じ?」

「良くも悪くも姫塚はそういうやつだな」


豪屋さんまで頷く。

私の心が、じわじわと沈む。


「……立ち直れないかも」


羅々がニヤついた。


「もう豪屋でいいんじゃね? あいつの想い人でもあるし」

「羅々は私に樹々兄と全面戦争をさせたいの? 妹ポジまで失って?

 心の氷河期来るわ」

「大げさ」


愛島さんが伝票の裏にメモを書きながら、淡々と整理を始める。


「姫塚は恋愛対象が男で、豪屋に惚れてる」

「怒りしか湧かないワードの羅列」

「豪屋は恋愛対象が女で、姫塚は友人」

「ああ」

「胡桃は姫塚樹々一択の拗らせ」

「イエス」


愛島さんはペンを止めて、ふっと笑った。


「……羅々でもいいんじゃね? 同じパーツで、羅々は恋愛対象が女だろ」

「それ、どういう意味で?」

「マジ恋的な意味で。

何をきっかけに姫塚に惚れたかは知らねぇけど、羅々に惚れてた可能性だってある。

胡桃の中で樹々と羅々が“別人”なのは分かってる。

でも、あえて羅々と別視点で付き合ってみろ。樹々も別の角度からお前らを見れば、気持ちが揺れるかもしれない」


「……無かったら?」

「そのまま羅々と付き合え」

「ブーブー!」


抗議の声を上げた私の頭を、豪屋さんがくしゃりと撫でた。


「そういうのも、ありかもしれないな」

「え」

「姫塚は、三人の関係が崩れないと思い込んでる。――均衡を保つためにな」


豪屋さんの低い声に、羅々が面白そうに口角を上げる。


「崩れないっていうより……それで安心してんだろ。

それより、いつも樹々にベッタリな胡桃が“鞍替え”したら――おもしれーな」


魔王みたいな笑顔。

私は必死で首を振った。


「オモシロクナイ。アクマノササヤキ」


――が、遅かった。

妙なスイッチが入った羅々に、首根っこを捕まれた。


「よし、シナリオ考えんぞ」

「うわー! 求む! キャスティング変更!」

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