第3話 恋敵とお留守番①
「え? 樹々兄……今なんて?」
「あら? 言ってなかったかしら。
明日から三日間、占いのイベントで旅行に行くのよ」
箸が、指からするりと滑り落ちた。
いつも通りの姫塚家の朝食。けれど、その一言で心臓がズキンと跳ねた。
そう――樹々兄は有名なタロット占い師だ。
しかも顔面まで完璧だから、イベントではいつも大人気。
……つまり。
三日間も全国のハイエナどもに囲まれるってことじゃない!
群がるなら撃ち落とすぞッ!
私は脳内でハイエナ駆除作業を開始する。
その横で羅々が、パンをもぐもぐしながらのんきに聞いた。
「へぇ。で? 今回はどこ行くんだ」
「関西地方ね。大きなフェスがあるの。ギャラも良いし、美味しいお土産買ってくるわ。胡桃のこと、お願いね」
「……胡桃なら、もうスーツケースに侵入してるぞ」
「あらやだ。悪い子ね」
樹々兄が視線を向けた。
私は机の陰でそっと前傾し、“するり”と潜り込む態勢に入っていた――のに。
次の瞬間、襟元をつままれて、軽々と引っ張り出される。
「んまっ!? エスパー伊藤ここに降臨? bad girlよ胡桃!」
「違う! 私はただの荷物です! 付属品です!」
抗議の視線を向けるけれど、樹々兄は優しく頭を撫でただけだった。
「だーめ。三日間くらい、大人しく留守番しなさい。お土産で我慢して」
「お土産より樹々兄がいい。三日も会えないなんて……死ぬ。禁断症状出る」
「胡桃ったら。三日なんてあっという間よ。毎日電話するから、いい子で待ってて」
「……はい」
一瞬、素直になってしまう。
だって樹々兄の“いい子”は、効く。犬笛みたいに効く。
「ちなみに――ストーカー禁止だからね」
「チッ!」
先手を打たれた。
遠距離トラックでもナンパして関西入り――という完璧な計画だったのに……。
羅々は「チーズケーキ買ってこい」とリクエストしながら、のんきにコーヒーを啜っている。
その姿が妙に憎らしい。
「羅々が行けばいいのに」
「あ?」
頭を鷲掴みにされ、睨まれる。けれどこちらも睨み返す。
「羅々、今からタロット勉強しよう? うん、そうしよう――」
「馬鹿か。数時間でマスターできるなら占い師なんて存在しねぇよ」
「そうよ、胡桃。そもそもおバカな羅々に覚えられるわけないじゃない」
「あ……それもそうね。羅々、ごめん」
「いや、それはそれでムカつくな! 意地でも覚えてやりたくなるわ!」
羅々が心折れかけようが、私には関係ない。
ただ、三日間も離れる――それだけが耐えられなかった。
◆
翌朝。
スーツケースを引いた樹々兄が、タクシーの前で振り返る。
「じゃ、行ってくるわね。胡桃、分かってると思うけど――」
「はい! ストーカーしません! 良い子で待ってますッ!」
樹々兄の笑顔に、思わず敬礼してしまう。
彼はくすりと笑い、私の頭を撫でた。
「good girlよ胡桃。じゃ、行ってくるわね」
「……うん。気を付けて」
車が角を曲がって姿が見えなくなるまで、全力で手を振った。
寂しさが喉に詰まって、少しだけ涙がにじみそうになる。
「ああ……どうぞご無事で!」
「……戦地に向かう兵士か」
羅々のツッコミなんて聞こえない。
心臓の奥がスカスカする。こんな気持ちになるなんて。
「そういえば」羅々が思い出したように言う。
「お前、修学旅行の時も追っかけ計画してただろ。未遂で終わったけど」
「こっそり旅の栞まで作ったのになぁ」
――あの時は親に見つかって監禁されたんだった。
『樹々君の思い出を邪魔するな』と説教された記憶が蘇り、私は肩を落とす。
「お前のその、樹々に対する無駄なバイタリティーはどこから来るんだ。
恐怖すら感じるわ」
「これが恋する乙女ってやつよ」
「お前の場合、恋する最終兵器だろ。樹々のためなら世界も滅ぼしそうだな」
「ご要望とあらば」
「望んでねぇ! いいか、追っかけ禁止だからな! 怒られるの俺なんだから!」
無言で視線を逸らすと、また頭を鷲掴みにされた。
指の圧がやたら強い。頭蓋骨、粉砕予定?
「返事は?」
「……はーい」
「明後日の方向見ながら答えんな!」
渋々頷けば、羅々はバイクに跨り、出かけていった。
残された私は大きく息を吐く。
青空がやけに眩しい。世間は三連休。……だけど、空虚感しかなかった。
◆
街に出てみても、何を見ても心は晴れない。
服も、雑貨も、欲しいと思えない。
結局、積みゲーでも崩そうかな……と踵を返した瞬間、誰かとぶつかった。
「ぶっ」
変な声が出た。しまった。
「すみません、余所見してました」
鼻を押さえつつ顔を上げる。そこにいたのは――
憎き恋敵、
ここで会ったが百年目。
唇の端を吊り上げ、私はにやりと笑った。
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