怪盗Witch Phantom 降臨
舞台の上に謎の叫び声と共に現れた月光色の光の玉は、満月にとてもよく似ていた。
それが音もなく舞台中央へと降り立つと、光は粒子となって静かに霧散し、消えた。
「ッ……!!」
スポットライトの操作を担当していたスタッフは、自分が仕事中であることを忘れ、その光景に目を奪われていた。
暗闇に残る強い気配。
あの光を放っていたものは何なのか。
それをどうしても確認したくなった彼は、舞台の中央──光が霧散して消えた「その場所」に向けてスポットライトを点けた。
バンッ!
強烈な光が闇を切り裂く。
浮かび上がった舞台の中央には少女が一人、静かに立っていた。
会場にいた全員が、息を呑んだ。
彼女は、月光を織り込んだような淡い黄色のカクテルドレスに身を包んでいた。
肩や脚を大胆に露出したその姿は艶やかでありながら、背で揺らめく夜空色のマントが気高さを演出している。
また彼女は自らの正体を隠すように、顔の上半分を華やかなマスカレードマスクで覆っていた。
マスクに散りばめられた宝石と、極彩色の飾り羽根が、ライトを反射して妖しく輝いている。
彼女の姿は、まるで幻想の中から抜け出してきたようだった。
観客達は、息をするのも忘れて彼女に見入ってしまっていた。
その輝きと、彼女自身が放つ不思議な美しさが、会場の空気を一瞬で変えてしまったのだ。
「……………………」
約30秒間、彼女は不気味な沈黙を守った。
だが彼女に魅せられた観客達はその間、誰一人として言葉を発することはなく、彼女の言葉を待った。
観客の誰かが息を呑む音だけが、静寂に吸い込まれた。
長い静寂のあとに彼女はスゥ……と静かに、長く息を吸い込み、口を開いた。
「私は……『Witch Phantom』」
舞台に設置されているマイクも手伝い、彼女の声は会場の中によく響き、観客達の耳によく通った。
「不当に奪われた宝を奪還するために現れた怪盗。今夜の獲物はいただいた。───これにて、失礼」
舞台上の怪盗は、右手に持った一つの古ぼけた鏡を自身の左胸に当てるような動作をしながら、丁寧に頭を下げた。
そしてバサリと音を立ててマントを翻すと──信じられないことに、彼女はゆっくりと闇に溶けるように、姿を消し始めた。
「ど、泥棒ッッッッッ!!!き、消えたんじゃない!!魔法で、姿を消しただけよ!!!誰か、捕まえてェーーー!!!!」
舞台上で一人の女性が金切り声をあげながら訳のわからないことを主張している。
いつの間にか舞台の上にいたその女性は、髪は乱れ、肌は荒れ、贅肉で関節が見えないほどに肥え、太っていた。
しかし不思議なことに、彼女の肉の隙間から見えている伸び切った衣装は、彩光寺麗子が身につけていたものと同じだった──。
───────────────────
妹が掴んでいたロープが切れて落下したと思ったら、月光色の光と共に、派手な衣装に身を包んだ少女が舞台の上に姿を現した。
この瞬間、何が起きたのかを世界で一番早く理解したのは、その少女の兄であった。
何故なら舞台の上に突如姿を現した派手な少女は、昨晩妹に見せられたノートに描かれた女とそっくりだったからだ。
(満月鏡の魔法で、咄嗟に変身したのか!)
宵の意思とは関係なく、涙が流れ始めた。
それは彗が変身したからではない。
彗が変身時に放った光が、月光色だったからだ。
幼い頃に母が見せてくれた優しい魔法。
その際に放っていた月光色の魔力光と、同じ色の光を彗は放った。
つまり──
「彗…….よかったっ……!!」
──彗は正当な月詠家の継承者、「月詠の魔女」だったのだ。
驚き、懐かしさ、嬉しさ。あらゆる感情が津波のように宵の心に押し寄せ、彼は涙が止まらなかった。
しかし今は泣く時間ではない。妹を助ける時間だ。
今、妹は舞台の上で混乱しているだろう。どうすればいいかわからないだろう。
怪盗Witch Phantomの肉体は彗だが、頭脳は自分だ。
自分が考え、この状況を切り抜けるしかない。
「……」
数秒間考えたあと、宵は口を開いた。
「彗、よく聞け。今から、俺が言う通りにしろ」
─────────────────
(あばばばばばばば………!!!)
ロープが切れて、こんな格好で死にたくないと思いながら叫んだら、気づいたら舞台の中央に立っていた。
彗の目はものすごい速さで泳いでいたが、幸運にも彼女の目元は派手なマスカレードマスクで隠されているので、焦りが周囲の人間に気付かれることはなかった。
(ってかこのマスク何!?服も、黄色いドレス!?エアルズムは!?)
とりあえず黙って立っているが、どうすれば良いかわからない。
『彗、よく聞け。今から、俺が言う通りにしろ』
(お、お兄ちゃん……)
骨伝導イヤホンから兄の声が聞こえて、彗は少し安心した。
『お前は今、昨日俺に見せた絵と同じ格好になっている。おそらく満月鏡の魔法で変身したんだ』
「ッ……!」
彗は何かを言おうとしたが、宵が慌てて『返事はしなくていいからな』と言い、彗は黙った。
『その会場にいる観客は、お前の存在を舞台の演出だと考えている。だからそのまま『舞台に現れた怪盗』っぽいセリフを言ってから、姿を透明にして逃げるぞ』
彗は宵の話を聞いてはいたが、頭の中は真っ白だった。
自分の事を見つめる無数の目、目、目。
剣道の試合を見られるのとは訳が違う、「舞台」を見つめる人間の視線。
『いいか、舞台の怪盗っぽくだからな。俺の言葉を復唱しろ。『私は、Witch Phantom……』』
彗は、そのまま宵の言葉を繰り返して怪盗として名乗りをあげ、言われた通りに丁寧に観客に頭を下げた。
『今だ、透明になれ!』
宵にそう言われたものの、彗はやり方がわからない。
どうすれば魔法は使えるのか。さっきは無我夢中で、勝手に変身した。
(とうめい!とうめい!!消えろ!!私の体!!!…………ダメ!全然消えない!!)
『どうした?彗?もしかして……できないのか?』
宵の声に対し、彗は震えながら「できない」と小さな返事を返そうとしたそのとき、彗は兄の声ではない小さな声が、どこか遠くから聞こえた。
──彗ちゃん、落ち着いて。
(……….えっ!?)
──満月鏡は「消す」魔法じゃない。「姿を変える」魔法だよ。
彗はその優しい声を聞いたことがあった。
最後にその声を聞いたのは、10年前のクリスマスイブの夜だ。
──だから、自分の姿を「周りと同じ」に変えるイメージ。やってみて。
彗は胸の奥が熱くなり感情が溢れ出しそうになったが、それを無理やり抑え、イメージを作り始めた。
(同じ……同じ……私は、周りと同じ……)
彗が頭の中に聞こえる声の通りにイメージすると、彼女の姿は静かに闇に溶け始めた。
「ど、泥棒ッッッッッ!!!き、消えたんじゃない!!魔法で、姿を消しただけよ!!!誰か、捕まえてェーーー!!!!」
金切り声が会場内に響いたが、それを聞いて怪盗を追うものは一人もいなかった。
観客、スタッフ、他の演者達は全員、彼女の一挙手一投足に見惚れ、ぼんやりと彼女がいた舞台の中央あたりを眺めているだけだった。
会場の全員が彼女に──怪盗Witch Phantomに、心を盗まれてしまったのだ。
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