落ちる満月

「…………ッ!!!」


彗は、ヴェルサイユ・ロゼが公演をしている舞台の15メートルほど上に設置されたキャットウォークの裏側に手と足の指の力で張り付き、目を閉じて待機していた。


アルバイト中に何度かこっそりと練習した動きだが本番の緊張感もあり、彗はその辛さからプルプルと震え、暑さから汗もかいている。


しかしウニクロのエアルズムのおかげで汗をかいてもすぐに汗は乾き、彗はなんとか耐えていた。


(結局……闇バイトスタイルで来ることになっちゃったじゃん……!!)


彗は黒い目出し帽、黒いタイツ、黒い手袋を身につけてここに来ていた。


(木の枝の反対側にくっついてるカブトムシみたいだな、私)


彗はそんなことを考えていたが、いよいよ手の力が限界になってくるのを感じた。


今すぐキャットウォークの上にあがって休みたいが、そんなことをすれば照明を動かしているスタッフにすぐに見つかり、計画は中止になるだろう。


「くっそ……ふぎっ……!」


彗はなんとか腕を動かし、腹の上に乗せておいたロープを掴み、口に咥えて歯に挟み、歯を食いしばった。


このロープは舞台との昇降用で、既にキャットウォークの目立たない場所に結びつけてあり、下に垂れないようにロープの残りは彗が腹の上に乗せている。


これを使って素早く舞台に降り、彩光寺から満月鏡を盗んだ後は素早くこれを昇って立ち去り、ロープを回収する。


満月鏡を盗まれた彩光寺は必死に自分の周りを探すだろうが、犯人は既に遥か上……という寸法だ。


「ぐぅ……!」


ロープを使って歯を食いしばることによって、少し力が入りやすくなって彗は楽になった。


「ああっ、私は……いったいどうすればいいのっ!?二人の男性に、同時に迫られてしまうなんて!!私はどうすればっ……!!」


彩光寺麗子のセリフが聞こえてきた。

犯行の瞬間は、このセリフが終わったところだ。


『彗、いよいよだぞ』


彗が付けている小型の骨伝導イヤホンから、宵の声がした。


宵はこの舞台が始まるまでは客として会場内に入って彗の侵入をバックアップし、舞台が始まってからは車で待機していた。


彗が腹に直接巻きつけてある薄いウエストポーチの中に通話状態のスマートフォンが入っており、それとイヤホンを使い宵は彗に指示を送っていた。


また、舞台の様子はヴェルサイユ・ロゼが有料で生配信をしているため、宵は車内でそれを見て現場の様子を確認している。


『今だ。彗』


「フゴッ」


口にロープを咥えたまま彗は小さく返事をし、ずっと閉じていた目を開いた。


スポットライトが消えて一瞬のうちに暗闇になった舞台の上だが、ずっと目を閉じていた彗は目が暗闇に慣れており周囲がよく見える。


彩光寺は暗闇の中で碌に周囲が見えないが、予め目を瞑っていた自分はよく見える。


この状況を確実に作り出すために、宵は彩光寺が舞台上にいるこの瞬間に決行する計画を立てたのだ。


素早くロープを下ろした彗は、ロープを持ち内腿で挟みながら素早く降り、舞台中央にいる彩光寺麗子の背後に歩み寄った。


慎重にうなじに手を近づけ、彩光寺麗子が首から何かを下げるために使っていた紐を掴み、一気に引っ張り上げて頭をくぐらせ、それを盗み取った。


「ッ!!!!」


彗は驚愕した。

まだ心の中で信じられていない自分がいたが、ついに確信した。


やはり彩光寺麗子は、月詠冬子だったのだ。


何故なら、彗が手に取ったそれは10年ぶりに見た「満月鏡」。


彗は胸の奥に熱いものが広がるのを感じた。


母が自分達を守るために最後の魔法をかけてくれた、あの神器だ。

見間違いは絶対にあり得ない。


「えっ!?」


彩光寺は何が起きたか分からないといった様子でバタバタと慌てて周囲を探っていたが、もう遅い。


彗は自分が降りてきたロープを掴み、スルスルと昇り始めた。


(やった……やったぁ!お母さん、私達……一つ目の神器、取り返したよっ!!)


彗は感無量になりながら、満月鏡を口に咥えたままロープを昇っていた。


彩光寺は……冬子はまだ手探りで何かを探すようにウロウロしている。これなら追いつかれる心配はない。


帰りは宵が考えてくれたルートを駆け抜ければ、誰にも見つからずにこの会場から出られる。そして車に乗り込み、宵の運転で家に帰る。


彗は成功の合図として、自分のイヤホンをトントントンと3回叩いた。イヤホンにはマイクも付いており、こちらの音は宵に伝わっている。


『彗、よくやった!気をつけて脱出しろよ。まだ終わりじゃないぞ!』


(まったく、最後までお兄ちゃんは心配性なんだから。こんな完璧な計画を立てられるのに……)


ミシッ……


13メートルほどロープを昇った彗がそう思いながら頬を緩めた瞬間、上の方から嫌な音がした。


(えっ!?)


彗が慌てて上を見ると、ロープの一部分が切れそうになっている。

そこには歯形のようなものも見られる。


そう、先ほど自分が力の限り噛み締めていた部分が切れそうになっているのだ。


なるべく目立たないようにするために、あまり太くないロープを使ったのも不味かったかもしれない。


「ちょ、そんな、うそっ!?」


ブチッ………!


無情にも大きな音を立てながらロープは切れ、彗は自分の体が落下し始めたのを感じた。


『彗、どうした!?彗ーーーー!!!』


ロープの切断音は宵にも聞こえ、宵は声をあげたが何も変わらない。


彗の体は、13メートルの高さから真っ逆さまに落ち始めた。

声を出した瞬間に満月鏡は口から落ちたが、彗は反射的にそれを空中で掴み、握りしめた。


(え、うそ。私……ここで終わり?)


キャットウォークの高さから落ちれば、死ぬ。彗はそれを分かっていた。


だからアルバイト中にここで作業する際は必ず命綱を付けていたし、今日もロープを使ったのだ。


彗は「死にたくない」と強く思いながらも、落ちていく体の感覚から死を確信し、最後の思いを叫んだ───。


「こんな格好で死ぬのだけはいやああああああああああっっっっ!!!!」


ほとんどの人間が逆に聞き取れないほどの大きさと高さの声で、彗は叫んだ。


するとそれに呼応するように彗が握っていた満月鏡が輝き始め、会場の中全てを埋め尽くすように光を放った。



その光は強く、美しく、優しく、そして何より───




「えっ………?」


冬子は光の玉が上から落ちてくるのを見ながら、小さく呟く。

彼女は、その光に見覚えがあった。



「秋(あき)……姉(ねえ)…………!?」





────その光は、月光と同じ色だった。

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