一つ目の神器

妹が俺の部屋に無理やり転がり込んできたけど、拒否権(首の骨)を握られているので逆らえない


──10年後。


7月1日。


「はあ〜、やっと終わった……」


ここは中村水(ナカムラ スイ)が通う望(ノゾミ)が丘(オカ)高校の2年A組の教室。放課を知らせるチャイムが校舎の中に鳴り響いている。


勉強が苦手な彼女は授業中は真面目な顔でノートを取るフリをしながら絵を描く、という暇つぶしを小学生の頃から今まで続けてきた。


今日は一ヶ月以上描いていた落書きの一つが完成し、スイは達成感に満ちた清々しい気分だった。


「スイ、お疲れ!部活行こ!」


スイのクラスメイトかつ、彼女が所属している剣道部に同じく所属している東条玲香(トウジョウ レイカ)が、スイに声をかけた


「あ、ヨッシーお疲れ!」


「え、スイちゃんは今日から私のことを『ヨッシー』って呼ぶつもりなの?あれは吉田とか吉村にだけ許されたあだ名だよ?」


「なんかヒゲのおじさんを背中に乗せて走り出せそうだなと思って……」


「え?もしかして私、スイちゃんの目には緑の恐竜に見えてるの?女子高生としては今にも泣きそうなんだけど」


「泣かないで、ヨッシー」


スイは玲香の肩に手を乗せ、耳元で囁くように優しく言った。


「でも大丈夫。あの恐竜はカラーバリエーションが豊富だよ。何色にでもなれるよ」


「いや緑なのを嘆いてるんじゃなくて、友人に恐竜呼ばわりされてるのを嘆いてるんだけど。あと別に緑でもない」


スイと玲香はひとしきり漫才のようなものを続けてゲラゲラと笑ったあと、スイは再び口を開いた。


「でもごめん。私今日は部活パスなんだ」


スイは片手で謝るポーズをしながら誘いを断った。


「え、どうしたの?」


「今日はね、『帰る』日なんだ。私は10年間この日を待ち望んでたの」


「え?スイちゃん昨日も普通に帰ってたよね?10年間家に帰ってなかったの?」


この子はまたふざけ始めたのか、と玲香は少し身構えていたがスイは言葉を続けずにカバンを手に持った。


「顧問のジャスティス・フライ先生には昨日のうちに伝えておいたから大丈夫。というわけで私は帰るね!」


「スイちゃん剣道部の顧問は日本史の田中先生だよ。なに?ずっと外国人だと思っていたの?」


友人の言葉をほとんど無視し、彼女は楽しそうに教室を出て行った。

スイはいつも訳がわからないギャグを言っていることが多いが、どうやら今日は家に帰るということだけは本当なのだと玲香は悟った。




───────────────────



「ふぅー……緊張する」


スイは学校から徒歩15分ほどの場所にある木造アパートの一室のドアの前で立ち尽くしていた。


ドアには『206』と書かれており、その下にあるプラスチックの表札には「中村」と書かれている。


このアパートはところどころがトタン板で修繕されていおり、お世辞にも綺麗とは言えないような建物だった。築年数も50年近いらしい。


だが、スイはここで暮らせることをずっと待っていたのだ。

目を瞑って心を落ち着けてからドアノブを握り、捻った。


「た、ただいまぁ〜……」


少し裏返った声でそう言って部屋の中に入ると、六畳一間の部屋の中に一人の痩せた男性がおり、彼はテーブルの上に置かれたノートパソコンを操作していた。


「ああそうか……今日からか。彗(スイ)が来るのは」


男性は彗を見て少しだけ驚いたような顔をした後、再びパソコンに目線を戻した。


「いやお兄ちゃん、リアクション薄くなぁい!?」


彗は脱いだ靴を綺麗に揃えて玄関に並べた後、宵(ヨイ)に飛びかかって首を掴んで持ち上げた。


宵の体は完全に持ち上げられ、妹に首を掴まれたまま宙に浮いた状態となった。


「『靴を綺麗に揃える』という品性があるなら、『人の首を掴んで持ち上げてはいけない』という常識も併せ持っててくれないかな」


宵は宙吊りになりながらも、冷めた目で妹を見つめ続けた。


「いや、今日から女子高生との共同生活が始まるんだよ!?もっとこう…テンション上げてこうよ!」


「でも実の妹だしなぁ……」


宵がそう答えると、首を掴んでいる彗の手に少し力が込められて首が少し絞まった。


「私、ずっとこの日を楽しみにしてたの!また家族で一緒に暮らす日を!」


「施設でも俺が18になって出ていくまでは一緒に暮らしてたじゃないか。何を今更……」


宵がそう答えると、彗はさらに手に力を込めて兄の首を絞めた。


「でも他にも色んな子がいる施設で暮らしてたのと、家族だけで暮らすのは全然違うでしょ!」


「でもこんなボロアパートだぞ?こんなところに二人で暮らしても……」


宵はさらに首が絞まるのを感じた。


「あ、もしかして俺の返答次第でだんだんと首が絞まっていくシステムなのか?」


宵がそう言って妹の顔を見ると、彗は真顔のまま静かに頷いた。

このまま縊(くび)り殺されてはかなわないと宵は判断し、「はぁー…」と一度ため息をついてから再び口を開いた。


「おかえり、彗。今日からまた家族で一緒に暮らそう。俺も嬉しいよ」


「……うん!私も嬉しい!感動の再会だね!お兄ちゃん!」


次の瞬間、首から手が離されて宵は床に落ちた。

宵はしっかりと呼吸ができる嬉しさを噛み締めながら、ぜーはーと深呼吸をした。


「まったくお兄ちゃんは相変わらず冷めてて、捻くれてるんだから。素直な言葉が一番だよっ!」


「今のは俺の『素直な言葉』だったのかな?拷問の末に自白した気分なんだが」


宵と彗は10年前のクリスマスイブに家と家族を失った後は、この町の児童養護施設で暮らしていた。


警察に保護された際に宵は月詠家のことは何も話さず、「母親の再婚相手に車で連れ出されてこの町に捨てられた。親の名前も前に住んでた町の名前もわからない。わかるのは自分達の『中村』という苗字と名前だけ」と作り話をした。


「よいしょ」


彗はうつ伏せに倒れている宵の背中の上に腰を下ろし、両手で宵の顎を掴んで後ろに引き始めた。宵の背中は海老のように反り上がる。


「痛い痛い痛い!!!なんだ!?次は何が気に入らないんだ!?」


「あ、私の名前を水曜日の『水(スイ)』にした恨みを今晴らしておこうかと思って」


「いやそれは仕方なかっ……いだいいだいいだい!!」


警察に保護されたときに名前を聞かれ、「中村」と宵が答えた後に警官は「下の名前は?」と聞いた。


予め宵が考えておいた偽名を言う前に、7歳の彗は「私、すいちゃん」と答えてしまった。


警官が彗に「どう書くのかな?」と聞くと、彗は「『すいせい』のすいだよ!」と、当時親から教えられていた言い回しをそのまま答えたので、慌てた宵はせめて漢字だけでも本名と違うものにしようと思い、警官に「『水性』ペンの水です」と答えた。


こうして妹の名前は『水(スイ)』となり、自分の名前は『良(ヨイ)』とした。

『良(ヨイ)』は我ながら妙な名前だと宵は思っていた。


その日から二人は中村良、中村水として今日まで生きている。


町を変えて名前も変えた事が功を奏したのか、それとも宵と彗が生きているとは思われていないのか、兄妹は今のところ三人の叔母に見つかる事はなく今日まで10年間平和に生きてくることができた。


宵は20歳になり、現在はこの町にある大学の医学部に奨学金を使って通っている。彗は高校2年生になった。


施設を出るのは本来18歳からだが、20歳以上の者が後見人になれば18歳以下でも施設を出て外で暮らすことができる。


宵は今年の6月に20歳になった。

早く施設を出て兄と暮らしたかった彗は、20歳となった宵に連絡をとって後見人になるように頼んだのだ。


「お兄ちゃん、先月私が一緒に暮らしたいって言ったらすぐに書類にサインしてくれたね。ありがと♪」


「ああ。だがいきなり部屋に乗り込んできて、『書類にサインしなかったら頭を握り潰す』って言われたら、赤の他人でもサインしたんじゃないかな」


先月の宵の誕生日に、妹は施設の外出許可を取ってこの部屋にやってきた。


部屋に入ってきた彗は腕に大きなプレゼントの箱を抱えており、「お兄ちゃん、誕生日プレゼント」と言って宵に押し付けた。


宵が箱をあけるとそこには『後見人申請書』を始めとする諸々の書類と、一本のボールペンと押印用の朱肉が入っていた。


彗は「プレゼントは、私だよ♪」と言って笑い、宵の頭に指を食い込ませ、書類を書き終わるまで離さなかった。


宵はもう少しで自分のこめかみに彗の指が突き刺さるのではないかというところで、書類にサインをし終えた。


それを確認した彗はテーブルの上の書類を素早く回収し、スキップで部屋から出ていった。


彗は部屋から出ていくとき、兄に「プレゼントのお届けは来月になりまーす!」と叫び、宵は強く痛むこめかみに穴が空いていないかを確認しながら、ため息をついた。


「いてて……最早手がつけられないな……」


昔から運動が得意だった妹は、宵が言う通り手がつけられないほどに運動能力を上昇させていた。

中学の頃に剣道を再開し、中学3年生の頃に全国大会で準優勝した。


準々決勝で右手を骨折したことが敗因だと、彗は悔しそうに兄に語った。

しかし宵は、右手が折れたまま試合をして準決勝を勝っていた妹が恐ろしかった。


また、体育の時間に行う身体能力テストではその年齢の女子の新記録を次々に打ち立てた。50メートル走は5秒台で走り抜けたらしい。


妹に下手に逆らうととんでもない目に遭わされてしまう。宵はそう思っていた。


──かくして大学2年生の兄と、高校2年生の妹の共同生活は始まったのだ。


───────────────────


「じゃあお兄ちゃん、さっそく作戦会議しようよ!」


彗はテーブルの反対側に回り、宵の正面に座った。


「作戦会議?何のだ?」


「何って……あいつらから神器を取り返して私が魔女になる為の作戦会議に決まってるじゃない!」


彗は「私、この日をずっと待っていたんだから!」と鼻息を荒くしている。


そう。彗は10年前のあの夜から、再び兄と暮らし、二人で協力して三人の叔母から神器を取り返し、自分は魔女となって月詠家を再興する日を待っていたのだ。


施設にいる間は大人の目があるのでこんな相談をする事はできなかったし、神器を取り返す為に動くこともできなかった。

だが、二人暮らしとなった今は本格的に動き始める事ができる。

彗はこの日を長年待っていたのだ。


「ね、お兄ちゃん。まずは何をするの?」


彗に先ほどまでのおどけた雰囲気は無い。

真剣に宵の目を見つめ、本気で話している。


「あー……彗。落ち着いて聞けよ」


宵は真剣に自分を見つめてくる妹に応じるように、しっかりと彼女の目を見つめ、静かに言った。


「俺たちは……もうそんな事を考えるべきじゃない。これからは二人で大人しく生きていこう──。」

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