Ep.11 君見ゆと我がこころねは ―― *Shion

「ねーちゃん、もうあれ我慢すんのやめなよ。言い返せばいいのに」


 ファミレスでドリンクバーとちょこちょこ軽食を頼みながら勉強していると、後ろの席にやってきた若い男女の会話が聞こえてきた。後ろの席は背もたれが高く、その上に擦りガラスの仕切りがあって様子はわからない。


「言い返して解決するならそうしてるよ……」


「まあ、あの人相手じゃそうか……。何であの人はああなんだ……」


 “ねーちゃん”なる人物は誰かにいじめられてるんだろうか。本当の姉弟にしては、弟の方は親身になって話をしてくれてる。もしかしたら、歳の差のあるカップルだったりするのかもしれない。

 いいなぁ、年下の彼氏にねーちゃんなんて呼ばせてるのか。あたしもそういう経験したいな。彪雨あやめちゃんだったら何て呼んでくれるだろう。お姉ちゃん、シオン姉さん……姉さんだけでもありだな。


 そんな妄想を繰り広げていると、寂しそうな“ねーちゃん”の声が聞こえてくる。どこか雰囲気が彪雨ちゃんに似てる。儚げで、すべての不幸を背負い込んだみたいな声。


「レオは優しいね。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」


「何も大丈夫じゃねぇよ。大丈夫だったら部屋で一人で泣いてないだろ」


 彼氏くん優しいなぁ。でも気持ちはわかる。あたしも彪雨ちゃんに同じようなこと言ったしね。


「あれは……忘れてよ。そういうんじゃなかったんだってば。涙が勝手に出てきただけだから。そういうこと、あるでしょ?」


「ねぇよ。本当はあんまりおすすめしたくないけど、さっさと彼氏作って、心の支えみたいなもんになってもらった方がいいんじゃねぇの? ねーちゃんのことだから、そういうのができたらめっちゃ依存しそうなのが心配だけど」


「確かに、それはそうかもね。だけど彼氏は本当にいらないの。それはそれで、わたしにとっては余計なストレスになるからさ。もうあっちもこっちもで、お腹いっぱいなんだよ」


 ん? あれ、もしかして本当に姉弟なの? それはそれで尊過ぎない?

 なんて、勝手に脳内がざわめいていると、少し二人の声色はシリアスになっていって、あたしは今更ながら勝手に聞いてちゃいけないような気になって、席を立った。


 席を立った時に、ちょっとした出来心でこの尊い姉弟の顔を拝もうと思って覗き見てしまった。

 弟くんの方は、おお、なかなかイケメンじゃないか? だけれどあたしは生憎イケメンには興味がない。どちらかと言うと気になるのは……と“ねーちゃん”の方を見て、あたしの心臓は跳ね上がる。


 ――彪雨ちゃんだ。見間違うはずがない。制服姿しか見たことはなかったけど――いや、出会った日にあたしの服を着せはしたか。だけど彼女の私服姿は初めて見た。ましてや家族と一緒の、完全に油断し切っている場に出くわすなんて。


 どうしよう、心臓が落ち着いてくれない。彼女の目、口元、指先。微かに動くだけで視線が吸い寄せられてしまう。目が離せない。ああ、本当にあたしは、彼女が愛おしくて仕方ないんだな。


 いったん落ち着こうとお手洗いに逃げ込んで、冷水で手を洗うと、ひんやりと気持ち良い。興奮して体温が上がっていたらしい。だけど少し落ち着いた。

 あたしとしては、彪雨ちゃんのレアな姿を見られて嬉しかったけど、彪雨ちゃんからしたらそうじゃないかもしれない。安易に声を掛けるべきじゃないかもしれない。それに――あれは聞かれたくない話だったかもしれないし。


 どこのどいつか知らないが、彪雨ちゃんを悲しませるやつがいるということに、ひどく憤りを感じた。できるなら、あたしがそいつを懲らしめてやりたい。彪雨ちゃんを助けてやりたい。だけど、これまで彪雨ちゃんは一言もそんなことを言わなかった。あたしに頼ってくれなかった。あたしにそれは、期待してないってことなんだろうか。


 席に戻ってくると、弟くんと彪雨ちゃんは少し表情も明るくなっていた。話題を変えたのだろう。


「じゃあ、わたしが一緒に行ってあげようか?」


「マジで? 一緒に行ってくれんの?」


「行くのはいいけど……日程とか場所とか、ちゃんと自分で調べてね。あと、前日とか当日に急に行くとか言われても困るからね」


「はいはい、わかってまーす」


 あたしは意を決して彪雨ちゃんに連絡してみることにした。もしかしたらよく似た別人という可能性もある。あたしの早とちりかもしれない。いや、あんな可愛い子を見間違えるはずはないんだけど、一応だ。


〈もしかして今、ファミレスにいる?〉


 すると、後ろの席でバイブレーションの音が聞こえた。あたしがメッセージを送ってすぐにだ。そして少しして、彪雨ちゃんから返信がある。


〈います、けど……〉


 畳みかけるように、続けて送ってみる。


〈もしかして……後ろの席かな?〉


 返事はないけれど、はっと息を飲む音が聞こえたような気がした。たぶん、間違いないだろう。そう思って、あたしは席を立って後ろの席に行ってみた。“ねーちゃん”のあたしを見る眼で、確信に変わる。


「やっぱり彪雨ちゃんだった。この子は弟くん?」


 彪雨ちゃんに話を振ってみても、彼女はあわあわと口元を震わせているばかりで、何も返ってこない。それを見かねたらしい弟くんが、彪雨ちゃんの代わりにあたしに声を掛けてくれる。


「お姉さん、ねーちゃんの友達ですか? オレは玲応れおといいます。こんな姉ですが、仲良くしてやってください」


 姉への気遣いも忘れない。なかなかできた弟じゃないか。


「あはは、あたしの方こそ、ねーちゃんと仲良くさせてもらってるよ。あたしは詩遠しおん。良いねーちゃんだと思うけど、違うの?」


「良いねーちゃんではありますけど、性格に難ありなんで」


 たしかにそれはそうかもしれない。あたしはそんなところも含めて良いと思ってるけど。


「あ、えっと……詩遠さん。……話、聞こえてました?」


「まあ、うん。姉想いの優しい弟と、弟想いの優しいお姉ちゃんだなぁと思って微笑ましく聞いてたんだけど、なーんか聞き覚えがある気がして。いつもよりはきはき喋ってるけど、もしかして彪雨ちゃんじゃない? と思ったんだ」


 本当は言うつもりはなかったけど、彪雨ちゃんを見ていて気が緩んだのか、あたしはつい本音を溢してしまう。


「最初さ、彪雨ちゃんと一緒に居るの彼氏かと思ったから、弟くんっぽいなと思ってホッとしたよ。いや、でも姉弟プレイさせてる可能性もワンチャンあるかぁと思って――」


「ないです。そんなことしないですから」


 食い気味に返された。別に怒っているわけではないらしい。どちらかというと、呆れられてるみたい。その少し機嫌の悪そうな眼差しは、いつもの彪雨ちゃんのものだ。


「……わたし、ちょっとお手洗いに行ってきます」


「うん、落ち着いたら戻っておいで」


 恥ずかしそうにその場を離れる彪雨ちゃんを見送って、あたしは弟くんの隣の椅子に腰掛ける。彪雨ちゃんが帰ってくるのを待つだけのつもりだったけど、あたしは彼から“ねーちゃん”のことを聞き出すことにした。


「彪雨ちゃんって、家でもあんな感じなの?」


「まあ、割と。学校でもそうなんすか?」


「いやぁ、あたし彪雨ちゃんと学校違うから、学校でのことはわかんないんだ。ごめん」


 きっとここで、弟くんはならあたしとはどうやって出会ったのだろうと思ったことだろう。だってあの彪雨ちゃんだ。人付き合いなど自ら進んでしにいくとは思えない。学校のように無理やりにでも人と関わらなきゃいけない場でなければ、彼女から関わることもないだろう。


「もしかして、あの“エロい”服ねーちゃんに着せたの詩遠さんっすか?」


 何、どういうこと? 思い当たることは一つしかないけど、あの恰好、弟くんにはそんな風に思われてたんだ。

 しかし弟くんがあたしに向ける眼は、どうやら警告の意味が含まれていそうに思えた。どうも彼女にあの恰好をさせたことは、彼にとっては不本意だったらしい。


「そうだよ。可愛かったでしょ?」


「まあ可愛くないとは言わないっすけど、できればもうああいうのはやめてやってください。あの日も大変そうだったんで。ああいや、なんて言うかその……本当は、ねーちゃんが思うようにしてくれたらいいんすけど、うちにいる限り、たぶんそれは許されなくて。きっと余計に苦しむだけなんで……」


 歯がゆい思いはあたしに向けてというわけではないようだ。どうも事情は複雑で、彼は相反する気持ちを抱えているらしい。彼もあたしと同じで彪雨ちゃんに可愛くいてほしいのだろうけど、環境がそれを許さないらしい。なんだ、それ。そんなのおかしい。弟くんもそう思ってるんだろう。だけど、どうにもできないんだ。それ故の、歯がゆさ。

 本当にこの子は、姉想いなんだな。そしてそんな姉想いの弟が生まれたのは、“ねーちゃん”が彪雨ちゃんだったからだ。


「ねえ、レオくん。あたしと連絡先交換しない?」


「え?」


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