Ep.8 春雨を解いて君を知らむとす ―― *Shion
「兄貴ー、ちょっと聞きたいんだけどさー」
あたしはリビングのソファでスマホを弄っている兄貴に声を掛ける。本当は兄貴になんて頼りたくなかったけど、いくら考えてもあたしのバカなおつむじゃどうにもわからないんだから仕方がない。
「どうしたー?」
「あのさ、暗号の解読に協力してくれない?」
そう言うと、何々? と俄然興味を示してくる。こうして面白がるだろうから、嫌だったんだけど。
「
「彪雨ちゃんって、この間来てた子だよね? 面白い子だねぇ、こんなこと考え付くなんて」
兄貴も彼女のことは印象に残っていたらしい。まあ、あたしの友達が家に来るなんてこともかなり久々のことではあったから、覚えていても不思議じゃないか。
「これ短歌でしょ? こういうのは、現役女子高生の方が詳しいんじゃないの?」
「いや、あたしバカだからわかんなくて」
「そんなこと言われても俺だってわかんないよ。バカだもん」
バカだもん、じゃねぇよ。使えないな、こいつ。
すると兄貴は、急に真面目な顔になって、さっきまでのお茶らけた雰囲気をさっとしまい込んだ。
「シオンちゃん、あの子のこと好きなの?」
痛いところを突かれた。まさか気付いていたとは。いや、単に鎌をかけてるだけかも。どちらにしても、またあんなことを繰り返すのかと思われたのだろう。あたしだって、そんなことはわかってる。
「あのね、シオンちゃん。別に怒ってるわけじゃないんだ。俺は女の子が女の子を好きになったっていいと思うよ。だけど、相手があることだから。相手の子を悲しませることになるかもしれないし、シオンちゃん自身が傷付くことになるかもしれない。……前みたいにね。だからよく考えて」
言われなくてもわかってる。あたしが普通じゃないんだ。普通じゃないあたしを押し付けても、そりゃあ受け入れてもらえるわけないんだ。だから今回は失敗したくない。間違えたくない。
「……わかってる。だから今回で最後にする。彪雨ちゃんでダメだったら、あたしにはもう無理だって思うことにするって決めたんだ」
兄貴は何か言おうとしたけど、それを飲み込んで優しく微笑んだ。あたしの決意を尊重してくれたんだろう。兄貴のそういうところは好きだ。
「……そっか。シオンちゃんがそう決めたんなら、俺はそれを応援するよ。頑張りな」
「ありがと、兄貴」
「ってわけで、その暗号はシオンちゃんが自分の力で解読した方がいいんじゃない? だって好きな子からのメッセージなんだし。それを俺が解いちゃうのは、シオンちゃんにも彪雨ちゃんにも申し訳ないな」
そう言われると苦しい。確かにこれは、彪雨ちゃんがあたしに向けて送ってくれたメッセージだ。いつの日かあたしが解読することを期待して送ってくれたものなのかもしれない。だったらあたしは、自分の力で解読することでその気持ちに応えた方が良いんじゃないか。そんな風に思わされる。
「いい機会じゃないか。少し勉強にも向き合ったらいいんじゃない? シオンちゃん、受験するつもりはあるんでしょ?」
あたしはバカだけど、大学には行きたいと思ってる。将来の夢も何もなくて、大学でそれを見つけたいと思ってた。だけどそもそも、あたしの頭じゃ大学なんて無理そうで、もう高三になったあたしの時間は刻々と無くなっていって、“諦める”という選択肢がちらつき始めていた。
“諦める”なんて選択肢は、一番嫌いなものだったはずなのに。
「わかった。自分でやってみるよ。ごめん、ありがと、兄貴」
あたしは慌ただしく二階の部屋に戻り、学校の教科書を引っ張り出してきた。古文は一年の時にも二年の時にもやっていた。受験ではやりたくないと思ってたけど、古文を受験で使えるなら、受けられる学校の選択肢も広がる。
もう一度、彪雨ちゃんから送られてきた短歌を見てみる。
〈春雨に とけてゆらゆら 流るれば 君がすくいし 願わざりしを〉
彼女らしい、柔らかくてリズムのある歌だ。
たぶん最初の方は、あの日のことなんだろう。春の雨に打たれていた彼女を見て、あたしも雨に溶けて消えてしまいそう、なんて思ったっけ。雨に溶けてしまった彼女が、ゆらゆら流れていってしまうのを、君――はあたしのことかな、が救ってくれた。
“願わざりしを”ってどういう意味だろう。それを願って……ない? あれ、救ってほしくなかったの? もしかして。これって彪雨ちゃんなりの遠回しな嫌味ってこと……?
いやいや、待て待て。そんなはずないって。ちゃんと調べよう。
“を”は“詠嘆”らしい。“詠嘆”って何だ。
調べても、調べて出てきた用語の意味がわからない。つらい。自分のバカさ加減を痛感する。
“し”は“すくいし”と“願わざりし”で同じなのかな。調べたら、“過去”と出てきた。
でも、さっき考えた意味で大体合っていそうだ。最後の部分はたぶん、願ってもいないのに助けてくれた、みたいな感じなのかな。
彪雨ちゃん、救われたって思ってくれた、のかな。それならいいんだけど。この歌、よくよく考えてみると、あたし自身のことみたいに思える。願ってもいないのに救われたのは、あたしの方だから。あの春雨には感謝しないといけない。彪雨ちゃんにめぐり逢わせてくれたことに。
だけど、これをあたしに送ってきたってことは、彪雨ちゃん自身を表した歌なんだよね、きっと。彪雨ちゃんなりの感謝の気持ちだったのかな。ちゃんと言わずにこうやって遠回しなやり方をするのは彼女らしいな。
それに、奥ゆかしくてお淑やかで聡明な平安のお姫さまのイメージは、彪雨ちゃんにぴったりだ。
久しぶりにちゃんと頭を使った気がして、急に眠気が襲ってきた。これしきのことで頭を使っただなんて、バカみたい。だけどそれに抗えなくて、あたしはベッドに倒れ込んだ。
彪雨ちゃん、進路はどうするか決めてないって言ってたけど、本当はどうしたいんだろう。本当は、やりたいことはあるのかな。家の都合で、夢を諦めようとしてたりするのかな。
ああ、最近毎日ずっと彪雨ちゃんのこと考えてる。今何してるだろう、何を考えてるだろうって。間違いなくあたし、彼女に恋をしてる。
最近は体育祭の準備があって帰りも少し遅いから時間作れないって言ってたし、会うのは体育祭の日までお預けだな。その体育祭も、本当は来てほしくなさそうだったし。
だけど、だからこそ行ってあげたいんだ。見届けてあげたい。認めてあげたい。彼女が自信を持てるように、彼女の魅力を肯定してあげたい。それに見返りなんていらない。たとえ彪雨ちゃんがあたしに振り向いてくれなかったとしても、それでもあたしは――。
眠気が限界になって、気が付けばあたしは夢の中に誘われていた。
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