二片、君見ゆと おもいくるしく さみだれる 我がこころねは みえざらましを

Ep.7 いっそ不幸なら良かったのに ―― *Ayame

 あれから、わたしは詩遠しおんさんと連絡を取るようになり、たまにお互いに時間が取れた時は外で会うこともあった。凪月なつきとすら外で会うなんてことをしたことがなかったわたしは、きっとこれが本当の意味で友達と呼べる存在なのだろうと思っていた。


西修せいしゅうってもうすぐ体育祭だよね? 観に行っていい?〉


 この日も、一通りの家事を終えたわたしは部屋のベッドに寝転がりながら画面を睨みつけていた。


 もうすぐ体育祭があること、何故バレたのだろう。わたしからは一切その話題を出さなかったのに。学校のホームページに行事予定が載っていたりするのだろうか。学校のホームページなんて高校受験の時以来見たことはなかったから、その可能性をすっかり失念していた。


〈嫌です〉


〈何で!? 彪雨あやめちゃん、運動は苦手な方なの?〉


〈どちらかというと逆……ではあるんですけど、中途半端なので、見せられたものじゃないといいますか……〉


 意外に思われることが多いが、わたしは運動は苦手ではない。むしろそつなく何でもこなせてしまう。足だって平均より速い方だ。そのせいで今年はとんでもない災厄を背負わされてしまったから、できれば詩遠さんにはそれを見られたくはなかった。


〈じゃあなおさら観に行きたいよ。別にあたしは、頑張る人をみっともないとか思ったりしないよ? むしろ彪雨ちゃんの周りがそうなら、せめてあたしはそうじゃないって言ってあげたいから、ちゃんと見届けてあげたい〉


 そう言われると、嬉しくて、ついそれに甘えてしまいたくなる。顔を見て話す時も、顔を見ないで話す時も、詩遠さんは同じことを言ってくれる。だから詩遠さんの言葉は嘘じゃないってわかるから、安心できる。


〈そこまで言うなら……。カッコ悪くても、笑わないでくださいね〉


〈笑わないよ。むしろあたし、体操服姿の彪雨ちゃんを見るためだけに行きたいくらいなんだから〉


〈ええ……何ですか、それ〉


 たまに詩遠さんは、こういう変なことを言い出すことがある。まるでおじさんみたいな、ちょっと変態のようなことを。だけれどきっと、悲観的になって空気を悪くするわたしのために、冗談で場を和ませようとしてくれているのだと思っている。気を遣ってくれているのだと思っている。だから、そういうことを言わせてしまっているのは申し訳ないと、その度に思う。


 目を閉じた時、ふと、思い出してしまった。今日、学校であった出来事を。



 ◇◆



 うちの学校はやたらとリレーが好きなのか、体育祭ではリレー種目が三種類もある。同じ学年同士、クラス別で競うクラス対抗リレー。同じ学年同士で、同じ組の男女混合の選抜者で競う学年対抗選抜リレー。全学年の同じ組の男女混合の選抜者で競う、組別選抜リレー。これに加えて徒競走種目もあり、やたらと走る競技が多い。

 リレーの選手は徒競走種目に出られないルールがあり、リレーの選手は選抜でありながら、誰をどの競技に配置するかで勝率を上げ、ポイントを稼いで優勝を目指すらしい。


 わたしは優勝なんてものに興味はないので、この一日をいかに目立たなく、恥をかかずに過ごすかということの方が大事だった。

 そんなわたしに舞い込んだ災厄は、あまりにも突然のことだった。


斎条さいじょうさん、学年対抗出てもらえない?」


 ホームルームの時間を使って、体育祭の実行委員が種目への振り分けを行っていた時に発せられた言葉だった。わたしは断りたかったけれど、上手く言葉が出なくて何も言えなかった。

 そこへすかさず、周囲の追撃が入る。


「えー、いいじゃん。斎条さん、意外と足速いもんね」


「ねー。カッコいいじゃん。せっかくだし、思い出作ろうよ」


 口々に賛同する声が上がり、断りづらくなる。どうも、学年対抗選抜リレーはいわゆる捨て種目になるらしい。わたしなんかが選ばれるくらいなのだから、うちのクラスの戦力は察するに余りあるのだが、それでもできるだけ徒競走種目の方に本当に足の速い人を割いていきたいようだ。


 そしてもう一つ、既に決まっている代表選手が黒板に記されていたが、学年対抗選抜リレーの男子の代表は佐々木ささきくんだった。そこで“思い出”という言葉の意味を理解し、わたしは一層、鬱屈とした気分になった。


 それでも結局、周囲の圧力に断れなくなって、引き受ける形になってしまった。

 周りの思惑なんて知れている。だから嫌なんだ、恋愛なんてものは。


「斎条さん、足速いんだね。頑張ろうね」


 なんて、たどたどしく声を掛けてくる佐々木くん。そもそも彼は、どうしてわたしなんかを好きになったのだろう。そしてどうして、それを周りに話してしまったんだろう。おもちゃにされることなんて、わかりきっているのに。


「タイムがたまたま良かっただけだから、あんまり期待しないで」


 彼の顔も見ずにそう言って、わたしはそのまま机の上に組んだ腕の中に隠れるように顔を伏せた。

 どうにかなってしまいそうだった。耳を塞いでしまいたかった。考え過ぎ、気にし過ぎなのかもしれないことはわかっている。だけれどわたしには、刺すように響く笑い声が堪らなく不快で、この場にいるのが苦しくて仕方なかった。



 ◇◆



 そんなこと、詩遠さんには話せないな。話してほしいって彼女は言うかもしれないけれど、こんなことを話しても、不快にさせるだけだ。いや、彼女ならわたしを心配してくれるかもしれない。慰めてくれるかもしれない。それがわかっているから、この話はするべきではないと思った。


 すると、がちゃりと部屋のドアが開けられた。何事かと思ってはっと身体を起こすと、入ってきたのは玲応れおだった。


「ねーちゃん、コンパス持ってない? って、え、何、どしたの? 泣いてんの?」


 言われて気付いた。知らない間に頬は濡れていて、視界は少しぼやけている。わたしは泣いていたらしい。


「……知らない。コンパスなら持ってるけど……自分のないの?」


 わたしは学校用の鞄から筆箱を取り出して、中からコンパスを取って玲応に渡した。これももう何回目かも忘れてしまうほどのことだから、わざわざ聞いても返ってくる答えはわかり切っていたけれど、何か改善が見られたらと思って一応聞いてみる。


「学校に置いてきた」


 しかし案の定、答えはいつもと変わらなかった。

 目的を果たし、そそくさとわたしの部屋を出ていこうとする玲応の腕を掴んで引き留めて、わたしは少しばかりお説教をすることにした。別に機嫌が悪かったわけではない。今後もこういうことがないように、自衛するためだ。


「あのさレオ、部屋に入る時はノックとかしようよ。今度からおまえの部屋に入る時もそうするよ? それでもいい?」


「ごめんって。見ちゃいけないところだったんでしょ?」


「別に、いけないわけじゃないけど……」


 話が長くなりそうだと思ったのか、玲応はわたしの机から勝手に椅子を引っ張り出してきて座る。


「彼氏とケンカでもした?」


「……彼氏いないって」


「あれ、そうなの? なんか最近変だから、そうなんだと思った」


 確かに最近は詩遠さんと連絡を取り合うことが多くなったから、以前と比べて弟たちに構うことは減ったかもしれない。それを変だと言われ、あまつさえ彼氏ができたのだと思われていたかと思うと心外だ。


「ねーちゃんさ、死ぬ前に相談してくれよ? 勝手に死ぬなよ?」


「死なないよ……。何でそう極端なの?」


 弟に心配されるほど、そんなに悲壮感漂って見えるのだろうか。それなら確かに、あの日、詩遠さんがわたしに声を掛けてくれたのも頷ける。詩遠さんももしかしたら、あのままわたしが死んでしまうのではないかと思ったのかもしれない。


 ――間違ってはいない、と思う。だけれど、その四文字・・・を口にしてしまうのは、思ってしまうのは、本当に耐えられなくなった時だけにしたい。言葉には力があって、それを思い浮かべてしまったら、本当にそうなってしまいそうな気がするから。

 だからわたしはあの日、雨になりたかった・・・・・・・・んだ。


「だって、いつも今にも死にそうにしてるんだもん。ひょっとしてオレのせい?」


「心当たりがあるんならそうなんじゃない?」


「ちぇっ、そうかよ」


 不貞腐れたように言うが、すぐに真剣な顔になってこちらに向き直る。相変わらず、こういう時の切り替えの早さは恐れ入る。


「あのさ、真面目な話。せっかく姉弟なんだから、相談とかしてくれても良いと思うんですよ。オレら別に、姉弟仲は良い方じゃん? 割と。今だから思うけどさ、ねーちゃん反抗期なかったのヤバすぎだって。自分が今そうだからわかるけど、絶対無理してんだろ。女子特有の悩み的なのは力になれないかもしんないけどさ、話すだけ話してくれても良いんじゃね、とは思うんですよ。死ぬなら死ぬで、死にますって死ぬ前に言ってくれ、頼むから」


 姉弟なんだから、か。これも、いつかは話さなくちゃいけないことだ。そんな秘密を抱えたままのわたしの話でも、聞いてくれるだろうか。


 それにしても、随分といい子に育ったものだ。不器用だけれど、真っすぐで、優しい。死にますって言ったら止めてくれるのだろう。それがわかっているから、本当にそうなった時はきっと言えないだろうな。


「だから、死なないって。でも、レオの言いたいことはよくわかったよ。ありがとう。全部話すとは言わないけど、相談できることは、相談するようにするよ。それよりも、あんまりねーちゃんを困らせないでくれる方が嬉しいけどな」


「わかってるわかってる。じゃあそういうことで」


 都合が悪くなったのか、手をひらひらさせながら部屋を出ていこうとするので、その背中に一言言いつけておく。


「コンパス、終わったらちゃんと返してよ?」


 わかってる、という声だけ聞こえて、玲応はさっさと自分の部屋に戻っていってしまった。たぶん返ってこないだろうから、明日の朝もう一度言っておこう。

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