Ep.5 いたいけな君に秘めやかな告白を ―― *Shion
「シオンちゃぁーん! お客さんだよぉー! たぶん」
一階からクソ煩い兄貴の声がして、ぱたぱたと階段を駆け下りる。
兄貴は玄関で待っていて、いつも通りヘラヘラした笑みを浮かべていた。あたしはそんな兄貴にお客さんなる人物の特徴を聞くことにした。今日は別に、誰かと約束していたりはしない。お客さんと言われても心当たりはなかった。
――いや、一つだけある。もしそうだったらと思うとそわそわしてしまうから、それを先に確認しておきたかった。
「お客さんって?」
「うーん、シオンちゃんよりちっちゃい感じの女の子」
「黒髪で、こんくらいの長さ?」
あたしは自分の胸下くらいを手で示す。
「そうそう」
「なんか今にも死んじゃいそうな、儚げな感じの」
「そうそう! ぶつかっただけで殺しちゃいそうな感じの」
これはビンゴだな。ああ、どうしよう。どんな
あたしは玄関のドアを開けてみる。と、やはりそこにいたのは、不安そうに隅っこで縮こまっている
「彪雨ちゃん! 来てくれたんだ、ありがとう!」
「ああ、えっと……お借りしたものを返しに。……あの、そちらの方は?」
おずおずと彼女が指を差す方を見れば、にこやかな笑顔を浮かべた兄貴が背後に立っていた。
「これ? うちの兄貴。似てないでしょ」
その瞬間、彪雨ちゃんが驚いたように一瞬 目を見開いて、すぐに緊張を解いたようにほっと息を吐いた。それはどういう反応なんだろう。彪雨ちゃんはこいつを何だと思ったんだろう。
いつまでも居続ける兄貴を、用がないなら入ってろ、と家の中に追い返して、彪雨ちゃんを迎え入れる。
この前強引に連れ込んだ時と違って、彼女はお上品に脱いだ靴を揃えて玄関に上がる。リビングには兄貴がいるから、今日は二階のあたしの部屋へ案内する。がさつに足音を立てて上がるあたしと違い、彪雨ちゃんは静かにお淑やかに上ってくる。
あたしの部屋に入って適当に座ってもらうと、彪雨ちゃんは早速手に持っていた紙袋を手渡してきた。中を確認すると、この間あたしが貸した服だった。
「その節は、ありがとうございました。これも、良かったら、と思って……」
そうしてカバンから取り出したのは、お弁当箱くらいの小ぶりな缶。表には動物のイラストが描かれており、どうやら中身はクッキーらしい。
「そんな、いいのに! でもありがとう!」
本当に、よくできた子だ。こんな子がどうしてあんなことをしていたのか、ますますわからなくなる。
「せっかくだから、一緒に食べようよ」
「え、いや、それは
案の定、強く遠慮された。この謙虚を通り越した卑屈さは、一体どうやって生まれたんだろう。あたしは俄然、彪雨ちゃんのことが知りたくて仕方なかった。もっと彪雨ちゃんに近付きたい。もっと彼女と特別な関係になりたい。そんな欲求が、彼女を見ているとどんどん加速していくような気がした。
「あたしが彪雨ちゃんと食べたいんだけど、それでもダメ?」
「……それなら、まあ、仕方ないですね」
彪雨ちゃんも納得してくれたので缶を開けると、一口サイズのクッキーが何種類も入っていた。まるで小さな宝石箱のようで、彼女らしい可愛らしいチョイスだと勝手に納得してしまう。
「彪雨ちゃん、
西修はこの辺りじゃ一番の進学校だから、制服を見ればすぐにわかる。大体の人は卒業後は大学に進学して、自分の夢を堅実に目指すと聞く。彪雨ちゃんもきっとそうだろうなと思って、軽い気持ちで聞いてみた。どこか儚げでふわふわした印象のある彼女は、子どもや動物に関わる仕事とか向いていそうだなと勝手に思っていた。
それだけに、あたしのその一言が彼女の表情を露骨に曇らせてしまったのは思いがけないことだった。
「ああ、ごめん! 彪雨ちゃんは雨になりたいんだったよね?」
咄嗟にバカを言って場を和ませようとしたが、これはむしろ火に油を注ぐような愚行だったと言ってから気付いた。どうにかして取り繕う前に、彪雨ちゃんはただでさえじめっとした眼をさらにじとっとさせて、こちらを冷たく睨む。そんな眼差しも可愛らしくて、だけれど彪雨ちゃんに嫌われるのは嫌で、二重の意味でゾクゾクしてしまう。まるで変態みたいだな、あたし。
「……バカにしてます?」
「してないしてない!」
慌てて否定すると、彪雨ちゃんはふっと口元を緩めて微笑んだ。どうやら怒っているわけではないらしい。
「わたしが嫌そうな顔をしたから、ですよね。すみません、気を遣わせて」
「ううん、ごめん、あたしの方こそ。無神経に聞いちゃって」
あたしみたいなバカはともかく、進学校だったら進路の話はデリケートな話題なのかもしれない。大学に行くにしても、指定校推薦の枠を取り合ったり、国公立に行くか私立に行くかで費用の面も変わってくるので親からもいろいろ言われるだろうし。
「わたしは将来どうしたいか、まだ決まってないんです。大学に行くかどうかも考え中で……。行くにしても、家から通えるところじゃないとって考えると、国公立はどこも偏差値高いですからね……」
当たり前のように話されるが、当たり前のように大学に行くなら国公立ということらしい。
「一人暮らししたくないの?」
「したくないってわけではないんですが……。わたし、弟がいるんですけど、親が共働きで、弟たちの世話とか家のこととか、わたしがやることが多くて。だからわたしがいなくなったらこの家はどうなるのかなとか、この子たちはどうなっちゃうんだろうとか、そんな心配ばかりしちゃって……」
彪雨ちゃん、弟いるんだ。いいなぁ、あたしも彪雨ちゃんの弟になりたかった……!
それはさておき、よその家の事情をあれこれ言いたくはないけど、彪雨ちゃんの負担が増えて自由に進路を選択できないのはおかしいと思う。子どもの面倒を子どもに見させるなんて、親としてどうなんだろうか。
「そっかぁ。それで雨にねぇ……」
「その話はもういいじゃないですか……!」
彪雨ちゃんは恥ずかしそうに顔を赤らめながら誤魔化そうとする。自分のしていたことを思い出して恥ずかしいと思うようになったのなら、たぶんまた同じことはしないだろう。少しだけ安心した。
「ねぇ、彪雨ちゃん。ちょっと口開けてみて?」
「え、何ですか、急に……」
警戒して口を開けようとしない彼女に、あたしはちょっぴり意地悪をする。
「いや、あたしの勘違いならいいんだけど……」
そうやって何か考えてる風に言葉を濁すと、不安になった彪雨ちゃんが少し口を開けてみせてくれた。
「な、何ですか……?」
あたしはその口に、クッキーの一つを放り込んでやった。
「彪雨ちゃん、全然食べてないでしょ。一緒に食べようって言わなかった?」
彼女は何か言いたげな顔でこちらを見つめてくるが、律儀に口の中のものを飲み込むまで話そうとはしない。やがて咀嚼し終えてごくんと飲み込むと、ようやく恨み言を言ってきた。
「何かと思ったじゃないですか。確かに、わたしも悪かったですけど……」
「このクッキー美味しいじゃん。美味しいものは、一緒に食べた方がもっと美味しいんだよ?」
そう言うと、彪雨ちゃんはまるで自分が褒められたように照れ臭そうにしていた。この間は透き通るような繊細な子だと思ったけど、嬉しいことも嫌なことも、意外とすぐ顔に出るみたいだ。
「そのクッキー、わたしが好きだからって勝手に選んじゃったんですけど、そう言ってもらえて嬉しいです」
「好きなものを共有できるのっていいよね。彪雨ちゃん、お家でもきっと大変だろうし、自分自身の進路のこともいずれは考えなきゃいけなくて、それで親とも向き合わなくちゃいけなくて、それも大変だと思う。だからさ、一人で抱え込まないで、あたしにも話してよ。力になれないことの方が多いかもしれないけど、あたしは彪雨ちゃんと、そういう話ができる友達になりたいよ」
本当は、友達だけで終わりたくない。あなたを一目見た時から思っていた。きっとあなたなら、あたしを救ってくれるって。
「何で、そこまで……。それって詩遠さんに、何の得があるんですか?」
「得かぁ……あたしにとっては、彪雨ちゃんとお話しすること自体がもう得なんだけどな。強いて言うなら、あたしとは違う考えで、あたしとは全然違う人生を歩んでいる彪雨ちゃんのことを、もっと知りたいから、かな」
あたしとしては、これはもうほとんど告白なんだけど、彼女はそうは受け取らないんだろう。だからこんなにさらっと言えたんだ。でもいつかきっと、ちゃんと彼女にもわかるように、この気持ちを伝えられる日が来たらいいな。
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