Ep.4 会いたしと思えども君は遠すぎて ―― *Ayame

 翌日、わたしは詩遠しおんさんに借りた服を返そうと思っていた。

 昨夜は何とかお母さんには隠し通せたものの、いつまでも家に置いておけば見つかるのは時間の問題だ。今日の放課後にでも返せたらと思って、紙袋に入れて学校まで持ってきていた。


 詩遠さんの家までの道は覚えているし、迷うことはない。そう思っていざ行ってみて、呼び鈴の前で固まってしまう。表札の名は合っている。昨日帰る時に確認しておいたから、ここで間違いない。だけれど、何と言ったらいいだろう。

 うじうじと悩んだ挙句、心を決めて呼び鈴を鳴らしてみたものの、返事はなかった。


 わたしは仕方なく、ここから少し離れた団地の中にある公園に立ち寄ることにした。ここからなら彼女の家も見えるし、彼女が帰ってきたら気付くだろう。


 あれだけ悩んだのにバカみたいだ。いつもそう。悩んだって、空回りすることが多い。本来はそんなに悩むようなことではないのだろう。わたしが考え過ぎ、気にし過ぎなのだ。それでもそういう性分だから、なんて言い訳して、わたしはずっと変われない。


 ――変わりたい、のかな。


 ふと、手元の紙袋の中に目を遣った。いつものわたしなら絶対しないような恰好。太狼たろうも驚いていたし、玲応れおにも“エロい”恰好だと言われた。わたし自身も、正直こんな恰好は似合わないと思った。だけれど詩遠さんは、似合ってると言ってくれた。

 あれは本心だったのだろうか。そんなことまで疑い始めてしまう。自分の容姿について、周りからの客観的な評価を受けたのは数えるほどしかない。そんな中で自分の容姿の良し悪しや似合う似合わないを決めつけるのは良くないのかもしれない。けれど、少なくとも、“わたしの性格には合っていない”と思った。きっと詩遠さんは、わたしのことを知らないから――。


 そんなことを考えていると、視界の隅に人の気配を感じた。視線を向けてみると、どうやら詩遠さんが帰ってきたらしい。立ち上がって声を掛けに行こうとして、わたしはまた腰を下ろした。むしろ、見つかりたくないと思って身体を縮こまらせる。


 詩遠さんは、歳の近いくらいの男の人と帰ってきたのだ。そして仲良さそうに、一緒に家に入っていく。借りたものを返すだけ。たったそれだけのことなのに、この状況で声を掛けるなんて、わたしにはできなかった。


 別に、ショックを受けるようなことではない。あんなに優しくて気立てが良くて、美人な彼女に彼氏がいないわけがないのだ。少し考えればわかることだ。というより、そんな当たり前のことに何をショックを受けているのだろう。


 たぶん、彼女にショックを受けたのではなくて、わたし自身と比べてしまって悲しくなったのだ。歳もそう変わらないはずなのに、わたしとは全然違って、別の世界で生きているような彼女に勝手に憧れのようなものを抱いていた。そして自分の現在地を再確認させられるようで、勝手に絶望しただけだ。

 少し違うかもしれないが、昨夜玲応が言っていたのは、こういうことだったのかもしれない。


 ああ、本当にバカみたい。やっぱり上手くいかないな。



 ◇◆



 結局その日は詩遠さんに服を返すことができず、わたしは翌日も例の紙袋を学校に持ってきていた。やはりこれ以上家に置いておくわけにはいかない。彼女の家の玄関口に置いてでも、今日中にこれを返してしまわなければと思っていた。


「アヤちゃん、それは単純に、嫉妬しちゃったんじゃない?」


 昼休みになって、唯一とも言えるわたしの友達――宮下みやした凪月なつきは、わたしの話を聞いてそんな風に茶化してくる。

 わたしはクラスにも学校にも、彼女くらいしか話し相手になってくれる人がいないから、彼女には何でも話してしまっていた。今回の件も、大まかな事情を話したらそんなことを返されたのだ。


「そんなことないよ。別にわたしは、彼氏が欲しいだなんて思ってない」


 わたしは理想が高いという自覚がある。わたしが求める条件を満たす男がそうそういないのも理解している。だから、わたしは彼氏が欲しいとは思わない。安直な思いで“彼氏”という存在を手に入れたいとは、思えない。

 しかし凪月から、思いもよらない返しをされる。


「そっちじゃなくて、彼氏さんの方にだよ」


 どういうこと? と聞き返すと、彼女は大儀そうに説明してくれた。


「せっかく友達になってくれそうな人に出会えたのに、その人にはもう自分より大事な人がいて、寂しくなっちゃったんじゃないの?」


 そんなこと――ないと言えるだろうか。

 “友達”を、彼氏に取られたような気がして、彼女はもうわたしを見てくれないんじゃないかと思って――寂しかったのだろうか。


「図星かぁ~? っていうか、本当に彼氏いらないの? もったいない」


「もったいないって、何が?」


 彼氏がいたほうが、人生が楽しいとか、学校生活に彩りが~とか言い出すのかと思ったが、そういうわけではないらしい。そんなことよりも、もっと聞きたくない話題を彼女は持ってきた。


 凪月は意味深に微笑んで、わたしの耳元に顔を寄せて囁いた。


「だってここだけの話だけど、佐々木ささきくん、アヤちゃんのこと好きらしいよ?」


 聞きたくなかった、そんなこと。

 別に佐々木くん自体は嫌な人ではないけれど、彼の好意を利用して始まる“恋愛”という名の群像劇に巻き込まれるのはごめんだった。彼がわたしを好きらしいから何なのだ。放っておいてあげればいいだろう。わたしに伝えなくていいだろう。それは当人たちが考え、行動するべきものだ。外野にとやかく言われることではない。


 だから嫌なんだ。佐々木くんは告白してくれる気があるのかないのかは知らないけれど、クラス内カーストも低いわたしが彼を振ったなら、彼はどんな目に遭うだろう。“斎条さいじょうなんかに振られた哀れな奴”と、惨めな目で見られるのだろうか。それとも何で振ったのかとわたしが責められるのだろうか。きっと彼の告白をわたしが受け入れても、“斎条なんかと付き合っている”という枕言葉が彼について回ることになるのだろう。

 どう転んでも、誰かが不幸になる。だから恋愛は嫌なんだ。


「……そっか」


 わたしはぱたんと机に突っ伏した。胃が痛くなってきた。もう何も考えたくない。


 ふと横を向けば、くだんの佐々木くんと目が合った。何人かの友達と談笑しているようだけれど、視線だけこちらを向いていた。こんな時、どんな表情かおをしていいかわからなくて、わたしはそのままじっと見つめてしまっていた。そうしたら、佐々木くんの方からふいと視線を外した。この場合はどうしてあげるのが正解だったのだろう。




 放課後になって、わたしは今日も詩遠さんの家に行くことにした。今日こそは、着替えを返さなくては。今日は会えなくても、玄関の扉に引っ掛けてでも置いて帰ろうと思った。


 そうして呼び鈴を鳴らそうとすると、後ろから声を掛けられた。


「君、どうしたの? 何か用事?」


 こんな不測の事態イレギュラーは想定していなかった。振り返れば、昨日見かけた詩遠さんの彼氏がそこには立っていたのだ。間近で見れば随分と背も高くて、恐らく歳はわたしよりもずっと上だ。

 染めた明るい髪から覗く耳元にはピアスが光る。一見爽やかに見えて、内に獰猛さを秘めた笑顔を振りまいてくる。一般的にはこういう人をイケメンと言うのだろう。だけれど今のわたしは、この状況が恐ろしくて仕方なかった。今すぐにでも、ここを抜け出したい気分だった。こんなところ、詩遠さんに見られでもしたら……。


「もしかして詩遠の友達かな? たぶん家にいるだろうから、呼んでくるよ」


「あ、いえ、わたしは……」


 引き留める間もなく、彼は玄関の扉を開けて中に入っていってしまった。鍵はかかっていなかったようで、まるで自分の家かのように自然に入っていく。


 詩遠さんが来る前に紙袋を置いて立ち去ってしまおうかとも思ったけれど、せっかく詩遠さんがいるというのに逃げるように立ち去られては、彼女もいい気はしないだろう。わたしはどうすることもできず、その場に立ち尽くすしかなかった。

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