Ep.3 向けられた愛は毒か薬か ―― *Ayame
気付けばすっかり遅くなってしまっていて、わたしは急いで家に帰った。
家に帰る頃には時間もだいぶ遅くなってしまい、外は日も暮れて暗くなってしまっていた。
「ただいま」
家には人がいるはずなのに、誰もその声に答えてはくれない。と思ったけれど、弟の
「どうしたの? タロち。またレオにいじめられた?」
「アヤメちゃん、遅いよ。未読無視するし」
少し不貞腐れたように言いながらも、太狼はわたしの手を引いて部屋に連れていく。わたしも部屋に荷物を置きに行くからいいけれど、玲応に意地悪をされた時は決まって少し甘えん坊になるのは、いい加減十歳にもなるのだから改めさせないといけないのかもしれないな。
「ごめんね、ちょっと色々あって」
「どしたの? そのカッコ。学校じゃなかったの?」
不思議そうな顔をして、わたしの恰好を上から下まで眺めまわしている。そういえば、あれから詩遠さんの服を着たままだった。いつものわたしとはだいぶ趣の違う装いで驚いたのかもしれない。
「えーっと……ちょっと色々あって……。っていうかタロち、暗くなったらカーテン閉めてっていつも言ってるでしょ」
「あっ、ごめんなさーい」
太狼は謝罪の言葉を吐きながら、慌ててわたしの部屋を飛び出していった。そしてわたしの言いつけを今更ながら守ったのか、カーテンを閉める音が聞こえてくる。
時間も時間だから、先にご飯を作ってあげないといけないかな。お風呂はその後で入ろう。
そう思ってキッチンに行くと、キッチンのカウンターから覗き見えるリビングには、ソファに寝転がってスマホを弄る玲応の姿があった。
「おかえりー。ってあれ、何その恰好。いじめられてんの?」
玲応はちらとこっちを見ただけのはずが、いつものわたしと違うことに気付いてか、がばっと身体を起こす。
てっきりデートかと茶化されるかと思ったが、最初に思い付くのがそれか。わたしは普段から、彼にどう思われているのだろう。
「何でそうなるわけ? 別に何でもないから。それより、あんたまたタロちいじめたでしょ。いい加減にしなよ、大人げない。それと、暗くなったらカーテン閉めて」
もう中学三年生になるのに小四の弟と喧嘩するなんて、恥ずかしくないのだろうか。
わたしに小言を言われたのが気に食わなかったのか、玲応は不貞腐れたようにわざと聞こえるようにため息を吐いて、ソファに倒れ込んだ。
「何でオレばっかり。タロちにも言えよ」
「もう言ったよ」
「そうですか」
そう言いながら、結局動かない。だから仕方なく、炊飯器をセットしてからわたしがカーテンを閉めた。
「っていうかその恰好ヤバくね。スカート短すぎじゃない? エッッッロ!」
リビングのカーテンを閉めていると、ソファに寝転がる玲応がわたしを見上げてそんなことを言う。普段の彼ならば、わたしのファッションに口を出すことなんてなかった。いや、おかしいのはわたしの方だ。いつもと違う恰好をしているのだから。周りもいつもと違う反応になっても何もおかしいことはない。
そうは言っても、自身の姉を見て“エロい”と評すとは思わなかった。彼も年頃の男の子なのだから、身近な異性としてわたしを多少なりとも意識しても仕方ないと思ってはいた。だから家の中でも露出の多い恰好で歩き回るなんてことも極力避けてきた。わかってはいたけれど、いざそうして口に出されると、少し複雑な気分になる。
「やめろ、姉をそういう目で見るな……!」
「そういうんじゃないけど……ねーちゃんもそういう恰好するんだと思って。なんかショックだわ」
意外な反応だった。わたしが“エロい”恰好をするのは、玲応にとってみればショックだったのか。わたしは彼の中で、どういう存在として位置づけられていたのだろう。そして不本意ながらそれを壊してしまったのは、少しだけ申し訳ない。
「……ショック? 何で?」
「なんかこう、さ。いつかはねーちゃんにも彼氏できるんだろうなとは思ってたけど、なんか急にそれが現実味を帯びてきてつらい」
その言葉の意味を、わたしは理解しかねていた。姉弟仲は、特別良好というわけでもない。会話を交わす頻度もそれなりで、まともな言葉で会話ができるくらいの関係というのは比較的良好ではあるのだろうけれど。それでもわたしも彼も少しずつ大人になって、接する機会も減って、距離感も変わった。昔は玲応も、今の太狼みたいによく懐いていたのに。そのうち太狼もこうなってしまうのかと思うと少し悲しくもあった。
「おまえ、そんなにわたしのこと好きだったっけ?」
「別に好きとかじゃねぇから。……身内のそういうの、なんかちょっと嫌じゃん」
わたしは別に、玲応や太狼に彼女ができても祝ってあげたいけれど。それがちゃんと、彼らを愛してくれる人なら。もし彼らを弄んで捨てるような悪女なら、その女はわたしが殺す。玲応の言っていることは、そういう感覚に近いのかもしれない。
「ふぅん、そういうもん? まあでも、そういうのはしばらく先の話だと思うよ」
「だろうね」
なんて、玲応はくくくっと意地悪く笑う。
「今日の洗い物、おまえやれよ?」
「はぁ?! 何で?」
「カーテン閉めてなかった、タロちのこといじめた、ねーちゃんのことエロい目で見た。他に理由必要?」
「……最後のは
舌打ちをしながらもそれ以上文句を言わなかったので、了承したらしい。
わたしが作った夕食を姉弟みんなで食べ終えて、わたしはさっさと洗濯機を回してしまうことにした。できればお母さんが仕事から帰ってくる前に、この服を洗濯して、乾燥機にかけてしまいたかった。
本当は制服はアイロンまでかけてしまいたかったが、恐らくそんな時間はない。明日は多少しわになってしまっていても、それを着ていくしかないか。
玲応と太狼が入った後の浴槽の湯を温め直して、それにゆっくりと身体を沈める。今日は一度温かいシャワーを浴びたからか、いつものように熱が身体をほぐして染み入るような感覚がない。
詩遠さん家のお風呂は綺麗だったな。うちのお風呂も近々掃除しないと。
洗濯が終わったタイミングでお風呂から出て、乾燥機をセットする。髪を乾かしている間に終わってくれたらいいな。
そう思って部屋でドライヤーの風を浴びていると、太狼が部屋にやってきた。また玲応に意地悪されたのだろうか。
「僕もう寝るから。おやすみ」
気付けばもうそんな時間だったようだ。太狼はまだ小学生だから、わたしや玲応よりも早く寝かせている。わたしの帰りが遅くなったせいで、ご飯も遅くなってしまったのは申し訳なかった。
「あ、うん。ごめんね、今日は遅くなっちゃって」
すると、何を思ったのか太狼はわたしの方に寄ってきて、化粧水を顔に塗りたくっているわたしに抱き着いてきた。
「どうしたの?」
「今日、帰ってこないのかと思った」
そう言われないと、わからなかった。そんな自分が恥ずかしくなってくる。わたしは、わたしだけのわたしではない。いや、わかっている。だからわたしは、雨になってしまいたかったのだから。
だけれどこうして寂しさや悲しみを正面切ってぶつけられると、わたしのしたことは間違っていたなと思う。
わたしが何もかもから逃げてしまうということは、彼らを見殺しにするということだ。それをわかっているようで、わかっていなかった。
「今日はごめんね。遅くなっても、ちゃんと帰ってくるよ」
「本当に? 絶対いなくならない?」
「いなくならないよ」
泣きそうになっている顔に、わたしは手に付いた化粧水を塗りたくってやった。太狼もされるがままに顔を揉まれて、嫌そうにはしない。
「よかった。おやすみ」
「うん、おやすみ」
満足したのか、彼は部屋に帰っていった。
改めて見た鏡の中には、自分によく似た酷い顔が映っていた。
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