Ep.2 壊れるとわかっていても夢を見る ―― *Shion

 しばらくすると、ドアの影に隠れるように、彼女が少し開いたドアの隙間からひょこりと顔を覗かせる。


「どうしたん? サイズ、ダメそう?」


「あー……いえ、サイズは大丈夫そうなんですが……」


 その表情を見るに、恥ずかしいんだろう。着るものがこれしかないんだから着たけど、その姿のまま人前に出るのはちょっと……なんて思っていそうだ。


「こういうの、着るんですか?」


 何だかキツいカウンターを食らった気がした。そうだ。彼女が人前に出ていくのが恥ずかしいと思っている服は、あたしの服なんだ。それって、あたしは人前に出ていくのが恥ずかしいような恰好を、普段してるってこと……?

 いやいや、彼女が初心うぶなだけ。別に特別恥ずかしい恰好なんかじゃないはずだ。


「なんかごめん……。あたしのセンス壊滅的で」


 そう言うと、申し訳なさそうに彼女はそろそろとこちらにやってくる。フリルの付いたシフォンのブラウスに、ひらひらと揺れる丈が膝よりいくらか上のスカート。思った通り、似合っていると思うんだけど。まあ彼女は、普段絶対こんな恰好はしないんだろう。


「センスが悪いってことはないと思いますけど……わたし、こういうの似合わないから」


 あたしが座っているソファまでやってきて、そっと隣に座ってくれる。どうもスカートの丈を気にしているらしい。乾いたらタイツだけは履くと、謎に宣言された。


 表情を見るに、謙遜しているわけではなくて、本気でそう思っているらしい。自分に自信がないんだろうか。だから、あんな扇情的な――今にも壊れてしまいそうな様子であんなことをしてたのか。


「いや、めっちゃ似合ってるよ? 可愛いって。ほら、こっち向いて?」


 ちょっと気持ち悪いおじさんになったつもりで、指でフレームを作って少し低いアングルから覗き込むと、彼女の手があたしの視界を遮った。


「……やめてください、そういうの」


 恥ずかしそうにしながらも、あまり悪い気はしていないらしい。まるっきり自信がないというわけでもないようだ。可愛いだなんてこと、あまり言われ慣れてないだけなのかもしれないな。もったいない。


 少し空気も和んだところで、このままずっと彼女を愛でていたい気分ではあったけど、そろそろ本題に入らないといけない。


「えっと、さ。あれって何やってたの?」


 彼女はあたしから視線を外して少し考え込み、やがて口を開いた。


「雨になりたかったんです」


 思わず耳を疑った。頭の良い奴の考えることはマジでわからん。この子、こう見えて電波系なのか? そんな疑問符まみれの頭の中が表情にも表れてしまっていたようで、彼女は自嘲気味に苦笑して、もう少し詳しく話してくれた。


「周りもうるさくて、頭の中も煩くて、何も考えたくなかったんです。ずっとあのままでいられたらって思ってたら、わたしは雨になりたいのかもしれないなと思ったんです」


 それでもいまいち要領を得ない。特に後半が意味不明だ。でも彼女のそんな考えを否定したくなくて、あたしはよくわかってもいないくせに、そっか、なんて呟いた。


「逆に、どうしてわたしにこんな、良くしてくれたんですか? 見るからに奇人だったのに……」


 妙なことをしている自覚はあったらしい。だけど、あたしもどうして自分が彼女に手を差し伸べようと思ったのかはわからない。彼女が消えてしまってほしくなかったから、というのが本音のような気もするけど、それはそれで、彼女の理屈と同じくらい意味不明だ。


「あたしは君が、雨の妖精さんなんじゃないかと思ったんだよ。だから人間で安心した、って感じかな」


 ほとんど本音の話だったが、今度は逆にあたしの方が怪訝そうな眼を向けられてしまった。きっと今頃、この女は電波系なのか? と思っていることだろう。お互い様なんだけどね。


「……何言ってるんですか?」


「いや、あんたに言われたくないよ! そうだ、あなた名前、何ていうの? あたしは詩遠しおん。好きに呼んでいいよ」


 さっきから呼び名が定まらないなと思っていたら、まだ名前も聞いていなかったことに、今更ながら気付いた。

 あたしは、名乗るときに名前しか名乗らないことで、強制的に相手に下の名前を呼ばせるという高等テクを使った。そうでもしないと、彼女のような子は一生かかっても名前を呼んでくれない気がしたから。


「詩遠さん、ですか。わたしは……斎条さいじょう彪雨あやめです」


「アヤメって、どう書くの?」


 彼女がスマホのメモ帳で漢字を見せてくれた。女の子にしては珍しい漢字だ。っていうかそもそも、一発で読める人は少ないだろう。あたしも、この漢字は何て変換したら出るのかわからない。


「雨って字入ってるんだ。やっぱり雨の妖精なの?」


「……違いますよ。今回は、その……たまたまですから」


 段々と、自分のやっていたことを思い返すと恥ずかしくなってきたらしい。彪雨ちゃんは、ばつが悪いようにふいと視線を逸らした。


 そんな時、乾燥機から間の抜けた機械音がここまで届いた。そして同時に、彪雨ちゃんが小さく声を漏らす。何を言ったのかはわからなかったけど、どうやらスマホに何かメッセージが届いていたようだ。しばらく通知も確認していなかったんだろう。


「あの、詩遠さん。わたし、そろそろ帰らないと……」


「ああ、うん。今ちょうど乾燥終わったから、持ってくるね」


 もう、帰ってしまうのか。名残惜しいような気がして、彼女を困らせてでもここに閉じ込めておけないかなんて考え始めて、それを振り払った。

 脱衣場の乾燥機から彼女の着ていた服を取り出す時に、何だかいけないことをしている気がして、頭の中に浮かんだ邪な思考も振り払った。


 そうしてほとんど無心になって、紙袋に彼女の着替えを入れてあげて、居間に戻ってくる。


「何から何まで、ありがとうございました。着替えはまた、洗って返しに来ますね」


 紙袋を受け取った彪雨ちゃんは、ぺこりとお辞儀をして玄関の方に向かう。彼女を見送ったあたしは、ぺたりと玄関に膝から崩れた。


 また、来てくれるんだ。彪雨ちゃんが、うちに。それを思うだけで、こんなにも心が満たされる。


 ――いけない。それはわかってるのに。

 この鼓動の逸りの正体だってわかってる。自分に嘘は吐けない。どうせまた同じ結果になるだけ。あたしもあの子も不幸になるだけ。あたしのワガママで、みんなを不幸にする。そんなことはわかってるのに――それでもあたしは、どうしようもなく焼き付いて離れないあの子の姿を思い返してしまう。


 彪雨ちゃんだって変わった子だ。普通じゃない。だから、普通じゃないあたしを受け入れてくれるかもしれない。もしかしたら――そのほんの一握りかもしれない、ほんの一つまみかもしれない望みに賭けて、あたしは決めた。

 もしもあの子でダメだったなら、あたしはもう、ひとを好きにはならない。


 あたしにとって最後の恋になるかもしれないこの恋が、あの子の心を壊してしまわないようにと、せめてそれだけは叶ってほしいと祈るばかりだった。

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