最善手じゃなくても

成田紘

世界を壊せ

 最善手を指し続けていればいいのだと、ただそう思っていた。


 


 将棋部所属だと言うと、だいたい決まって「地味」「眼鏡」「オタク」「おぢ」――そんな評価が返ってくる。


 否定はしない。

 確かに俺は地味眼鏡だし、将棋マニアの父に七歳で教わって、気づけば十年。

 放課後も休日も盤の前に座ってきた俺は、どう考えても将棋オタクだ。


 ……おぢじゃないけどな。


 某将棋漫画のヒットと若手棋士の台頭でイメージは多少マシになったらしいけれど、先週、数合わせで参加した合コンは、そんな期待を軽々と裏切った。


 初めての合コン、ほんのちょっぴり期待に膨らんだ胸は、先述の理由から開始十分でぺしゃんこになり、俺は女子の恐ろしさと自分の場違いさを学んだ。


 結局、俺の居場所は盤の前だけらしい。


 


 俺の名は角田かくた竜馬りゅうま

 自分で言うのもなんだが、将棋は強い。

 大会に出ればそこそこ勝つし、顧問からも期待されている。

 定跡も詰将棋も嫌いじゃないし、研究もそれなりにやってきた。


 盤面を見れば、だいたいの流れは読める。

 玉の位置、駒の効き、守りの薄い筋。

 この局面なら、ここを突く。

 そうすれば、数手先で形勢がこちらに傾く。

 長く指していれば、盤の上に残る情報から、次の手触りが自然と分かるようになる。


 そうやって指し続けているうちに、俺の将棋は、いつの間にか堅くなった。


 負けにくいけれど、面白味のない将棋。

 十年かけて作り上げた俺の将棋は、気づけば、自分でも驚くほどつまらないものになっていた。


 そんな将棋、指し続ける意味あるのかな。

 最近、さっぱりやる気が出ない。


 


 学校祭の日も、そんな感じだった。


 


 将棋部の出し物は二つ。

 小学生や初心者向けの詰将棋と、自由対局スペース。

 正解すれば駄菓子がもらえる詰将棋コーナーには、家族連れが集まっている。

 その隣で「部員と対局できます」という札を出し、俺は盤の前に座っていた。


 何局か指して、全部勝った。

 悪くない。

 けれど、胸が躍るような対局はない。


 ――こんなのが、俺の将棋なのか。


 考えないようにしてたけど、俺は自分の将棋に、いてしまっているのかもしれない。

 ふっと短く息を吐いたとき、俺の前に一年生と思われる男子生徒が座った。




「お願いします」


 少し緊張した声。

 制服もまだ新しくて、将棋盤の前で背筋をぴんと伸ばしている。


「一年の桂木かつらぎあゆむです」


 そう名乗った新たな対戦相手は、吊り上がり気味の猫目をキラキラさせて俺を見ていた。

 明るい色のおしゃれヘア。

 将棋部には見当たらないタイプだ。

 合コンに行っても人気が出そうなそのビジュアル。


 なんかムカつくな。

 完膚なきまでに叩きのめしてやろうか。


 そこまで考えて、俺はハッと我に返った。


 いかん、いかんぞ俺。

 心がすさみきっている。


 俺は軽く咳ばらいをし、眼鏡のブリッジを押し上げ、改めて桂木歩に向き直った。


「二年の角田です。よろしく」


 お互い礼をして対局を開始した。




 先手は俺。

 何度も繰り返してきた初手を指す。

 角道を開ける。見慣れた景色。

 ここからは、頭の中にいくつもの定跡が自然と浮かぶ。


 桂木は、少し考えてから駒を持った。

 ――遅い。

 考えが深いというより、まだ盤に慣れていない間だ。覚えたての初心者だろう。

 またどうせ、印象に残らない将棋になるのだろうなと、心の内でため息を吐く。

 だが、次の瞬間。


 彼が指したのは、教科書通りとは言い難い一手だった。


 俺は思わず、盤面を見る。

 ……悪くはない。

 奇をてらった手、という感じでもない。

 無理筋でもない。

 ただ、そう指す理由が、俺にはすぐにわからなかった。


 俺は一瞬だけ考え、「正しい答え」を返す。


 形勢はこちらがいい。

 いつも通りだ。

 こちらの狙いも、相手の弱点も、ちゃんと見えている。

 それなのに。


 次の桂木の手も、その次の手も、どこか拍子がずれていた。

 狙いが読めない。

 いや、読めないというよりも、これは。


 盤面の上で、彼の駒だけが、自由に動いている気がした。




 俺はそっと桂木の様子を窺う。

 彼の猫目がキラキラ、キラキラ。

 その将棋は、盤の上を散歩しているみたいだった。

 急がず、迷わず、楽しそうに。

 まるで猫の散歩だ。

 駒が次の一手を探すというより、盤面そのものと遊んでいるように見える。


 見ているだけで、つい頬が緩む。

 次はどこへ行くんだろう。

 そんな気持ちで、俺は盤面を追っていた。


 冷静に見れば、効率がいいわけじゃない。

 駒組みは歪で、筋も細い。

 定跡の形から外れているぶん、理屈の上ではこちらが迷う局面じゃない。


 それでも。


 盤面から伝わってくるのは、「面白い」「将棋が好きだ」——ただ、それだけだった。




 俺は、久しぶりに楽しいと思っている自分に気づく。

 勝つために読むんじゃない。

 相手が何を考えているのかを、知りたくて仕方がない。


 盤面を追いながら、いつの間にか将棋を覚えたばかりの頃を思い出していた。

 勝ち負けよりも、駒を動かすだけで楽しかったあの頃。

 形勢なんて分からなくて、それでも夢中で指していた自分。


 目の前の桂木と、過去の自分が重なる。




 この楽しい一局も、終盤を迎えようとしていた。

 盤面は、こちらが有利だ。

 駒の損得も、玉の安全度も、盤面を見れば、勝ちが見え始めていた。

 それでも俺は、すぐに手を伸ばさなかった。


 盤を挟んで、桂木を見る。

 相変わらず、楽しそうな顔だ。

 負けが近いことに気づいていないわけじゃない。それでも、次の一手を考える目は、曇っていない。


 俺は眼鏡を押し上げ、静かに呼吸を整える。


 ありがとう、桂木。


 俺は、盤の隅に置き去りにされていた角に手を伸ばした。

 角道は、最初から通っている。

 序盤から、中盤から――ずっと。

 ただ、使う気にならなかっただけだ。


 この将棋、もう少しだけ続けたかったな。


 それでも、最後の一手は指さなきゃいけない。角を斜めに滑らせる。


「……王手」


 俺のそのひと言に、はっきりとした緊張が走った。

 桂木はじっと盤面を見つめている。

 唇をきゅっと結び、きっと何通りかの逃げ筋を頭の中でなぞっている。

 そして、ゆっくりと首を振った。


「……参りました」


 その声には、悔しさよりも、どこか晴れやかな響きがあった。

 キラキラ輝く猫目を、盤面から離さない。

 かと思うと、パッと顔を上げ俺を見て、息を弾ませて彼は言う。


「ものすごく、楽しかったです!」


 桂木のその笑顔を見た瞬間、俺の胸の奥で、何かがほどける。

 俺は感想戦もそこそこに問いかけた。


「将棋、いつから?」


「最近です。父に教わって覚えたばっかりで」


「どこかの会とかには入ってないの?」


「いえ。そういうのは、特に……。僕、試合とかに興味ないんです。強くなりたいとは思うけど」


 どういう意味かと訊ねると、桂木は恥ずかしそうに眉尻を下げた。


「ずっと父とばかり指してて、それはそれで面白いけど……。なんていうか他の人とも対局してみたくなったんです。でも友達で将棋できるヤツいないし、そしたら学校祭でこんな場所があったんで、思い切って飛び込んできちゃいました」


 猫目を細めてニカッと笑う。

 その笑顔を、俺は盤越しに見ていた。


 そうか、桂木は一手を指したのだ。

 自分の世界を壊す一手を。

 壊して、ちゃんと飛び込んできた。




 勝ちにこだわらず、好きだから将棋を指していた、あの頃の自分。

 俺も、壊す一手が指せるだろうか。

 次は勝つためだけじゃない将棋を。




「それならさ、たまにウチの部に遊びにおいでよ」


「え?部外者ですけど、いいんですか?」


 俺の提案に、桂木はキョトンとした表情で返す。ちょっと気恥ずかしかったが、俺ははっきり言葉にした。


「まあ、入部するしないは置いといて。今日の将棋、楽しかったし。俺も……将棋が、ただ好きだった頃を思い出せたし」


 すると桂木は一瞬、言葉を探すように瞬きをして、それから、顔いっぱいに笑みを広げ力強く頷いた。


「はい!」


 


 俺はもう迷わない。


 きっと、最善手じゃなくても――将棋は、こんなにも楽しい。





  完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最善手じゃなくても 成田紘 @ayame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画