第14話 結城

​「ねえ、ちょっと聞いてよ結城さん。パンダってさ、あの『あざとさ』こそが本体だと思わない?」

​目の前で、先輩の妹さんが身を乗り出して熱弁を振るっています。家での賑やかさをそのまま持ってきたような彼女は、太陽みたいに眩しくて、少しだけ苦手で、でも、先輩の面影があるから嫌いになれません。

​「……同感です。あのフォルムはもはや黄金比を超えています。笹を食べているだけなのに、なぜあんなに世界を救っている感が出るのでしょうか」

​私はいつものように、背筋を伸ばして「優等生な後輩」として答えます。先輩がいない場所では、私は完璧な私でいなければならない。それが、弓道部でもバイト先でも、ぼく……私が決めたルールだから。

​「だよね! あの不器用な転がり方は反則だって。もう、モチモチの塊!」

​「……いえ。あれは、モチモチした『宇宙』ですよ」

​「宇宙って! 結城さん、言うことが個性的だなぁ」

​妹さんがゲラゲラと笑います。

ああ、言いすぎてしまいました。先輩がいないと、なんだか言葉の加減がうまくできません。

​「でもさ、パンダって意外と力強いんだよ? 笹をバリバリいく時のあの顎のライン。兄貴が弓を引く時の背筋に通じるものがあると思わない?」

​不意に、彼女の口から先輩の話題が出ました。

私の脳裏に、静謐な道場で、一点の曇りもなく的を見据える先輩の背中が浮かびます。

​「……そ、れは同意しかねます。先輩の背筋はもっとこう、静謐で、湖の朝靄のような美しさがあります。パンダはもっと……その、ぼくにとっては、もっとこう、手の届かない場所にあるというか……」

​「……え、結城さん? いま自分のこと『ぼく』って言った?」

​心臓が跳ねました。

しまった、最悪です。先輩以外には絶対に聞かせてはいけない、ぼくの本当の顔。

​「……失礼しました。言い間違いです、気にしないでください」

​私は慌てて姿勢を正し、平静を装います。でも、顔が熱い。

​「……とにかく! 先輩とパンダを一緒にするのは失礼です。パンダは癒やしの化身ですが、先輩は……ぼくにとって……いえ、私にとっては、もっと別の、大切な象徴ですから」

​「あはは! 結城さん、兄貴のこと褒めすぎ! あんなの、ただの料理好きの釣りバカだよ?」

​妹さんは屈託なく笑いながら、私の肩を叩きます。

彼女にはわからないのです。あの「釣りバカ」で「料理好き」な先輩が、時折どれほど遠い、寂しい場所を見つめているか。

昨日だって、バイト先で先輩が作ったハンバーガーには、なんだか切ない味が混じっていました。

​(……先輩。今、どこで何をしていますか)

​私は窓の外に広がる青空を眺めました。

もしぼくがパンダだったら、先輩はもっと、何も考えずにぼくを撫でてくれるでしょうか。

​「あ、見て! 兄貴が廊下を通ったよ! ちょうどパンダのおにぎり、持ってきてくれたみたい!」

​妹さんの声に、私の背筋が勝手にピンと伸びました。

ぼくの「宇宙」が、すぐ近くまで来ている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る