第12話 家族

「ただいま……」

​玄関を開けると、すでに家の中は「腹を空かせた獣たち」の気配で満ちていた。僕は靴を脱ぐなり、制服の袖をまくり上げてキッチンへと直行する。

​「あ、やっと帰ってきた! 遅いよ、自分だけバイト先で美味しいもん食べてへん? 匂いでバレてるで!」

​一つ下の妹が、リビングのソファからのけぞるようにして僕を煽る。同じ高校の後輩でもある彼女は、僕がキッチンに立つと決まってカウンター越しに今日の献立を覗きに来る。

​「……うるさいな。すぐ作るから、箸並べとけ」

​僕は冷蔵庫から牛肉と新じゃが、それに母こだわりの「お揚げさん」を取り出した。

父はと言えば、ダイニングテーブルで真剣な顔をしてテレビのリモコンを耳に当てている。

​「……もしもし? おかしいな、さっきから誰も出んのや。……あ、お帰り。このスマホ、電波が入らへんぞ」

「それ、リモコン」

「……おや、道理でボタンが多いと思ったわ。ワハハ!」

​「あんたはほんまに……。そのネタ、もう飽きましたえ」

​リビングの奥から、新聞を置いて立ち上がった母が、はんなりとした足取りで現れた。京都出身の母は、家事の主導権を僕に譲りつつも、その味覚と観察眼だけは一切妥協がない。

​「自分、今日はえらい丁寧にアク取ってるなぁ。何かええことでもあったん?」

​母が横から鍋を覗き込む。出汁が沸き立ち、牛肉の旨味とお揚げさんの甘い香りが台所に広がる。

​「別に、いつも通りだよ」

「ふーん……。嘘が下手やなぁ。あんたの作るもんは正直や。今日のは、なんや『余所(よそ)』の誰かに食べさせたいような、優しい味がしとる」

​心臓が跳ねる。無意識に、部屋で待っている「彼女」を思い浮かべていたのかもしれない。

​「……ところで自分。さっきあんたの部屋掃除したとき、えらい上品なお香の匂いがしたわ。女の子みたいな、清らかな匂いやったけど。変なもんに憑かれんといてや? 自分の『境界線』は、昔から危なっかしいんやから」

​母の言葉は、まるで霧の向こうを見透かすように核心を突く。

僕は黙って、肉じゃがの仕上げに醤油を差し、火を止めた。

​「……できた。運ぶぞ」

​僕が作った夕食を囲み、父がリモコンで写真を撮ろうとして妹に突っ込まれ、母がそれを京言葉でたしなめる。

騒がしくて、賑やかで、驚くほど平穏な日常。

​この家族に料理を作っている間だけは、僕は「異世界の騎士」でも「幽霊の同居人」でもなく、ただの佐藤家の長男でいられる。

​「……おっ、今日の肉じゃが、一段と旨いな!」

「自分、腕上げたんとちゃう? 恋でもしとるみたいやわ」

​母の鋭い視線から逃げるように、僕は自分の分の白米を口に運んだ。

出汁の温かさが、嘘のつけない「自分」を肯定してくれるような気がした。

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