第9話

「見られちゃったね」


「いい加減降りてくれ、重い」


「重くないしっ!」


 そして、目撃者その2が現れる。高瀬さんがやってきているんだ。他の部員たちも続々とやってきてもおかしくなかった。


「兄さん……」


 やめてくれ。絢郁にまでそんな目で見られるのはつらい。だけど、絢郁ならわかってくれるはず。その一縷の望みにかけて、オレは絢郁へ訴えかける。


「違うんだ、絢郁! 結衣をどかしてくれ、起き上がれない」


 絢郁は一瞬考えてから、すぐにオレの言わんとしていることに気付いてくれたらしい。駆け寄ってきて、力任せにオレから結衣を引きはがした。


「結衣さん、離れてください! 兄さん嫌がってますから」


「ちょっと、そんなに強く引っ張らなくてもいいじゃん。大体、本当に嫌だったら力づくでどかすでしょ?」


 パァン、と痛々しい音がベンチに響く。絢郁が結衣の頬をはたいたのだ。突然のことにオレも結衣も呆けてしまったが、結衣はすぐに絢郁に怒声を浴びせる。


「ちょっ、何するのよ!」


「……兄さんのこと、何も知らないくせに」


 結衣の表情は、驚いているようでもあり、怯えているようでもあった。結衣と対峙している絢郁は、いったいどんな表情をしているんだろう。オレにはちょうど、それが見えなかった。


「兄さん、大丈夫?」


 振り返った絢郁は、今にも泣いてしまいそうな顔をして、オレを優しく抱き起こしてくれた。オレだって起き上がるくらいはできるが、心配してくれたのだろう。


「大丈夫だよ。ありがとうな」


「結祈ちゃんには後で私から言っとくから、心配しないで」


「でも、もう先生に言っちゃったんじゃないか?」


 疑惑がかかったというだけでも、オレを解雇するには充分なはずだ。そうなれば、いくら弁明してももう手遅れだろう。


「言ってないわ」


 その声に視線を向けると、高瀬さんがこちらにやってきていた。


「あの後、私は絢郁を呼びに行ったの。……そんな人だと思いたくなかったから」


 まだ救いはあるらしい。どうやら今の状況は、まだこの場だけのことになっているようだ。高瀬さんが呼んでくれたのが絢郁だったことも、功を奏した。今回ばかりは彼女の判断に全て救われた。


「ありがとう、高瀬さん」


「か、勘違いしないでよ? あなたが不祥事を起こしたら絢郁の評判だって下がるんだから、真実を確かめてもらっただけよ。別にがっかりしたくなかったとか、そういうことじゃないから」


 急にえらく饒舌になった高瀬さん。もうそういうことにしておこう。 


「それで、お兄さんのことを何も知らないあたしに、教えてくれないかしら?」


 叩かれた頬をさする結衣は、ちょっと目元を潤ませている。いつも余裕を崩さないのかと思っていただけに、その姿は少し可愛く思えた。


「兄さんはもう、野球できない身体なんだよ。野球だけじゃない、スポーツ全部。日常生活に戻るのだって、大変だったんだから。……私はそれを、一番近くでずっと見てきたの。だから……」


 絢郁は何とか説明しようとしてくれたが、途中で泣き出してしまって、結局要領を得ない説明になってしまった。しかし、それだけで何かに思い至ったらしく、高瀬さんがはっと息を飲む。


「あ、思い出した……。常盤高校の、佐藤景太……。絢郁のお兄さんだったんだ」


 懐かしい。もう五年になるだろうか。――名門私立で甲子園の常連校の、常盤高校。五年前に春夏の甲子園優勝を果たしたそのチームの、三番ショートを任されていたのがオレだった。夏の甲子園が終わって秋大会の最中、オレは交通事故で野球を失った。翌年のドラフトでも注目されていたが、世間ではそれほど大きくは取り上げられなかったから、野球をやっていなければ知らなくても無理はない。


「そういうわけで、オレは監督にはなったけど、基本的に運動はできないんだ。悪かったな、黙ってて。少しずつ体力は戻ってきてるけど、まだ力が入らなかったり、完全に日常生活を取り戻したわけじゃないんだ」


 それを聞いて、結衣は泣き出してしまい、何度もオレに頭を下げてくる。こんなに感情的な子だったのか。もっと冷めた反応をされるかと思っていた。


「ごめんなさい! あたし、知らなくて……」


「いいって、大事にはならなかったんだし」


「あたしのこと、好きにしていいからっ!」


 いや、だからそれがダメなんだって。わかっているのかいないのかという反応をされて、苦笑いしかできない。すると、高瀬さんも一緒になってオレに頭を下げてきた。彼女に謝罪されるいわれはないが、どういうことだろう。


「あの、私も……若い男性だからってくだらない理由で毛嫌いしてました……。ごめんなさい!」


 二人の女子生徒に泣きながら謝罪されているこの状況は、逆に見られたらマズいんじゃないかと思えてくる。ついでに言えば絢郁も泣いているし。傍から見るとどういう状況に見えるんだろうか。


「いや、オレも急に馴れ馴れしくしたりしちゃたし……。そもそもオレみたいな身元不明の若造が、急に今日から監督だとか言ってきても困るよな。それはしょうがないよ」


「いや、それはそうですけど……。ああ、えっと、私のことは好きに呼んで構いませんから……」


「じゃあ、結祈ちゃん、改めてよろしく」


「は、はい……」


 結祈ちゃんは返事だけしたものの、恥ずかしそうに顔を背けてしまった。前のちょっと強気な方が、投手としても良かった気がするが、すっかり敬語になってしまった。少し強引に距離を縮めようと名前呼びにしてみたが、かえって逆効果になってしまったようだし。


「結衣も、さっき話したみたいに、練習ちゃんと出てくれればいいからさ」


「はい……ごめんなさい」


 結衣の方は簡単には立ち直れない、か。まだ表情は曇ったままで、罪悪感は拭えないらしい。さすがに他の部員も、これでは何かあったと感づくだろうし、どうにかこの空気を変えたいが……。


「絢郁、皆を呼んできてくれる? そろそろ練習始めよう」


「あ、わかりました」


 雰囲気からか、絢郁まで敬語になってしまっている。こうやって変に気を遣われても困るから、黙っておきたかったんだけどな。こうなってしまっては仕方がないか。

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妹とやり直す高校野球道! 斎花 @Alstria_Sophiland

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