第5話

「外野いなくていいの? 飛ばしちゃうよ~?」


「へぇ、それは楽しみですね」


 結衣の挑発にも動じない緩奈ちゃん。結衣はその答えに苛立ちを隠すことなく、舌打ちをしてバットを構えた。この二人、あまり仲良くないのだろうか。少しだけ険悪な雰囲気のまま、投球練習を終えた結祈が第一球目を放ろうと構える。


 一球目、緩奈ちゃんの要求は内角低め。腕を大きく振り上げるワインドアップから、勢いよく右腕を振るい、剛球が放たれる。呻りをあげて向かってくる白球は、きっちり緩奈ちゃんのミットに収まった。結衣は思わず飛び退いたが、球の勢いに臆したのではない。あわやデッドボールになるかというボール球を避けたのだ。


「ちょっと、当てる気?」


「ご、ごめんなさい……!」


 睨みつけるようにすごむ結衣に、高瀬さんが素直に謝った。緩奈ちゃんの構えたところが内角だったとはいえ、わざと身体に近いところを投げたわけではないようだ。

 しかし……思っていたより速いな。120キロは出ているだろう。高1の春でこれなら充分すぎる。少なくとも球速だけなら全国レベルだ。


 緩奈ちゃんは、次に外角低めを要求した。だが、彼女が構えるところに本当に投げ込まれたのならボールになる。外れることを想定したリードなのだろうか。高瀬さんが再び大きく振りかぶって、少し緩やかなボールが放られる。緩奈ちゃんの要求したコースとは大きく外れたほぼど真ん中。打者としてはこれを見逃す手はない。結衣は勢いよくバットを振り抜くが、空しい風切り音とともに、白球がミットに収まる乾いた音が響く。


「ナイス、結祈ー!」


 コントロールを意識して遅くしたのではない。変化球だった。緩奈ちゃんのミットを見てみれば、最初に要求したコースと大体同じところで捕球している。カーブかスライダーだろうか。途中まではストレートかチェンジオブペースのように見えたが、手元で急激に変化した。結衣も狙いを外されたのだろう、ミットに収まったボールを悔しそうに睨みつけている。


 緩奈ちゃんは次にどこへ要求するだろう。カウントは1-1で平行カウントだが、当然ストライクが欲しい場面。セオリーならインコースに速球を投げたいが、甘くなって真ん中に入ったら打たれる危険は大きい。何より、高瀬さんのコントロールでコースを狙えるかは微妙だ。

 結局、緩奈ちゃんの要求はやや内寄りの真ん中。間違いなく甘いコース。変化球なのだろうか。ここからでは構えた位置は見えてもサインまでは見えない。それはそれで、緩奈ちゃんのリードを予想する楽しみもあるのだが。


 高瀬さんは一度深く息を吐き、二球目と同じ少し緩やかなボールを放った。ボールはまっすぐ結衣に向かって伸び、手元で大きく曲がってストライクゾーンの内側ギリギリを通る。今の球に、結衣は上体を少し仰け反らせた。手前で変化するとわかっていても、やっぱ怖いよな。あの球に手を出せる打者はそうはいないだろう。高瀬さんもよく投げたと思う。


「バッター手出ないよー!」


「ナイスピッチ!」


 守備陣の高瀬さんを鼓舞するような掛け声に、結衣は鋭い目線を向けて黙らせた。でもこれでカウント1-2に追い込んだ。結衣は変化球を捉えられてないみたいだし、速球を見せて変化球で決めるか? 高瀬さんも、速球のコントロールは不安だが、変化球は比較的コースに投げ込めている。速い球で釣って手を出したなら儲けもの。最後は決め球は緩い変化球だろうか。


 四球目、緩奈ちゃんの要求は真ん中低めのボール球だ。高めの釣り球を要求するかと思ったが、どうやら違うらしい。しかし勢いよく投げ放たれたのは速い球。これは緩奈ちゃんの要求より高く浮いている。緩い変化球を二球続けているとはいえ、危険なコースだ。結衣もこの絶好球を逃さずタイミングよく踏み込んで、物凄いスピードでバットを振り抜いた。当たればかなりの飛距離になることは、そのスイングを見ただけでもわかる。……当たればの話だが。

 ボールはまたもベース手前から消えるように落ち、バットに掠ることはなかった。その落差はストライクゾーンの真ん中あたりからベースでワンバウンドするほどで、緩奈ちゃんもよくそれを捕ったものだ。


「内野にも飛びませんでしたね」


 緩奈ちゃんが結衣に聞こえるようにそう呟いた。結果としては、綺麗な空振り三振。速球は最初に一度見せたきりで、それを強烈に意識させつつ残りは全て変化球という、性格の悪いリードだ。しかしコントロールが悪い中でやれる、最善のリードとも言える。これは高瀬さんの実力の高さというより、緩奈ちゃんのリードが驚異的……というべきかもしれない。


「もう一打席だ! もう一勝負!」


 そう駄々をこねる結衣に、緩奈ちゃんがある提案を持ち掛ける。


「いいですよ。私たちが勝ったら、来週は毎日練習に参加してもらいますからね」


「じゃあ、あたしが勝ったら来週はフルで休むから」


 今の打席を見てどちらが勝つ見込みが大きいかで言えば、緩奈ちゃんの提案を受けるのも悪くないだろう。結衣もちゃんと練習に参加してくれる方がいいに決まっている。緩奈ちゃんがそれで良いかと視線で訴えてくるので、オレは無言で頷いた。


 二打席目、結衣は再び右打席に入って構える。初球は速球が真ん中高めに外れてボール。さっきはこの後にやや緩いカーブを投げたが、今度はどうだろう。続く二球目も、インコース低めに速球。しかし、これも外れている。


「ストライク投げられないの?」


 明らかなボール球に、打ち気を削がれた結衣は呆れたようにため息を吐く。球威は目を見張るものがあるが、ここまで外れていると打者としてもそれほど脅威に感じないだろう。


「さっきが上手くいっただけで、結祈はもともとノーコンですから」


「それならしょうがないか」


 ノーコン呼ばわりされるのも、それで納得されてしまうのも、少しだけ高瀬さんが可哀そうに思えた。しかしここまで荒れに荒れていると、打者としてもさすがに振ってはくれない。ただカウントを悪くしただけだ。緩奈ちゃんは、ここからどう巻き返すつもりだろう。


 三球目も速球。今度は低めにしっかり決まったが、結衣は振らなかった。恐らくボールになると思ったのだろう。実を言えばオレも思った。元々速球は捨てるつもりでいたなら、まず手は出ない。そこを逆手に取って、ストライク一つもらった形になった。


「打たないんですか? 入ってますよ?」


「……まさか、ストレートしか投げないつもり?」


「どうでしょうね。打たせてあげてもいいんですけどね」


 心理戦は既に始まっているようだ。どこからが布石だったのだろう。最初に二つ外れたボール球も、意図的なものなのかもしれない。そう思わせるような緩奈ちゃんの口振りが、さらに結衣の疑念を掻き立てているようにも思えた。


 四球目は外角低めに速球。これも入っている。今度は結衣も振りにいった。ところがこれはバットの先に当たり、ボールは絢郁の正面に転がっていく。絢郁はゴロを綺麗に捌き、ファーストへ送球してセカンドゴロ。


「では、月曜からお待ちしてますね。もちろん明日、土曜日からでもいいですけど」


 最後の一球は、ストレートに近い球速だが、手元で小さく変化して芯を外すムービングボールだろう。前の打席が変化球中心だったし、直前の会話もああ言っておいて変化球を投げるつもりだろうと思わせて、結衣の反応をわずかに遅らせただろうしな。それで振り遅れたうえに、芯も外された、と。いい性格してるな、本当……。しかし並の打者ならそこまでされれば空振っていてもおかしくない。バットの先でも当てたのは素直に結衣のセンスの高さなのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る