第3話
それから数日が経って、書類の用意ができたのでまた来てほしいと言われ、オレは再び理事長室にやってきていた。
「一通り書けましたか?」
「はい。それで、これなんですが……」
オレは渡された紙の束から、職員寮入寮申請書を抜き取って理事長に見せる。その名の通り、この学園に併設されている職員寮に入寮するための書類だ。私立が全てそうなのかはわからないが、職員寮は入居費もかからなければ、光熱費や施設維持費などもかからないそうだ。食堂を含む寮の施設も自由に使えるらしい。正直、条件はあまりにも良い。ただ――。
「職員の方って女性が多いんじゃないですか? 男のオレが入っても良いものかと思いまして……」
「多いと言いますか、現在入寮しているのは全員女性ですね。ですが、景太さんも利用していただいて問題ありませんよ」
確かに制度上はそうだろうが、全員が女性ともなればなおさら肩身が狭いオレは遠慮したいが……それでもこの条件は見過ごせない。
「大丈夫ですよ。マンションでも、現在入居している方が女性だけだからって、男性の入居者を拒んだりはしないでしょう? まあ当然、何かあれば相応の処分は下りますし、常識的な生活をしている分には何も問題ないですから。それに……職場恋愛は自由ですからね? あ、私、独身ですよ?」
割りといらない情報を最後に付け足された。見た目は若く見えるが、理事長という立場を考えるとそれなりの年齢なのだろう。そんな年齢まで独身ということは……あまり考えない方が賢明か。
オレの考えていることを見透かしたように、理事長は小さく咳払いをして話を続ける。
「本当に、遠慮しなくて良いですからね。これにサインした時点で、あなたは我が校の大切な職員の一人なのですから」
理事長のその真摯な眼差しに、わずかに躊躇いは残しながら、オレは申請書を出すことにした。そこまで言ってくれるのであれば、オレも理事長を信用したい。そして、その信頼を裏切らないようにしたい。できないことではないはずだ。
「では、引越しについてもこちらで手配いたしますね。お部屋は……比較的空き部屋の多い区画がありますから、そちらにしておきます」
「何から何までありがとうございます」
契約期間は一年間。結果が出なくても、野球部が廃部になるのは来年の三月。それまではオレも継続して雇ってもらえるそうだ。そして結果が出たならば、契約を更新する、という流れになるとのこと。思いがけず職員寮も使えることになったし、条件はかなり良い契約だった。
「あの、大丈夫なんですか? 身体の方は……」
「大丈夫ですよ。日常生活を送る分には困りませんから。ご心配してくださりありがとうございます」
「引越しの方も、お手伝いが必要でしたら仰ってくださいね」
本当に、何でもかんでもお世話になってしまっている。その厚意に甘えきって怠惰にならないようにしないと。
一通りの手続きを終えて理事長室を出ると、在校生とばったり出くわしてしまった。女子校に見知らぬ男がいるとなれば騒ぎになりかねないから、できればあまり見つかりたくなかったのだが……。まあ、焦る方がむしろ怪しいか。堂々としていれば問題ないだろう。と思いきや、見下げたそれは、見知った顔だった。
「えっと……遥奈ちゃんの方かな?」
授業終わりなのか、まだ制服に身を包んだままだが、その顔はしっかり覚えている。小柄で黒髪の綺麗な、うちのエースその2。福原遥奈ちゃん。大丈夫、ちゃんと思い出せる。
「よくわかりましたね。あれ、意外と似てないですか?」
驚いた顔をされるってことは、双子の妹の緩奈ちゃんと間違えると踏んでいたんだろう。顔は確かにそっくりでも、雰囲気は全然違うし、それ以外でも見分けられる箇所はあるから案外わかるもんだ。
「遥奈ちゃんの方が髪が黒いだろ?」
「うわぁ、そんなとこまで見てるんですね。怖いです」
などと、わざとらしく怯えたフリをされた。というのも一瞬で、すぐに悪戯っぽい微笑みを向けてくる。あざといくらいの上目遣いで、この子はたぶん、自分の可愛さを自覚しているタイプだろう。
「ふふふっ……冗談ですよ?」
オレに可愛さを振り撒いてどうするつもりなのかは知らないが、変に反応して引かれるのも困るので、とりあえずはスルーする方向で考える。
「それで、ここで何してたんだ?」
「何って……わざわざ迎えに来てあげたのに、その言い方はないんじゃないですか?」
「え、迎えに? 何で?」
「だって、男の人がうろついてたら通報されるかもじゃないですかぁ」
そういうことか。というか、オレが今日手続きに来るって情報はどこから仕入れたのだろう。絢郁くらいにしか言ってないはずだが、絢郁なら自分で迎えに来そうではある。それに、手続している間、ずっとここで待っていてくれたのだろうか。それだったら申し訳ない。せっかく迎えに来てくれたので、オレは遥奈ちゃんと一緒にグラウンドに向かうことにした。……通報されたら嫌だし。
「そういえば、遥奈ちゃんはコントロールを大事にしてるのか? この間、ノーコンにエースは務まらないって言ってたでしょ? まあ、確かにノーコンじゃ困るけどさ」
「はい、もちろんですよ! 狙ったとこに投げられないなんて、投手とは言えないですから」
一概にそれが正しいとも言えないが、考え方の一つとして間違ってはいないと思う。実際彼女の制球力がどの程度で、どの程度の制球力を投手というものに求めているのかはわからないが、彼女のような小柄な子が投手として勝負するなら制球か変化球に頼るのは当然だと思う。高瀬さんのようにある程度身長があるなら球威で勝負することもできるだろうけど、遥奈ちゃんの場合はそうもいかないだろう。逆に、彼女がこの身長で投手をやっていることそのものが、彼女の能力の高さを物語っているのかもしれない。
「直球か変化球で言えば、どっちが好き?」
「変化球ですね」
即答。予想通りか。
「だよね。球種は?」
「ふふん、あとでたくさん見せてあげますよ」
そう言って、得意げに笑みをこぼす。よほど自分の球に自信があるのだろう。そう言われると、俄然楽しみになってくる。
「それはそれは。楽しみにしてるよ」
練習着に着替えてくるからと、遥奈ちゃんとは部室の近くで別れ、オレは先にグラウンドへ向かうことにした。一部の部員はもう練習を始めているようで、部員間でも練習に対する意識の差はそれなりにあるようだ。
練習と言っても、人数不足で大したことはできていない。絢郁と高瀬さん、それから緩奈ちゃんが内野ノックをしていたが、緩奈ちゃんがノッカーをしていたため、残りの二人だけで守備についていた。これでは実戦的な練習にはならないだろう。理事長からもらった資料によれば、今年の新一年生は四人の特待生を迎えていて、それが絢郁と高瀬さん、福原姉妹なのだそうだ。
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