第6話

 王城の廊下は、今日も完璧だった。

 磨き抜かれた床は光を反射し、足音すら礼儀正しく響く。空気には乱れがなく、王家が「平常」であることを、誰にでも示すように整えられている。


 ――平常運転。

 第六王女は、胸の内でそう繰り返しながら歩いていた。


 「さて、今日も王家は平常運転」


 軽い口調とは裏腹に、彼女の視線は廊下の奥を探っている。整いすぎた静けさの中に、姉の気配を感じ取っていた。


 「磨かれすぎた廊下、整いすぎた空気……何も起きていないふりだけは、いつも上手ね」


 そう呟いた瞬間、鋭い声が飛んできた。


 「聞こえてるわよ、六番目!」


 振り向くと、第1王女が立っていた。背筋は真っ直ぐ、顎は高く、王女として完璧な姿勢だ。だが、組まれた腕の指先にだけ、わずかな力みが見えた。


 「あら失礼♪」


 六王女は、いつものように笑ってみせる。軽口で返す――それが、姉の張り詰めた心をこれ以上刺激しないための、彼女なりの処世術だった。


 「……六番目。少し付き合いなさい」


 短い言葉とともに、第1王女は歩き出す。人気のない彫像の陰へ。護衛隊長は、その背後に控えながら、胸の奥に嫌な予感を抱いていた。


 「明日の儀式、あなたも出席するのでしょう?」


 その問いは確認だ。姉としてではなく、王家の長としての言葉。


 「ええ、もちろんですわ」


 第六王女は即答した。逃げられない日であることを、彼女は最初から理解している。


 沈黙が落ちる。

 第1王女は視線を伏せ、ほんの一瞬だけ言葉を探すように唇を噛んだ。


 「……なるべく……泣かないでいてほしいの」


 その声は静かだったが、確かに揺れていた。


 「私が? なぜ泣くと思うの?」


 本当にわからないふりをする。そうしなければ、姉の弱さを真正面から受け止めてしまうからだ。


 「あなたが泣いたら……私も、崩れるからよ」


 第1王女は振り返らない。

 振り返れば、王女ではなく、ただの不安を抱えた長女の顔を晒してしまうと知っているからだ。


 彼女は怖かった。

 儀式が、国が、民が――何より、自分が背負わされている役割の重さが。

 誰にも弱音を吐けない立場であることが、彼女をさらに孤独にしていた。


 「……わかりました」


 第六王女は一歩前に出て、胸に手を当てる。


 「私は“絶対に”泣きません。誓います」


 その声は明るく、冗談めいてさえいた。だが、その裏にある決意の深さを、護衛隊長は見逃さなかった。


 ――この王女は、自分が“支え”として選ばれたことを理解している。


 護衛隊長の胸に、苦い感情が広がる。

 剣を握ってきた。命を賭ける覚悟もある。

 だが、今この場で――王女の不安を消すことも、重荷を肩代わりすることも、彼にはできない。


 守れると思っていた。

 だが、守れないものがある。


 「……ありがとう」


 第1王女はそれだけ言い、歩き出した。背中は真っ直ぐで、歩調も乱れない。王女として、長女としての威厳を崩さぬために。


 その背中を見つめながら、第六王女は思う。


 ――小さく見えた。でも、弱くはない。


 「ほんと……強がりなんだから」


 小さな呟きは、誰にも届かない。


 強がりでなければ、この第1王女は務まらない。

 だが、強がりだけでは明日は越えられない。


 だから姉は、妹に頼った。

 だから妹は、泣かないと誓った。


 護衛隊長は、拳を強く握りしめる。

 自分は剣でしか役に立てない――その無力さを噛み締めながら。


 それでも立ち続けるしかない。

 誰も崩れぬように。

 誰にも見えぬ場所で。


 王家は今日も平常運転を装っている。

 だが、明日は平常ではないかもしれない。


 それでも、この姉妹が立つ限り、

 自分もまた、立ち続けるのだ。

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