第5話

 廊下に、鋭い声が響いた。


「何? 私に口答えするって、どういうつもり?」


 石造りの壁に反響するその声は、明らかに怒りを帯びている。第一王女は足を止め、護衛隊長を正面から睨みつけていた。肩を張り、指先はきつく握られている。普段なら決して見せない苛立ちが、あからさまだ。


「わかって言っているのかしら?」


 護衛隊長は一歩下がり、膝を折るほどではないが、深く頭を下げた。


「……承知しております。しかし、どうかお怒りをお納めくださいませ、第1王女殿下」


「納めろですって?」


 第一王女は鼻で笑い、顎をわずかに上げる。


「あなた、誰に向かって物を言っているの?」


 隊長は唇を引き結び、静かに言葉を選んだ。


「これは、国王陛下より賜った“ご指示”でございます。ゆえに、私の一存では訂正も撤回も叶いません」


 一瞬、空気が凍る。


「……ふん。お父様の言うことなら、何でも聞くのね?」


 第一王女は踵を返し、廊下の奥を指差した。


「だったら私だって、直接陛下のところへ抗議して――」


「国王陛下は現在、重大な公務の最中でございます」


 隊長は一歩踏み出し、進路を遮るように立った。


「どうか……冷静におなりください」


「私は、いつだって冷静よ!」


 その瞬間。


「あらあら」


 軽い声が、緊張を切り裂いた。


 振り返ると、柱の影から第六王女がひょっこりと顔を出していた。手には小さな書物。いつもの余裕の笑みを浮かべている。


「また大変なことになっておりますわね、お姉様。政略結婚が決まった途端、この荒れっぷり……」


 第一王女の眉が跳ね上がる。


「まあ、相手が二十歳年上の王子ですもの。お気持ちは、わからなくもなくてよ」


「うるさい!」


 第一王女は振り返り、鋭く言い放った。


「あなたには関係のないことよ、六番目!」


「関係なくはないでしょう?」


 第六王女は肩をすくめ、一歩前に出る。


「王家全体の話ですもの。いっそ、私がお妃になればよかったのに……なんて噂も聞こえてきましたわ」


 その言葉に、護衛隊長は一瞬だけ目を伏せた。


「……しかし、それでは“格”が違いすぎます」


 視線を上げ、淡々と続ける。


「向こうは強大国。均衡を取るなら、必然的に第一王女であるあなた様が――」


「わかってるわよ!」


 第一王女は声を荒げたが、途中で言葉を切った。


「そんなこと……頭では、ね」


 視線が、床へと落ちる。


 怒りに満ちていた背中が、わずかに縮こまった。


「……ねえ、隊長」


 小さな声だった。


「あなたは、私がこの婚姻を“誇り”だと思っているように見える?」


 隊長は答えに詰まりかける。


「殿下。あなた様は常に毅然と……」


「違うわよ」


 第一王女は首を振った。


「私は……怖いのよ」


 第六王女が、はっとして姉を見る。


「知らない国。知らない王族。知らない文化、知らない法律、知らない空気」


 声が、わずかに震えた。


「そして……知らない相手」


 第一王女は自分の腕を抱きしめるようにし、続ける。


「私は王女として振る舞えるように育てられた。でも……王女である前に、私は“私”なのよ」


 第六王女は書物を閉じ、静かに歩み寄った。


「……お姉様」


 本当は、もっと軽く言うつもりだった。冗談めかして、いつもの調子で。

 でも、今日はそういう日じゃない。


「あなたが誰よりも、この国を背負わされていることくらい……私だって知っていますわ」


 第一王女の胸に、その言葉が落ちる。


(背負わされている、か)


 そう言われると、少しだけ息が詰まった。自分で選んだと思い込んできたから。


「六番目のくせに……生意気ね」


「はいはい、存じ上げておりますわ」


 軽口が返る。だが、それは逃げではない。

 第六王女は、真正面から受け止めた上で、あえて軽くしている。


「……ねえ、六番目」


 第一王女は小さく息を吸った。


「もしも、私が……泣き言を言ったら、笑う?」


「笑いませんわ」


 即答だった。


 笑えない。だってそれは、国が落とした重さそのものだから。


「だって……その涙は、とても高価なものですもの」


「……ずるい」


 第一王女は目を伏せる。


「そんなふうに言われたら、泣くことすら無駄に出来なくなるじゃない」


「ほんと……ずるい言い方ね」


「王女の特権ですわ」


 その言葉に、張りつめていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


 護衛隊長は、それを見届けてから一歩進み出る。


「殿下。どうか……お心をお強く」


「……わかってるわよ」


 分かっている。

 分かっているからこそ、苦しい。


「でも……私だって、一人の人間なのよ」


 第六王女はそっと背に手を添えた。

 剣も、言葉もいらない。ただ触れていることが答えだった。


「ええ、わかっていますわ。だからこそ……今日は私が少しだけ、貴女の“盾”になりますの」


(盾、か)


 本来、それは自分の役目のはずなのに。


「……ほんと、六番目のくせに、生意気」


「はいはい。お姉様は可愛いところもあるのですから」


 護衛隊長は、思わず小さく息を漏らした。

 互いに守り合うその姿は、剣よりずっと強い。


「では、王女殿下。そろそろご移動の準備が整っております。本日のお務め、共に乗り越えましょう」


(共に)


 その言葉が、こんなにも心強いとは。


「……ええ。仕方ないわね。行くわ」


 第六王女は、その背中を見送った。

 今日は泣かせない。それが、私とお姉様の約束。


 護衛隊長は一歩後ろを歩く。

 盾役は第六王女が担った。

 ならば私は、剣で、その背後を守ろう。

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