第9話 異世界でホストデビュー
夜の街は、昼とはまるで別の顔をしていた。
石畳を照らす魔導灯は必要以上に明るく、赤や紫の光が通りを染めている。人の笑い声、酔った足音、酒の匂い。どこか浮ついた空気が、街全体を包み込んでいた。
「……ここ、本当に大丈夫なところ?」
リリアは、歩きながら隣のルミナに小声で問いかけた。
「大丈夫ですよ〜。ほら、楽しそうですよ、みんな」
ルミナは気楽な様子でそう言い、ネオンのように輝く看板を指差す。
目的地は、ルミナが先程言っていた“ホストクラブ”だった。
この世界にも、夜の社交場のような場所があるらしい。
(前世でも、こんなところ来たことないのに……)
リリアは内心でそう呟く。
彼氏いない歴=年齢。
誰かに口説かれたこともなければ、夜の店に足を踏み入れた経験もない。
異世界に転生して最強になったはずなのに、なぜか今、心臓の方が先に限界を迎えそうだった。
通りを進むと、ひときわ派手な外観の建物が目に入る。
魔力灯で描かれた店名が、きらきらと浮かび上がっていた。
「ここが……この世界のホスト……」
思わず声が漏れる。
逃げ出したい気持ちと、引き返すには遅いという諦めが、同時に湧いてきた。
「行こ」
ルミナがあっさり言って、扉を押す。
中に入った瞬間、空気が一変した。
鼻につく甘い香り。
花と酒と香油が混ざったような匂いが、容赦なく押し寄せる。
視界に飛び込んできたのは、スーツに身を包んだ男たちの群れだった。
「いらっしゃいませ」
黒服姿の案内役が現れ、丁寧に頭を下げる。
二人はそのまま、奥の席へと案内された。
「初めてのご来店ですね。本日は初回のご案内となります」
黒服は慣れた様子で説明を始めた。
一時間制。
一人十分単位でキャストが回ること。
パネル指名したキャストのみ十五分。
終了五分前に送り指名の確認。
説明を聞いているうちに、リリアは嫌な予感しかしなくなってきた。
「では、こちらから一名ずつお選びください」
差し出されたパネルには、整った顔立ちの男たちがずらりと並んでいる。
「じゃ、この人」
ルミナは即決だった。
「かしこまりました。店長ですね」
「……店長?」
ルミナが首を傾げる。
一方、リリアはパネルを前に完全に固まっていた。
どれも眩しすぎて、選び方が分からない。
「……この人で」
無難そう、という理由だけで指を差す。
「ありがとうございます。こちらは当店のオーナーでございます」
「え?」
二人揃って、声が裏返った。
ほどなくして接客が始まる。
最初は別のキャストが来たが、場が温まった頃、指名した二人が姿を現した。
先に現れたのは、リリアの前に座る男だった。
歩き方はゆっくりで、急ぐ様子は一切ない。
それなのに、自然と視線がそちらに引き寄せられる。
スーツは派手ではない。
けれど、生地の質感や着こなしが、明らかに他と違っていた。
無駄のない動き。
微笑み一つで、場の温度が変わる。
「こんばんは。お待たせしました」
それだけの挨拶なのに、不思議と安心感があった。
少し遅れて、ルミナの隣にも男が腰を下ろす。
こちらは、店長と呼ばれた人物だった。
軽く手を振りながら席に着くその動作は、まるでこの場そのものが自分の庭であるかのようだ。
周囲のキャストが、ちらりと様子を伺うのが見えた。
「今日はありがとう。楽しんでる?」
その一言で、ルミナが一気に笑顔になる。
(……あ、これ……)
リリアは、言葉にしなくても分かってしまった。
この二人は、ただの“イケメン”じゃない。
売れている。
それも、間違いなく。
黒服がさっとグラスを整え、別のキャストが自然に一歩下がる。
中心が、完全に移ったのが分かった。
「初めてって聞いたよ」
オーナーが、穏やかな声でリリアに視線を向ける。
「緊張するよね。でも、大丈夫」
その距離感が、絶妙だった。
近すぎず、遠すぎず。
なのに、ちゃんと自分だけを見られている感覚がある。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
一方で、ルミナの方からはすでに笑い声が上がっている。
店長は話題を次々と切り替え、自然に主導権を握っていた。
(……ああ……)
リリアは、なんとなく悟ってしまう。
(この人たちに捕まったら、簡単に逃げられないやつだ……)
「お酒、いけます?」
「まぁ……普通には」
「じゃあ、今日は楽しい夜にしましょう」
気づけば、グラスは空になり、次の酒が注がれていた。
◆
「もう時間、過ぎてますけど」
黒服が控えめに声をかけてきた時、リリアはすでにグラスを両手で抱えていた。
「えー? もう?まだ全然話してないよね?」
頬が熱い。
視界が少しふわふわしている。
でも、楽しいという感覚だけはやけにはっきりしていた。
「延長、どうします?」
オーナーが穏やかにそう言った瞬間、リリアは考える前に口を開いていた。
「え、するに決まってるでしょ!だって今、いいところじゃん!」
自分でも驚くくらい、声が大きかった。
「ありがとうございます」
そのやり取りを聞いて、ルミナが隣でにやりと笑う。
「リリアさん、顔真っ赤」
「うるさいなぁ、ルミナもでしょ」
グラスが空くたびに、自然と次が注がれる。
断るという選択肢は、いつの間にか消えていた。
「リリアさん、結構飲めますね」
「飲めるっていうかぁ……」
リリアは一度言葉を切って、テーブルに身を乗り出した。
「楽しいから飲んでるだけ!」
自分でも何を言っているのか、半分分かっていない。
でも、褒められると気分がいい。
肯定されると、もっと話したくなる。
「こういうところ、初めてなんですよね」
「そーだよ!これまでの人生で一度も来たことなかったし!」
言った瞬間、なぜか誇らしくなった。
「だからさぁ……」
リリアはグラスを軽く振りながら、オーナーを見上げる。
「今日は、めいっぱい楽しむ日なの!」
ルミナの方を見ると、あちらも完全に出来上がっていた。
「ねぇ店長さぁ!」
「はい?」
「この店、最高じゃん!」
店長が笑顔で頷くと、ルミナは勢いよく立ち上がりそうになる。
「もっと飲も! まだ全然足りない!」
その言葉に引っ張られるように、リリアの中の何かが弾けた。
「そうだそうだ!もっとさけもってこーーーい!!」
完全に素だった。
声量の調整という概念が、どこかに消えている。
黒服が一瞬、固まったのが見えた。
「ほらほら、さっきの美味しかったやつ!」
リリアが言う。
「なんかキラキラしてたやつ!」
「シャンパン、ですね」
「それそれ!それ持ってきて!」
オーナーが小さく笑う。
「では、せっかくですし一本入れます?」
メニューを差し出された気がしたけど、
数字はひとつも頭に入ってこなかった。
「入れる入れる!」
「ね、ルミナ!」
「いきましょ!いきましょ!」
深く考える暇なんてなかった。
テーブルに置かれたボトルは、明らかにこれまで見てきた酒とは違っていた。
透明な硝子は分厚く、内部に閉じ込められた淡い金色の液体が、店内の光を受けて静かに揺れている。
首元には細かな装飾が施され、封を留める金属には紋章のような刻印があった。
ただの酒瓶とは思えない。
むしろ、宝飾品に近い。
黒服がそれを扱う手つきも、どこか慎重だった。
音を立てないよう、テーブルに置くまでの動きがやけに丁寧で、自然と視線がそこに集まる。
「……すご……」
リリアの口から、思わずそんな声が漏れた。
高そう。
理由は分からないのに、それだけははっきりと分かる。
(これ……絶対、安くないよね……?)
頭の片隅で、そんな考えがよぎる。
でも、その思考はすぐに泡みたいに弾けて消えた。
オーナーが微笑みながら、慣れた手つきで封を切る。
軽い音とともに栓が外れ、ふわりと甘い香りが広がった。
「初回なのに、ありがとうございます」
その一言が、やけに心地よく響いた。
グラスに注がれた液体は細かな泡を立て、きらきらと光を反射する。
まるで、祝福でもされているみたいだった。
「……なんか……」
リリアはグラスを見つめながら、意味もなく笑った。
「高級そうだけど、今はいいよね」
誰に言うでもなく、そんな言葉を口にして、
そのまま深く考えるのをやめた。
「かんぱーい!」
グラスが触れ合い、軽い音が響く。
泡が弾けるのを見て、リリアは意味もなく笑った。
「なんか……世界って、優しいねぇ……」
そこから先は、ほとんど記憶が曖昧だ。
笑って、飲んで、また叫んで。
自分がどれくらい飲んだのかも分からない。
次に意識がはっきりした時、夜風がやけに冷たかった。
◆
目を開けた瞬間、世界が歪んだ。
「……っ、う……」
頭の奥が、鈍器で殴られているみたいに痛い。
喉はからからで、舌が張り付いている。
身体を起こそうとしただけで、胃の奥が不穏な音を立てた。
「……最悪……」
そう呟いた声すら、自分の耳に響いてうるさい。
ゆっくりと上半身を起こした拍子に、昨夜の光景が一気にフラッシュバックした。
甘い匂い。
きらきらした照明。
スーツの男たち。
そして――。
『もっとさけもってこーーーい!!』
「………………」
思い出した瞬間、リリアは布団に顔を埋めた。
「無理無理無理無理……私、昨日なにしてたの……」
胸の奥が、きゅっと縮む。
叫んだ記憶。
偉そうに指示していた感覚。
シャンパンの泡を無駄に振り回していた自分。
(前世の私が見たら、即死してる……)
ゆっくりと布団から抜け出し、ふらつく足取りで立ち上がる。
胃が重い。
口の中が苦い。
「……水……」
そう思ってテーブルを見ると、そこには見慣れない紙切れがあった。
「……?」
嫌な予感が、背中を這い上がる。
震える手でそれを掴み、文字を読む。
――未収
――金貨 五枚
――ご利用ありがとうございました。期限は五日後となっております。
「………………え?」
一瞬、意味が理解できなかった。
次の瞬間、血の気が一気に引く。
「……きんか……ご、まい……?」
声が震える。
頭の中で、金貨五枚の価値が計算されていく。
(え、待って……私の全財産……それ以上じゃない……?)
慌てて財布を開く。
中身は、綺麗さっぱり空っぽだった。
「………………」
言葉が出ない。
喉が詰まる。
目の奥が、じんわりと熱くなる。
「……終わった……」
その場にへたり込み、床に座り込む。
最強の力を持っていようが、今この瞬間、何の意味もなかった。
(なんで……なんで私、あんなに調子乗ったの……)
頭を抱える。
昨日の自分を殴りたい衝動が、胸を突き上げる。
その横で。
「ぐぉー……すぴー……」
盛大ないびきが響いた。
ルミナは布団をはみ出し、気持ちよさそうに爆睡している。
何事もなかったかのような寝顔だった。
「……ルミナ……起きて……」
揺すっても、反応はない。
ただ寝返りを打って、さらに大きないびきをかくだけ。
「……私ひとりで抱えるやつじゃん、これ……」
リリアは、領収書を握りしめた。
紙がくしゃりと音を立てる。
(最強なのに、異世界転生したのに、ホストで借金って……)
涙が出そうになるのを、必死で堪えた。
「……とりあえず……どうしよ……」
金貨五枚。
ツケ。
逃げ場なし。
こうして、リリアの異世界生活は、
とんでもなく情けない方向に転がり始めたのだった。
彼氏いない歴=年齢で死んだ私、異世界転生したら最強すぎてモテません。 かわうそ☆ゆう @Kawausoyuu
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