第3話 魔王ってイケメン?
門が近づくにつれて、人の声がはっきりしてきた。
荷車の軋む音、馬の蹄、笑い声、怒鳴り声。どれも現実の街と同じなのに、耳に入ってくる言葉の節回しがどこか異国のものに聞こえる。
「……異世界の街」
口に出すと、胸の奥が熱くなる。
ここからだ。第二の人生。
リリアは門へ向かって歩いた。
城壁は思ったより高く、石の目地が綺麗に揃っている。見張り塔の上では兵士が槍を持って立ち、行き交う人々を無言で見ていた。
門の前には列ができている。
商人風の男、旅装の女、背に大きな荷を背負った老人。
そこに混じって並ぶと、リリアの青いマントがやけに目立つ気がした。
順番が来る。
「止まれ。用件は」
門兵は二人。どちらも男で、鎧を着て槍を持っている。
声は硬いが、敵意はない。
「街に入って、冒険者ギルドに行きたいです。登録を」
リリアがそう言うと、門兵の視線が一瞬だけ止まった。
顔に、髪に、留め具に。
ほんの数秒の沈黙。
「……冒険者ギルドなら、通りを真っ直ぐ。噴水広場を越えて右。大きな鷲の紋が目印だ」
言葉は丁寧だった。
でも、近寄ってこない。
距離を詰めない。視線が長く留まらない。
「ありがとうございます」
「身分証は」
「……ありません」
門兵の眉が上がる。
それは当然だ。ここは街だ。身分が不明な人間を簡単に入れるはずがない。
しまった、と思った。
でも、会社員の感覚が先に働く。こういう時は、変に嘘を重ねない方がいい。
「目が覚めたら、街道にいて……事情が分からなくて」
門兵は少し黙った。
相棒の方が小さく咳払いする。
「……記憶喪失か?」
「たぶん……」
「最近多い。森の方で妙な話もある。だが……」
門兵の言葉が途中で止まった。
視線が、リリアの足元に落ちる。ブーツ。姿勢。呼吸。
それから、妙に慎重な声になった。
「……いや。ギルドに行け。街中で問題を起こすな。分かったな」
「はい」
門兵は頷き、門を開ける合図をした。
リリアは街へ足を踏み入れる。
石畳。
建物は木と石が混ざり、看板がぶら下がっている。
香辛料の匂い、焼きたてのパン、汗と酒。
人がいる。生活がある。
「……すごい」
思わず呟く。
この世界で、初めて「普通」の場所に来た気がした。
その一方で、背中に視線が刺さる。
振り返れば、男が目を逸らす。
別の男が、何か言いかけて口を閉じる。
――やっぱり、気のせいじゃない?
胸の奥が少しだけ冷える。
でも今は、立ち止まってる場合じゃない。
「冒険者ギルド。情報、仕事、宿。恋愛の出会いも……」
最後だけ声が小さくなる。
自分で言って恥ずかしい。
リリアは教えられた通りに歩いた。
噴水広場を越えると、人の流れが少し変わる。武器を持った者が増え、革鎧やマントの人間が目立つ。
そして見えた。
大きな建物。入口の上に、鷲の紋章。
扉は両開きで、中から歓声と笑い声が漏れている。
「ここだ」
扉を押して中に入る。
一瞬、空気が止まった。
ざわざわしていたはずのホールが、ほんの一拍だけ静かになる。
視線が集まる。
酒を飲んでいた男が杯を止め、掲示板を見ていた男が顔を上げる。
受付の列にいた者まで、こちらを見る。
リリアは固まった。
(え、なに? 私、なんか変?)
でも次の瞬間、誰もが「何もなかった」みたいに動き出した。
ただし、さっきまであった距離感が、確実に増している。
視線は来るのに、近づいてこない。
声をかけてこない。
笑い声が少しだけ小さくなる。
「……気のせい、だよね」
口に出して、自分に言い聞かせる。
ここまで来て引き返すわけにはいかない。
受付カウンターへ向かう。
カウンターの向こうには、赤茶色の髪を結った女性がいた。
年は二十代前半くらい。制服のようなベストを着て、忙しそうに書類を捌いている。
リリアが近づくと、彼女は普通に顔を上げた。
普通に笑った。
普通に、接客の声を出した。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルド・エルドリス支部へようこそ。ご用件は?」
……あ。
女性は普通だ。
この瞬間、リリアの中で何かが繋がった気がした。
男だけ。男だけ変。
「登録をしたいです」
「新規登録ですね。では、こちらにお名前を」
差し出された紙とペン。
字はこの世界のもののはずなのに、不思議と読める。書ける。神様のサービス精神が余計に腹立たしい。
「リリア・ヴァルハート」
書くと、受付嬢が頷いた。
「リリア様。年齢は?」
「二十歳です」
言いながら、心がちくりとする。
精神年齢二十九。ここは突っ込まない。
「次に、簡易の適性検査を受けていただきます。冒険者としての適職を判断するためのものです」
「適職?」
「はい。戦士、魔術師、斥候、治癒士などです。もちろん複合もありますが、まずは基礎として」
受付嬢は慣れた口調で説明し、カウンターの横に置かれた透明な水晶球を指差した。
「こちらに手を置いてください。少しだけ痛み…ではなく……温度が変わる程度です」
ちょっと嫌な言葉が聞こえた気がするけど、まぁ気のせいだろう。
「分かりました」
リリアは水晶球に手を置いた。
ひんやりとしていたはずの水晶が、瞬間的に熱を持つ。
まるで体温を吸い上げるように。
「……え?」
水晶球の中が光った。
白、青、金。色が混ざって渦になる。
そして、水晶球の上に薄い光の板が浮かび上がった。
リリアは目を見開く。
「……ステータス?」
やっぱりあるんだ。
ゲームみたいなやつ。
光の板には文字が並んでいた。
項目は多い。筋力、敏捷、魔力、耐久、精神、幸運。
そしてスキル欄。
……ただし。
数字が、おかしい。
受付嬢の顔から血の気が引いた。
「……え?」
彼女は固まったまま、光の板を見ている。
指が震えている。
リリアも覗き込む。
筋力:???
敏捷:???
魔力:???
耐久:???
精神:???
幸運:???
「……えぇ?」
全部、はてな。
数字じゃない。
スキル欄には見慣れない文字が並んでいた。多すぎて読み切れない。
その中に、やけに目立つ一行がある。
【勇者の加護:全パラメータ大幅上昇/武器適性無制限】
(……出た)
神様が言ってた「盛りすぎた」の正体。
その瞬間、水晶球が一度、鈍い音を立てた。
ヒビが入ったのかと思った。
でも割れてはいない。代わりに、光がさらに強くなり、ホール全体を白く照らした。
「うわっ」
周囲がざわつく。
視線が一斉にこちらへ向く。
「なんだ?敵襲か?」
「今の光……」
「おい、水晶がおかしいぞ」
男の声が聞こえる。
けれど、その声の主たちは近づいてこない。
驚きと恐れの混じった目。あの距離。
受付嬢はやっと息を吸った。
「リリア様……少々、お待ちください」
彼女は慌てて奥へ走った。
残されたリリアは、水晶球から手を離し、呆然と立っていた。
(え、私、そんなにヤバいの?)
周囲の冒険者がひそひそと話している。
でも誰も、話しかけてこない。
近寄らない。距離を取る。まるで危険物の扱いだ。
(……モテるとか以前の問題では?)
一歩近づけば、空気が固まる。
二歩近づけば、男が半歩下がる。
「……あのさ」
リリアは小さく呟く。
「私、恋愛するために来たんだけど」
誰にも届かない。
◆
受付嬢が戻ってきた。
顔が引きつっている。だけど、職務としての笑顔を必死に貼り付けている。
「リリア様。申し訳ありません。こちらへ……」
彼女はカウンターの横の扉を開け、奥へ案内した。
通された廊下は静かで、ホールの喧騒が嘘みたいに遠い。
「えっと……そんなに大事ですか?」
リリアが聞くと、受付嬢は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……はい。少々……特殊ですので」
特殊。
便利な言葉だ。会社でもよく使う。「特殊な案件」「特殊な対応」。つまり面倒で、責任の所在を曖昧にしたい時の言い回し。
奥の部屋に入る。
重い扉。簡素だが頑丈そうな机。棚に並ぶ書類と地図。
部屋の中にいたのは、四十代くらいの男だった。
髪に白いものが混じり、目が鋭い。鎧ではなく、黒いコートのような服を着ている。
武器は見当たらない。なのに、強い。そう感じる。
「……君がリリア・ヴァルハートだな」
声が低い。
威圧ではない。けれど場が締まる声。
「はい。そうです」
「私はこの支部の責任者、ガレインだ」
責任者。
つまり、偉い人。
ガレインはリリアを一度だけ見た。
そして、その視線がすぐに逸れた。
「状況は聞いた。君の検査結果は……異常だ」
「異常って、具体的には?」
リリアが聞くと、ガレインは短く息を吐いた。
「測定値が振り切れている。水晶が数値化を拒否するほどだ。冒険者の域ではない。英雄級――いや、勇者級と考えるのが妥当だろう」
「……勇者級」
その言葉に、リリアの背中がぞくりとした。
神様が軽い口調で言ってた「盛りすぎ」が、現実に重くのしかかる。
ガレインは机の上の書類を一枚、裏返して見せた。
そこには光の板の写しのようなものがあり、スキルの一部が記録されていた。
【勇者の加護】
【武器適性無制限】
【スキル複数所有(上限不明)】
「……上限不明って何」
思わず突っ込む。
ガレインは眉を動かしただけだった。
「君のような存在は、国が放っておかない。おそらくすぐに王都へ招致が来る。だが――」
彼は少しだけ声を落とす。
「今、この世界は魔王の脅威に晒されている。各地で魔物の動きが活発化し、村が消える例も出ている」
魔王。
聞こえた瞬間、リリアの脳内で「恋愛」のフォルダが勝手に開く。
ガレインは続ける。
「君の力があれば、討伐の可能性が見える。だから私は君に頼みたい。魔王討伐を目標に、冒険に出てほしい」
「いやです」
即答だった。
ガレインが少しだけ目を見開く。
「……理由を聞いてもいいか」
「恋愛するためです」
また即答。
ガレインの口が一瞬開き、閉じる。
言葉を探している顔。
「……恋愛?」
「はい」
リリアは背筋を伸ばした。
「私はずっと夢見てた恋愛をするために来たんです。正直いって、魔王なんて倒してる場合じゃないです」
「……」
「しかも、私今めっちゃかわいい!恋愛するなら今しかないじゃないですか!」
「……」
ガレインが黙り込む。
この沈黙、会社で何度も見たやつだ。上司が処理できない案件を投げられた時の沈黙。
「君は……自分の力が世界に与える影響を理解しているのか」
「理解してます。たぶん。だから、怖いんです。魔王討伐なんてしたら、私、また『誰かのため』で自分の人生終わらせそうで」
リリアの声が少しだけ低くなる。
笑い飛ばしてきたはずの過去が、ここで一瞬だけ顔を出す。
でも、すぐに持ち直す。
「だから、私は恋愛を優先します」
ガレインは深くため息をついた。
「……君のような存在が、恋愛のために力を使わないというのは――」
「恋愛のために使うかもしれないですけど」
リリアがさらっと返す。
「……」
ガレインの顔がさらに困る。
リリアは机に手をついた。
ここで押しに負けたら終わる。
美咲の人生と同じになる。
「魔王討伐は……嫌です。私はこの街でのんびりします。恋愛します。彼氏作ります」
「……だが」
ガレインは食い下がる。
責任者として当然だ。世界の危機に勇者級が目の前に来たら、放すわけがない。
リリアの中で、何かが弾けた。
「じゃあ聞きますけど」
「……?」
リリアは真顔で言った。
「魔王って、イケメン?」
ガレインが固まった。
「……は?」
「イケメンかどうかで、話変わるんですけど」
「……君は、何を言って……」
「だって、魔王がイケメンなら、討伐じゃなくて恋愛ルートあるじゃないですか」
「……」
ガレインの脳が停止しているのが分かる。
数秒。十秒。
沈黙が伸びる。
やがて、彼は喉を鳴らした。
「……お、おそらく……」
声がかすれている。
「よし」
リリアが拳を握る。
「じゃあ魔王討伐も視野に入れてあげます」
「……入れてあげます?」
「はい。でも今はこの街でのんびりします。恋愛優先です。まずは生活基盤作って、出会いを増やして、ついでにお金も稼いで――」
リリアは指を折る。
「その上で、魔王がイケメンだったら……対面してから決めます」
ガレインは頭を抱えそうな顔になった。
「……君は……」
「私、真面目に生きてきたんです」
リリアは胸を張る。
「だから、今度こそ不真面目に恋愛します」
ガレインは長い溜息をついた後、諦めたように言った。
「……分かった。ひとまず、君の自由行動を認める。ただし、問題が起きればすぐ報告しろ。国への報告も必要だ。君は目立ちすぎる」
「分かりました」
「そして……」
ガレインは目を細めた。
「……頼むから、街で人を壊すな」
「壊しませんよ!?」
即ツッコミが出る。
でも、言われた理由が分からなくもない。
あの距離。男たちの反応。
私、何か出てるのかもしれない。圧とか、殺気とか、よく分からない何か。
「じゃあ、登録は完了ってことでいいですか?」
「……ああ。ギルドカードは受付に用意させる」
「やった」
リリアは心の中でガッツポーズした。
恋愛と生活の第一歩。冒険者ギルド登録完了。
よし。これで――
◆
受付に戻ると、ギルドカードが渡された。
薄い金属板に名前と紋章が刻まれている。触ると少し温かい。
「リリア様、登録おめでとうございます。これがギルドカードです」
受付嬢は笑顔だった。普通の笑顔。
ありがたい。男の引き目が続くと、心が折れそうになる。
「ありがとうございます。えっと、まずは宿を探したいんですけど……」
「宿でしたら、ギルド提携の宿がいくつかあります。初心者向けなら――」
受付嬢が地図を出し、説明してくれる。
リリアは頷きながら聞いた。
聞きながら、ふと気になる。
「料金って、どれくらいですか?」
「一泊、食事付きで銅貨八枚ほどです」
銅貨。
なるほど。通貨単位。
リリアは一瞬だけ固まった。
「……銅貨って、どこにありますか?」
受付嬢がきょとんとする。
「……え?」
「えっと、私、今いくら持ってるか分からなくて」
リリアは腰のポーチを触った。
そういえば、さっきから重さを意識してなかった。
ポーチの口を開け、手を突っ込む。
指先に触れたのは――
空気。
「……」
もう一度探る。
布の内側しかない。
(嘘でしょ)
顔が引きつる。
「……リリア様?」
受付嬢が心配そうに覗き込む。
リリアは笑顔を作ろうとして、失敗した。
「……私、もしかして」
声が震える。
「一文無し……?」
受付嬢の笑顔も固まる。
その瞬間、リリアの脳内で「恋愛」フォルダが閉じた。
代わりに「生活」フォルダが強制的に開く。
――恋愛以前に、生活問題だった。
リリアは青いマントを握りしめた。
「……まず、稼がないといけないらしい」
異世界での第二の人生。
最初の課題は――
彼氏ではなく、金だった。
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