第2話 冒険者の街へ
「まずは、人がいる場所に行こう」
異世界で一番怖いのは、魔王でも魔物でもなく、情報がないことだ。
会社で鍛えられた直感がそう言っている。
周囲を見回す。
草原の向こうに、踏み固められた道が一本伸びていた。
街道、というやつだろうか。人の通った痕跡がある。
「道があるなら、街もある」
心の中でそう整理して、歩き出す。
◆
しばらく歩くと、遠くから車輪の音が聞こえた。
ガタン、ゴトン、と規則的な揺れ。
馬のいななき。人の声。
「……来た」
一瞬、喉が緊張する。
異世界の人間に話しかける。
言葉は通じるのか。ここはどこの国で、私は誰だと説明すればいいのか。
不安が押し寄せるより早く、道の先から馬車が現れた。
木製の荷馬車。
引いているのは二頭の馬。
御者台には、茶色の外套を羽織った中年の男が座っている。
馬車の荷台には布で覆われた樽や箱。
商人、だろうか。
リリアは深呼吸して、道の端に立った。
怪しく見えないように、手をゆっくり挙げる。
ふと、自分の格好を意識する。
白に近い淡い色のチュニックに、青いショートマント。動きやすい旅装だが、汚れ一つなく整いすぎている気もする。
腰の革ベルトも、靴も、どこか既製品のように完璧だった。
……これ、浮いてないよね?
「すみません!」
声が、自分でも驚くほどはっきり出た。
馬車の男がこちらを見た。
一瞬、目を見開いたように見えたのは、気のせいだろうか。
「……おいおい、こんなとこに嬢ちゃん一人か?」
馬車が速度を落とす。
男は手綱を握ったまま、警戒するように視線を走らせた。
「はい。えっと……道に迷ってしまって」
嘘ではない。
迷っているのは地理だけじゃなく、人生そのものだけど。
「ここは……どこですか?」
男は少し黙ってから答えた。
「ここはクラウゼン街道だ。南の方に行けば、駆け出し冒険者が集まる街……エルドリスに着く」
「エルドリス……」
街の名前を繰り返す。
音の響きが新鮮で、胸が高鳴る。
「そこまで、どれくらいですか?」
「半日ってとこだな。歩きならな」
半日。
ちょうどいい。
一話で到着まで行ける距離感――なんて、心のどこかで作家みたいな思考がよぎって、慌てて打ち消した。
「ありがとうございます。助かります」
「……嬢ちゃん、身分証は? 金は?」
「……」
身分証。
この世界の常識を何も知らないのが、いきなりバレそうだ。
「……ありません。えっと、目が覚めたら……ここに」
言い訳としては弱い。
でも、正直に近い。
男は眉をひそめ、しばらくリリアを見た。
視線が、顔に。髪に。マントの留め具に。
そしてすぐに、少しだけ目を逸らした。
「……事情ありか。ま、ここらじゃ珍しくない」
言い方は優しい。
でも距離がある。
親切にしてくれているのに、踏み込まない壁がある。
リリアはその壁に触れないように、丁寧に言った。
「エルドリスに行けば、まず何をすればいいですか?」
男は少しだけ顔を緩めた。
「駆け出しなら、冒険者ギルドだ。登録して、仕事を貰って、飯と宿を確保する。あそこは人が多い。情報も集まる」
人が多い。情報が集まる。
そして、リリアの頭の中では別の言葉に変換される。
――出会いも多い。
「……なるほど」
胸の奥が、期待で少し膨らむ。
「魔物が出るって聞いたんですけど、この道は危ないんですか?」
男の表情が少し硬くなる。
「本来はな。森が近い。油断すれば出る。特に一人歩きは……」
そこまで言って、男は言葉を切った。
視線が一瞬、リリアの足元に落ちて、すぐに戻る。
「……いや、嬢ちゃんは……大丈夫、か」
「え?」
「いや、なんでもない」
なんでもない、が不自然だった。
でも問い詰める空気でもない。
「とにかく、日が暮れる前に街に入れ。門が閉まる」
「はい。ありがとうございます」
「……道を外れるなよ」
男はそう言って、手綱を軽く振った。
馬車がまた走り出し、車輪の音が遠ざかっていく。
◆
一人になった街道で、リリアは立ち尽くした。
親切だった。
必要な情報はくれた。
危険も教えてくれた。
なのに。
「……なんか、距離あったな」
言葉にすると、自分が面倒くさい女みたいで嫌になる。
でも、確かに一瞬、男は怯えたように見えた。
――気のせい、だよね?
「私、まだ何もしてないし」
旅人風の服。青いマント。金髪碧眼。
見た目が目立つのは確かだ。
だから驚かれただけ。そういうことにしておこう。
「よし、エルドリス」
街の名前を口に出すと、現実味が増す。
人が多い。情報が集まる。冒険者ギルド。
そこにはきっと、同世代の男性もいる。いや外見は二十歳だし、範囲は広い。
「……今度こそ恋愛できる」
小さく呟いて、頬が熱くなってしまう。
自分で言って照れるのは、二十九歳でも変わらないらしい。
「……大人の余裕、あるし」
言ってから、ちょっと悲しくなるのも相変わらずだ。
リリアは歩き出した。
街道はまっすぐで、迷う余地はない。
半日――なら、夕方前には着く。
◆
歩き始めて、しばらく経つ。
静かだ。
風の音と、自分の靴が土を踏む音だけ。
鳥の声が遠くに聞こえる。草が揺れる。
……静かすぎる。
「……魔物、出るって言ってたよね?」
街道の左右には草むらが広がり、ところどころに木立がある。
隠れる場所なんていくらでもある。
なのに、気配がない。
視線を左右に走らせても、何も動かない。
草が揺れるのは風のせいだけ。
獣の鳴き声すら、ほとんど聞こえない。
「……拍子抜け」
異世界って、もっと物騒だと思ってた。
スライムに襲われるとか、盗賊に絡まれるとか、そういう定番があると思ってた。
「ラッキー……なのかな」
でも、どこか引っかかる。
あの旅人の言い方。
「本来は危ない」
「一人歩きは」
そこから急に「嬢ちゃんは大丈夫」になった。
まるで、私の何かを見て判断したみたいに。
「……いやいや」
首を振る。
「考えすぎ。私まだ何も――」
言いかけて、言葉を飲み込む。
そういえば私は、“盛りすぎた”って言われた。
神様が、強くしすぎたって。
その一言で、この転生が素直な救済じゃない気がしてきたのを、思い出す。
「……でも、能力とか、今は分からないし」
ステータス画面みたいなのが出るわけでもない。
スキル一覧が頭に流れ込むわけでもない。
ただ、体が軽い。
目が良い気がする。遠くの景色がはっきり見える。
耳も、風の向きで音が変わるのが分かる。
「これが……転生特典?」
そんな言葉を口に出した瞬間、背中が少し寒くなった。
自分が、自分じゃないみたいな感覚。
整いすぎた顔。軽すぎる体。
そして、魔物が寄り付かない静けさ。
「……うん、気のせい。気のせい」
リリアは歩く速度を少し上げた。
考え出すと止まらなくなるのは、会社員時代からの悪い癖だ。
◆
半日という時間は、思ったより早かった。
太陽が傾き始めた頃、遠くの地平線に影が見えた。
「……あれ?」
目を細めると、それは壁だった。
高い石の城壁。見張り塔。旗。
街だ。
胸が、どくんと鳴った。
「……エルドリス」
街の外には畑が広がり、行き来する人影が小さく見える。
荷車を引く者。徒歩で歩く者。馬に乗る者。
――人がいる。
その当たり前が、こんなに嬉しいなんて。
「やっと……」
喉が少し熱くなる。
泣きたくなるほどじゃない。でも、ほっとする。
リリアは歩幅を大きくして、街へ向かった。
門へ続く道は、さっきまでの静かな街道と違って、少し賑やかだった。
すれ違う人がいる。
会話が聞こえる。
「……よし」
胸の奥に、小さな火が灯る。
ここから、始まる。
私の第二の人生。
今度こそ、ちゃんと恋愛して、誰かに選ばれて――。
「彼氏作るぞ、異世界で」
小声で言って、少し照れる。
そして、その門がはっきり見えた瞬間――
なぜだろう。
門の前の人だかりが、一瞬だけ、こちらを見た気がした。
視線が、揃う。
空気が、ほんの少しだけ変わる。
「……え?」
足が、止まりかける。
でも、すぐに皆、何事もなかったみたいに視線を逸らして、流れに戻っていく。
ただ、最後に残ったのは――
さっき旅人が見せたのと同じ、あの“距離”だった。
「……気のせい、だよね?」
リリアは自分に言い聞かせるように呟き、
街の門へ向かって歩き出した。
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