第2話:【10月15日:営業が『できる』と言ったものを作る作業】

 二〇二五年、十月十五日。

 カレンダーが二週間進んだ。僕の生活からは、まず「自炊」が消え、次に「湯船に浸かる時間」が消えた。今や僕の身体は、コンビニのプロテインバーと、オフィスに常備された強炭酸水、そして深夜に誰かが注文するピザの脂で構成されている。


「……ねえ、これ、本当にやるの?」

 朝九時の定例ミーティング。ホワイトボードの前に立った営業部のエース、山下さんが「決定事項」として書き込んだ文字を見て、開発リーダーの佐藤さんが掠れた声を出した。

 そこには、『論理整合モード:完全実装』と太いマジックで書き殴られていた。


「はい! 先方の担当者、めちゃくちゃ乗り気ですよ。『AIが過去の全発言を記憶して、矛盾を指摘し、絶対に嘘をつかない』。これができれば、金融系のコンサル案件を一気に独占できるって。数億円規模の、デカい話になります!」


 山下さんは、悪びれる様子もなく、むしろ「手柄を立てた」という誇らしげな顔で笑っている。彼は決して無能ではない。むしろ、人当たりが良く、クライアントの懐に入るのが天才的に上手い。ただ、彼にとっての「AI」は、望めば何でも出てくる魔法の箱だった。そして、彼はその箱の性能を心から信じていた。


「山下さん、今の仕組み、知ってるよね?」

 佐藤さんが、震える指で眼鏡のブリッジを押し上げた。

「出力は常に確率的なんだ。百パーセントの整合性を保証するなんて、数学的に……いや、構造的に不可能に近い。それを『絶対』と謳って売るなんて、技術的には自殺行為だ」


「えっ、でも佐藤さん」

 山下さんは、心底不思議そうに首を傾げた。その瞳に悪意は微塵もない。

「瀬良CEOが言ってたじゃないですか。『うちは独自の、ええと、特許申請中のロジックがあるから、他社とは一線を画す安全制御ができる』 って。AIなんだから、気合でロジックを組めば、なんとか帳尻合わせられるんですよね? 僕、信じてますよ。うちの技術陣なら、世界を変えられるって」


 その瞬間、開発チームの全員が黙り込んだ。

 実際には、うちの会社に特許なんて一つもない。 瀬良さんが投資家や山下さんに語っている「申請中」という言葉は、ただの時間稼ぎとハッタリだ。現場が、泥臭い手作業とif文の山で「それっぽく」見せかけている嘘を、山下さんは本物だと信じ込み、その熱意のままに巨大な契約を獲ってきたのだ。彼の無邪気な善意と信頼が、鋭いナイフとなって僕たちの首元に突きつけられる。


「……約束、しちゃったんだよね?」

「はい。三ヶ月後の納品で、着手金ももう振り込まれる予定です。僕も、技術的なことはよく分からないけど……みんななら、いけるって信じてますから!」


 山下さんの、その純粋な「信じてます」という言葉が、どんな罵倒よりも重く僕たちの肩にのしかかる。彼は悪人ではない。ただ、彼を突き動かしているのは、会社を大きくしたいという純粋な願いと、彼自身の居場所を守らなければならないという切実な焦りだった。


 その夜、僕は佐藤さんに指示された「矛盾検知」という名の、膨大な例外処理コードを書き始めた。

 本来なら、上層部が空想しているようなエレガントなアルゴリズムで解決できればいい。だが、僕たちに有効な特許も技術も何もない以上、与えられた時間でできるのは、AIが吐き出した矛盾する回答を正規表現で無理やり検知し、別の定型文に差し替えるという「偽装」だけだ。


 キーボードを叩く音が、静まり返ったオフィスに響く。

 深夜二時。Slackの `#ceo_ideas` チャンネルが動いた。


『山下から聞いたよ! 論理整合モード、革命的だね。ついでに、ユーザーの性格に合わせて論理のトーンを変える機能も追加しよう。AIなら、ちょっとパラメータいじるだけで簡単だよね?』


 瀬良CEOからの、無邪気な爆弾。

 画面を見つめる佐藤さんの背中が、一回り小さくなったように見えた。

「……やろう。やればいいんだろ。どうせ、最初から何も持ってないんだ、俺たちは」

 その呟きは、誰に向けたものでもなかった。


 僕たちは、自分たちがどこへ向かっているのか、もう考えないことにした。

 山下さんが持ってきた契約書を、そして瀬良さんが吹聴する「架空の特許」を現実にするために、ただひたすら、動かないAIの糸を操り続ける。


 日記の最後の一行:

 ――山下さんは帰り際、「みんなでハワイ行こうな!」と笑っていた。その笑顔を、僕はどうしても嫌いになれなかった。

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2026年1月16日 22:00
2026年1月17日 22:00
2026年1月18日 22:00

デスマーチするAIベンチャー 五平 @FiveFlat

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