2話

2.0 ナイタアト。

 目を覚ましたとき、リンカは自分がどこにいるのか、すぐには分からなかった。


 天井が白い。

 見慣れない――いや、見慣れているはずの、宿舎の天井だった。

瞬きをすると、昨日の夜が、遅れて押し寄せてくる。

 


 泣いた。

 喚いた。

 名前を呼んで、否定して、縋って。


 胸の奥が、ぎゅっと縮こまった。


「……っ」


 息が浅くなる。

 反射的に身体を起こそうとして、失敗した。


 腕が、動かない。


 正確には――

 動かせなかった。


 リンカはゆっくりと視線を落とす。


 自分の身体は、横向きに寝かされていた。

 背中にはぬくもりがある。

 腰には、回された腕があった。

 指先が無意識のように服を掴んでいる。


 アリシアだった。


 眠っている。

 静かな呼吸。

 規則正しい鼓動。


 リンカは、一瞬だけ、昨日の続きを期待してしまった。


 ――まだ、壊れていていいんじゃないか。

 ――まだ、ここにいていいんじゃないか。


 でも、その考えはすぐに消える。


 胸の奥に残っているのは、安堵じゃない。

 鈍く、重い、後味の悪さ。


 泣き疲れて眠った自分。

 抱かれたまま、逃げた自分。


「……最低だ」


 声は、ほとんど音にならなかった。


 勇者が。

 生き残った人間が。

 仲間を失った張本人が。


 こんなふうに、温もりにしがみついて眠るなんて。


 リンカは、そっとアリシアの腕をほどこうとした。


 だが。


 わずかに動いた瞬間、背後の気配が変わる。


「……起きてしまいましたか」


 耳元で、静かな声。


 アリシアの腕が、解けるどころか、少しだけ力を増した。

 逃がさないほどではない。

 でも、離れやすくもない。

「……ごめん。起こした」

 

「いいえ」

 アリシアは、リンカの背に額を預けたまま言った。


「ちゃんと、眠れていましたから」


 その言葉にリンカの胸が、ちくりと痛む。

 ちゃんと、眠っていた。

 浅ましい。


 リンカは唇を噛んだ。


「……昨日のこと」


 言おうとして、止まる。

 謝罪なのか、言い訳なのか、自分でも分からなかった。


「忘れてください」

 先にアリシアが言った。

 柔らかく。

 当然のように。


「リンカ様が弱っていた。

 それだけです」


「……忘れられないよ」

 リンカはぽつりと返した。

「忘れちゃ、だめだと思う」


 アリシアの呼吸が一瞬だけ、止まる。

 

「私……」


 リンカは、視線を天井に向けたまま続ける。


「今日もきっと行かなきゃいけない」

「……はい」

「呼ばれる」

「はい」

「戦えって言われる」


 昨日王の前で口にした言葉が、喉の奥に残っている。


 ――国に、従います。


「それなのにさ」


 リンカは少しだけ声を落とした。


「昨日みたいに壊れたままだったら……弱いままだったら、

 きっと、ダメなんだ」


 アリシアは、何も言わない。


 リンカは、知っていた。

 この沈黙は、否定ではない。

 むしろ――肯定に近い。


「……勇者様」


 やがて、アリシアが口を開く。


「よいのですよ」


 リンカの喉が、ひくりと鳴る。


「後悔していても、

 泣いていても。

 それでも、剣は振れる」


 あまりにも静かな言い方だった。


「……それって」

 リンカはゆっくりと振り向いた。


「私がどうなっても関係ないってこと?」


 アリシアの顔が視界に入る。

 穏やかな微笑。

 昨日と同じ。


「関係あります」

 即答だった。


「だからこそ、私がいるのですよ」


 逃げ場のない言葉。


「リンカ様が壊れきってしまわないように」

「……壊れ“きる”?」

 リンカは、小さく笑ってしまった。


「もう十分じゃない?」


「いいえ」

 アリシアは、微笑みを崩さない。

「まだ、選べています」


 その一言がリンカの胸を貫いた。


 選べている。

 だから、使える。

 だから、立たされる。


 リンカは目を閉じた。


 脳裏に浮かぶ。

 クラウンの背中。

 ノリアの横顔。

 アランの笑顔。


 そして、まだ知らない顔。

 これから失われる誰か。


「……ねえ、アリシア」


「はい」


「もしさ」


 リンカは、喉の奥の震えを押さえながら言った。


「私がもう選べなくなったら……

 どうする?」


 一拍。


 ほんの、短い間。


「その時は」

 アリシアは、リンカの額に、そっと指を当てた。


「私が代わりに選びます」


 優しい声だった。

 救いの言葉だった。


 だからこそ。


 リンカの背筋にひやりとしたものが走る。

 それでもリンカはその指を振り払わなかった。


 振り払えなかった。


 


 窓の外では、街が動き始める。

 祝祭の後の、何事もなかったような朝。


 勇者は立ち上がらなければならない。

 聖女はその背に、静かに手を添える。


 それが支えなのか、

 刃なのか。



 朝は、容赦なく始まっていた。

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悔恨のユウシャ。 充電6% @karisu0159

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