1.2 誰ノ為ニ。

王城、玉座の間は、静かすぎるほどに静かだった。


 凱旋の喧騒が嘘のように遠ざかり、分厚い扉の向こうで遮断されている。高い天井に描かれた神話画と、磨き上げられた大理石の床が、足音をやけに大きく反響させた。


 リンカは赤い絨毯の上を歩きながら、背筋を伸ばすことだけに意識を集中させていた。

 視線を落とさない。

 歩幅を乱さない。

 顔に浮かべるのは、感情の薄い微笑。


 ――勇者らしく。


 それだけが、今の彼女を支えている。


「勇者リンカ、並びに聖女アリシア、謁見を許す」


 重々しい声が響く。


 玉座には、バリオス王国 国王ローディアス三世が座していた。王冠の宝石は眩しく、その輝きは権力を象徴していた。

 左右には重臣と貴族たちが控え、全員がリンカを値踏みするように見つめている。


 リンカは膝をつき、形式通りに頭を下げた。

 隣ではアリシアも同じ動作をしている。聖衣の裾が床に広がる音だけが、妙に耳についた。


「面を上げよ、勇者よ」


 言われるがまま顔を上げる。

 紅い瞳が、玉座を正面から捉えた。


「――よくぞ魔王アルデバランを討った。

 人類の長き苦難は、そなたの手によって終わりを迎えたのだ」


 王の声は朗々としていた。

 その一言で、この場にいる誰もが「正史」を確認する。


 魔王は討たれた。

 人類は救われた。

 勇者は正しかった。


「我がバリオス王国を代表し、深い感謝と最大の栄誉を授けよう」


 王が手を上げると、侍従が前に進み出て、絹の箱を開いた。中には勲章と、莫大な褒賞の目録が収められている。


「領地、財貨、称号――望むものは何でも与えよう。

 そなたはそれに値する」


 一瞬、リンカの思考が止まった。


 ――望むもの。


 思い浮かばない。

 金も、地位も、名誉も。


 代わりに脳裏に浮かぶのは、三つの顔だった。


 笑っていたクラウン。

 呪文を詠唱し続けたノリア。

 傷だらけで笑ったアラン。


 その誰一人として、この場にいない。


「……いえ」


 気づけば、声が出ていた。


 場の空気が、一瞬だけ揺れる。


「私は……褒賞を望みません」


 重臣たちがざわめく。

 王の眉が、わずかに動いた。


「ほう?」


「勇者として、やるべきことをしただけです。

 報酬を求める資格は……」


「慎め」


 王の声が、低く遮った。


 柔らかさはない。

 だが怒気も含まれていない。

 ただ、秩序の声だった。


「謙虚さは美徳だが、国として示しがつかぬ。

 英雄を正当に扱わねば、民は不安になるのだ」


 ――民のため。

 その言葉が、リンカの胸に引っかかる。


「そなたは“勇者”だ。

 個人の感情より、役割を優先せねばならぬ」


 王はそう言って、リンカを見据えた。


「魔王は倒された。

 だが、世界は未だ不安定だ」


 重臣の一人が一歩前に出る。


「魔族の残党、魔王領に巣食いつつある無法者、治安の悪化……

 平和とは、守らねば簡単に崩れるものです」


「勇者リンカよ」


 再び王が口を開く。


「そなたには引き続き、国の剣として働いてもらう。

 魔族の掃討、反乱分子の鎮圧――

 民はそなたを必要としている」


 リンカの喉が、ひくりと鳴った。


 ――まだ、戦えと?


 胸の奥で、何かが軋む音がした。


「……私の、意思は」


「当然、尊重する」


 王は即答した。


 その声は、あまりに早く、あまりに整っていた。


「そなたが拒むなら、それもまた一つの選択だ。

 だが――」


 言葉が、静かに続く。


「その場合、民は失望するだろう。

 勇者に救われると信じていた者たちは、見捨てられたと感じる」


 脅しではない。

 事実の提示だ。


「英雄が背を向けた、という“物語”が残る」


 リンカの指先が、わずかに震えた。


 選択。


 まただ。


 また、選ばなければならない。

 選ばなかった結果を、もう知っている。


 リンカは唇を噛みしめ、ゆっくりと息を吸った。


「……分かりました」


 その一言が、やけに遠く感じた。


「私は、勇者として――

 国に、従います」


 玉座の間に、安堵の空気が広がる。


「うむ。それでよい」


 王は満足げに頷いた。


「安心せよ、勇者リンカ。

 そなたの名は歴史に刻まれる。

 そなたの犠牲も、選択も、すべて“正しかった”と」


 ――本当に?


 クラウン――

 ノリア――

 アラン――

 3人の死は、正しかったの?


 その疑問は、口には出なかった。


 謁見が終わり、退室を命じられる。


 リンカは立ち上がり、踵を返す直前、ふと視線を落とした。


 赤い絨毯の上に、自分の影が落ちている。


 それは英雄の影には見えなかった。

 何かを引きずるように歪んだ、人の影だった。


 隣で、アリシアが小さく囁く。



「……リンカ様」


 その声は、変わらず優しい。


 リンカは頷くだけで、何も言わなかった。


 玉座の間を出た瞬間、胸の奥に沈んでいたものが、確かな形を持つ。


 ――ああ。


 これは、終わりじゃない。

 これは、始まりだ。


 救われた世界が、

 勇者にさらに多くを求め始めた、その始まり。


 リンカはまだ知らない。


 この選択が、

 また人の命を奪うことになることを。

 

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