1話

1.0 シュウケツ。

 魔王アルデバランの首が、床に落ちる音は思ったより軽かった。

 骨が砕けるでもなく、血が噴き出すでもない。ただ、湿った音が一つ鳴って、それで終わった。


 終わったのだ、と彼女は理解する。


 紅い瞳に映る魔王城の玉座の間は、崩れかけた静寂に満ちている。巨大な魔力の残滓が空気を歪ませ、息をするたび喉が、肺が痛んだ。

 剣を握る指は震えていない。震える力は、もう残っていない。


勇者リンカ、十八歳。

 日本からバリオス王国に召喚され、たった二年で魔王を討った。


「…終わった……」


 声に出した瞬間、胸の奥がひどく空虚になった。

 喜びも、達成感も、なにもない。ただ、何かを置き忘れたような感覚だけが残る。


 リンカは足元に広がる血の海の中で、最初に仲間の名前を思い出していた。

 自分のせいで散っていった大事な仲間達の名を。


 格闘家のクラウン。最初に死んだ。

 蒼空卿シルヴァの一撃を、その身で受け止めた。勇者を守るために。

 死体は回収できなかった。魔物に食われたと、後で聞いた。


 二番目は魔法使いのノリア。

 傀儡卿マリオネッターに殺され、死体を人形のように弄ばれた。

 リンカの目の前で。

 それでも彼女は最後まで呪文を詠唱していた。勇者を守るために。


 最後は戦士のアラン。

 リンカが壊れていくのを見ていられないと言って、魔王に単騎で挑んだ。

 追いついた頃には手遅れだった。

 傷だらけで、笑いながら死んでいった。


「……私が、選んだ」


 選択することが苦手だった。

 転移前のリンカは、何も決められなかった。決めるのが、選択するのが怖かった。決めた先が悪いものだったら嫌だから。

 しかし決めたのだ。ここでは選ぶと。ここで変わるんだ。胸を張れる自分になると。

 そうすれば後悔は晴れると思うから。


 勇者として、正しい選択をすると誓ったあの日から。


 仲間を失い、絶望を力に変え、それでも前に進んだ。

 だから魔王は倒れた。

 人類は救われた。


 ――それなのに。


 玉座の前に立つリンカの背後で、柔らかな足音がした。


「リンカ様……」


 聖女アリシアの声だった。

 金髪碧眼の少女は、幼い体に似合わないほど重い沈黙を背負って立っている。

 癒しの力は、もう必要なかった。勇者の力が覚醒し、傷はすべて塞がっている。


 それでもリンカは振り返らなかった。


「アリシア……私、正しかったよね」


 問いは、答えを求めていなかった。

 確認だ。ただの確認。


 魔王アルデバランは、最後に涙を流していた。

 和平を望んでいたと語り、人間を恨んでいないと言って、静かに息絶えた。


 リンカは剣を下ろしたまま、その場に立ち尽くす。


 世界は救われた。

 正しい選択だった。


 ――はずなのに。


 その瞬間から、リンカの中で何かが確実に壊れ。崩れ。

 取り返しのつかないものとなっていく。

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