第3話 鳴神様とアイスクリーム①

摂氏36度、湿度72%


こんな真夏の真っ昼間に外に出るやつは、頭がおかしい。

常々そう思っていたが、一つだけ訂正がしたい。


正しくは、頭がおかしくなる、だ。

脳みそが溶けて、そのまま死んでしまいそうである。


ちょうど、あのアイスクリームのように。


「おお!実に美味じゃのぅ。現代の氷菓子は!

これで百円とは革命ではないか、同志よ!」


「誰が同志ですか……はぁ。

ただでさえ暑いんですから、余計なエネルギー使わせないでくださいよ」


何の動画を見たのか知らないが、今日は輪をかけておかしなことを言う。

いちいち反応しないと、不機嫌になるのだから、面倒くさいことこの上ない神様だ。


「なんじゃ、口答えするのか?確か、できる限りは──」


「……しますよ」


不満を漏らすと、これである。

数百年ぶりの受肉と顕現けんげんに、気分がたかぶっているのだろうが──


「もう一時間近く歩いてますけど、これどこに向かってるんですか?」


目玉焼きが作れそうなアスファルトの上を歩かされる身としては、たまったものではない。


「ん?目的地にはとうの昔についておる。

今はがどこにいるのかを探しておるのじゃ!」


「……なんですかって。

こんな山の中腹まで来て、熊でも探してるって言うんじゃないでしょうね?」


埼玉県と東京都を跨る巨体な森林、鳴神山地。

舗装道路沿いとは言え、自然の圧に背筋が冷える。


「くま?カッカッカッ!

邪鬼じゃき』は、お主が思っているような、そんな可愛らしい生き物ではないぞ?」


「はぁ……邪気?

スピリチュアルなのはやめてくださいよ」


「邪気ではない。邪な鬼と書いて邪鬼じゃ。

それとスピリチュアルとはなんぞや?罵りにしか聞こえんがの」


むっとした横顔を見て、ひとまず納得する。

ろくでもないものを探している──それだけは理解できた。


「鬼って……大丈夫なんですか?

そんな物騒なの、俺じゃどうにもならないですよ」


「カッカッカッ!

初めから頼りになどしとらんわ!

お主は地図代わり兼財布じゃ、自惚れるでない」


「なっ……!

そんな理由で俺を外に出したんですか!

勘弁してくださいよ、スマホと財布は渡しますから……」


「──お主はそれでいいのか?

ワシは今からこの身体で戦うのじゃぞ?」


「えっ……」


戦う。斜め横から鈍器で殴られたような感覚だった。


現代日本において、身体に害が及ぶ事態は稀だ。

ゆえに、鳴神様が美琴の身体を憑代としていようとも、問題は生じないとそう考えていた。

しかし──


「おっ、おったわ。あんなにブクブク太りおって……

相変わらず人の多い場所は悪感情が溜まって困るのぅ」


邪鬼。

その字面だけで、胸の奥がざわついた。


「なんですか、あれ……ちょっと──!」


鉄柵を乗り越え、獣道を駆け出す神様を慌てて追う。

靴の中に小石が入り込むが、そんなことを気にしている余裕はない。


「はぁ……はぁ……あれが、邪鬼……」


森の一部を飲み込むほどの赤黒い球体。

邪悪なスライム──そんな比喩が脳裏をよぎった。


「あれは人間の悪感情が歪み、形を持ったものじゃ。

幼体のうちは無邪気に暴れ回るだけじゃが、時が経てば自我を持ち、怪異や幽霊へと姿を変えよる」


幽霊。現実味のない言葉だが、神様の口から出ると、妙に重みがある。


「そうなったら終いじゃ。

あ奴らは小賢しくも気配を隠す。

ゆえに、ワシのような土地神が、幼体うちに叩いておるのじゃ。」


「……叩くって、あれをですか?」


近づくほどに知覚する。

その圧倒的な巨大さを。


「本来なら、ブレス1発で終いなんじゃがの。

この身体ではそれができぬ。」


「……ブレスって──っ」


瞬間、心臓を鷲掴みにされたような不快感が全身を駆け抜けた。


「お、おぇ……っ、はぁ、はぁ……」


「ちっ、もう気づきおったか」


血の気が引き、指先が氷のように冷える。

胃の中が反転し、嗚咽だけが喉からこぼれ落ちた。


「幼体と言っても邪鬼は邪鬼。

人の子が耐えられるものではないか……」


鳴神様は舌打ちをし、視線を外す。


「仕方がない、ここで待っておれ。

さっさと片付けてくるからのぅ」


恐ろしかった。

あのような怪物がこの世に存在することも、それに立ち向かえる存在がすぐ側にいたことも。


何処か隣人のように思えていた神様は、

最初から──遥か遠くにいる存在だったのだと突きつけられた気がして。


恐ろしくて、

そして、どうしようないほど悲しかった。

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