第12話 プロポーズ
カイは医務室の重厚な防音扉を、壊れ物を扱うような手つきで押し開けた。
部屋には、清潔なリネンと微かな薬品の匂いが漂っている。
帝国の汚れたバラックとは違う、広域圏艦隊の象徴たる『大和』が誇る静謐な空間。その真っ白なシーツの海に沈むようにして、ミナは眠っていた。
「……ミナ」
カイが消え入りそうな声で呼ぶと、彼女の長い睫毛が微かに震えた。
ゆっくりと開かれた琥珀色の瞳が、差し込む朝の光を反射して、潤んだようにカイを捉える。
「……カイ……? 本当に、カイなの?」
「ああ。……もう大丈夫だ、ミナ。ここは『大和』だ。もう、誰も君を傷つけない」
カイが枕元に膝をつくと、ミナは力なく、けれど確かな体温を求めて手を伸ばしてきた。
カイはその細い手を、自分の大きな両手で包み込むように握りしめる。
「足……ごめんね、カイ。私、こんなになっちゃって……。もう、あなたと一緒に歩けないかもしれない」
ミナの瞳から、一筋の涙がこぼれ、白い枕を濡らした。
カイは、叫びそうになるのを必死に堪えた。
自分を責める彼女の言葉が、何よりも鋭く胸を抉る。
「そんなこと言うな! 歩けないなら俺が足になる。義足だってある、車椅子だって最高のを特注してやる! 俺が……俺がミナを守りたいんだ。軍の偉い人も、そのために協力するって約束してくれた。だから……!」
そこまで言って、カイは言葉を詰まらせた。
今こそ、内ポケットにある「それ」を出す時だ。
帝国機二百余を、宿敵アシュラフ大佐を、迷いなく屠ったあの「神の指先」が、今は情けないほどに震え、汗ばんでいる。
カイは内ポケットから、汚れを拭い、白銀に輝く指輪を取り出した。
窓から差し込む陽光を受けて、それは細く、けれど確かな輝きを放ち、二人の間に浮かび上がる。
「これ、ずっと持ってたんだ。……士官学校がある八州で見つけた時から、ずっと、肌身離さず」
ミナの瞳が、驚きに大きく見開かれた。
カイは震える手で彼女の左手を取り、その薬指に指輪をそっと添えた。
だが、それを根元まで押し込む勇気が出ない。 (大好きだ、愛している、ずっと一緒にいたい―。)
喉元まで出かかったあまりにシンプルで重い言葉たちは、二百人の命を奪い、血に汚れた今の自分の手には、あまりに眩しすぎた。
「ミナ……俺、なんか少佐になっちゃったみたいだ。自分でも意味分かんないよ。でも……」
カイは指輪を握りしめたまま、ミナの瞳を真っ直ぐに見つめた。
もはや制御不能になった言葉が、支離滅裂に溢れ出す。
「俺の人生、全部君に預けるよ。……君のこれからの『足』は、俺がなる。君が行きたい場所へ、どこへだって俺が連れて行く。俺が君の翼になるから……!」
ミナが何かを言おうと、熱に浮かされたように唇を動かす。
だが、カイはそれ以上、彼女の返事を聞くことに耐えられなかった。
もし拒絶されたら。
今の血塗られた自分には相応しくないと言われたら。
恐怖が「破壊神」を突き動かす。
「……だから、歩けないとか言うな。俺がおぶる! 絶対に俺のそばから離れるな! ……ずっと、俺の隣にいろ!」
それだけを怒鳴るように告げると、カイは弾かれたように立ち上がり、振り返ることもなく医務室を飛び出した。
静まり返った医務室。
残されたミナは、呆然としたまま、自分の左手薬指に「添えられた」だけの銀の指輪を見つめていた。
窓の外を横切る哨戒艇の重い駆動音が、遠くで響いている。
「……え? ……ええっ?」
数秒の沈黙の後、彼女の頬が火を噴いたように赤く染まった。
「今の何……? 告白……? いや、『人生を預ける』って……それってもう、プロポーズじゃないの!?」
ミナは、指輪の残した冷たさと、カイの熱い言葉の残響を交互に噛み締める。
「ちょっと……勝手に言って逃げるなんて、あいつ、全然変わってないじゃない……!」
彼女は泣き笑いのような表情で、左手を胸元に抱きしめた。
失った足の痛みよりもずっと強く、カイという存在が、自分の心臓を激しく叩いている。
一方、通路。
「……あああああっ! クソッ、何言ってんだ俺は!!」
カイは誰もいない通路の壁に頭を打ち付け、己の失態を呪っていた。
プロポーズだ。
今の言葉は、どう考えても、誰が聞いても、重すぎるほどの求婚だ。
しかし、あまりにも支離滅裂。
自分でも何を言ったか整理がつかない。 世界を救う「神の操縦」を見せた男は、一人の少女への告白すらまともに完結できないままであった。
彼は、情けなく、けれどかつてないほどに「生きている」という熱を感じながら、艦内の通路をどこまでも駆けていった。
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