第10話 再会
揚陸戦艦『大和(ヤマト)』の艦内は、海岸線の喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。
だが、その静寂は平穏ではなく、一つの「歴史的特異点」を目の当たりにした者たちの困惑と畏怖が混ざり合ったものだった。
作戦司令室の大型モニターには、漆黒の試作機『アスラ』から回収された戦闘ログが、滝のようなデータ列となって流れ続けている。
海域司令長官、タロウ・シムラ中将は、机に置かれた報告書を一瞥し、深く、長く感嘆の息をついた。
「……信じがたい。単騎による敵軍団の壊滅。シュテルツァー237機撃破、うち指揮官機22。先行試作機1か。これは有名なエースだ。『スカーレットエクスキューショナー』アシュラフ大佐と言えば、シュテルツァー乗りなら誰でも聞いた事はあるな?去年のアル・サハラ・コルドル侵攻戦で帝国が介入した時に、彼をテレビで見ただろう?そして消費弾薬数と戦闘時間の比率が、通常の機体なら物理限界を超えている。事務手続き上、形式的な事情聴取は必要だが……カイ少佐。いや、カイ君」
シムラ中将が顔を上げ、正面に立つ少年に視線を向けた。
カイはまだ、煤と油に汚れた黒い帝国の軍服を着たままだった。
その姿は周囲の揚陸戦艦ヤマト将校たちの白い軍服の中では異質に浮いていたが、中将の瞳に宿っているのは疑念ではなく、深い敬意だった。
「君を『容疑者』として扱うつもりは毛頭ない。それどころか、我々は君に返しようのない恩を作ってしまった」
中将が傍らの副官に合図を送ると、重厚な防音扉が音もなく左右に開いた。
入ってきたのは、カイがこの地獄の中で最も会いたかった、そして、今の自分の姿を見せるのが最も怖かった二人だった。
「――カイ!」
「タケシ……それに、サカモト教官!」
入ってきたのは、予備学生部隊中隊長、サカモト少佐。
彼はカイの担当教官であった。
そして、かつての訓練生時代を共にした同期のタケシだった。
本来、帝国軍の制服を着た「帰還者」の聴取に部外者の同席は許されない。
だが、シムラ中将の配慮により、二人は証人として、そして何よりカイの「家族」としてこの場に呼ばれたのだ。
これは祖国がカイを裏切り者ではなく、『極限状況下で潜入工作を完遂した英雄』として公式に認定したという、無言の宣言だった。
「無茶をしたな、カイ」
サカモト教官が、以前と変わらぬ力強い足取りで歩み寄り、その大きな手でカイの肩を掴んだ。 「諜報ルートでは、黒い制服に身を包み、冷たい目で同胞達を追い返したという報告を聞いてたんだ。この教え子の横面を張り倒して連れ戻してやろうかと思ったが……。まさか、内部から敵を解体するための布石だったとはな。貴様の『神の操縦』を、こんな形で見せつけられるとは夢にも思わんかったぞ」
教官の掌から伝わる体温が、カイの凍てついていた心を少しずつ溶かしていく。
隣に立つタケシは、こらえきれずに目に涙を浮かべ、鼻をすすりながら笑った。
「あの戦闘……俺は収容所解放任務部隊だったから、教官と一緒に真っ先に収容所の解放に向かったんだ。そして解放した収容所の展望台からミナと一緒に見てたぜ。空から降ってくる黒い影が、あの憎たらしい帝国機を次々とパイルバンカーでぶち抜くたびに、みんなで声を上げたんだ。あんなデタラメな動き、お前にしかできないよ。……ありがとうな、カイ。俺たちの道を。みんなの未来を助けてくれて」
「タケシ、ミナは……ミナはどうした?」
「ああ、泣いて泣いて大変だったんだぜ。お前がハッチから出てきた瞬間、腰が抜けるくらい安心してさ。今はこの艦の医務室で軍医に診てもらってるが、命に別状はない。ジョセフも無事だ」
カイは、二人の温かさにようやく、張り詰めていた心の糸が千切れるのを感じた。
自分が殺してきたのは、帝国の兵士だけではない。
自分を信じてくれた同胞を欺き、冷酷な言葉を投げつけ、死の淵に立たせた。
その罪悪感が、少年の背中に重くのしかかっていたのだ。
「……教官、タケシ。俺は、ただ……自分を守るために……みんなを……」
「分かっている。それ以上は言わなくていい」
シムラ中将が穏やかに、しかし厳かな口調で言葉を継いだ。
「君の孤独な戦いがなければ、今頃マライカの砂浜は我ら第一艦隊の墓場となっていた。君は何も恥じることはない。君は救世主であり、誇り高き我らの英雄だ。胸を張ってくれ、カイ・イサギ特務少佐」
中将が真っ先に起立し、帽子を脱いだ。それに続くように、作戦司令室にいた参謀、通信士、そしてサカモト教官とタケシまでが、一斉に背筋を伸ばし、カイに向かって一分の隙もない敬礼を送った。
「カイ・イサギ特務少佐。君が命懸けで奪取した『アスラ』、そして君が刻んだ戦闘データは、これからの停滞した戦局を覆す唯一の鍵となるだろう。だが、今は戦士としてではなく、一人の個人として休んでくれ。艦内の個室を用意させた。シャワーを浴び、その汚れを落としたら、ミナ君の元へ行ってやるといい」
中将は少しだけ目を細め、父親のような優しい眼差しを向けた。
「君の帰還を、大東亜経済広域圏、第一艦隊の全将兵を代表して……心から歓迎する。おかえり、カイ君」
カイの視界が、急激に滲んだ。
黒い軍服の袖で何度も目を拭うが、涙は止まらなかった。
心が抉られるような、アシュラフ大佐に屈した日も、地獄のような戦場の中でも、一度も流さなかった涙が、温かい祖国の艦内で、煤まみれの頬を白く洗い流していった。
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