第2話 1975年・②
帰還日を間違えたわけではない、大丈夫だ。
安心してタオルで手を拭いた、そして状況を整理する。
僕は一時的にだが、過去で両親を引き離すことに成功した。
ならばもう僕はいないはずだ、手など洗っているわけがない。
だって授からないのだから!
僕は台所で夕飯の準備をする母に、話しかけた。まずは誕生日の確認から。
別の日に、生まれ直した可能性が浮上したのだ。
「貴方の生まれた日はね、冷たい雨が降っていたの」
何故か思い出話になる、日にちを聞きたいだけなのに。
「お父さんは、涙を流して喜んだわ」
望まれて生まれたのだ、それなのに失望させた僕。
母は味噌汁用に包丁で、豆腐や野菜を切り始めた。
時を一年戻して聞く。僕が予定通りに仕込まれた、理由が知りたい。
「そういえば電報、来ていたわね」手筈通り届いていた。
「だからパパと帰ったのよ、もう大変だったんだから。
病院を臨時休業したのは、先にも後にもあの時だけ」
信じられない、耳を疑う。病院第一である開業医の父が、命より大事な病院を休業させたなんて、有り得ない。患者さんと真っ直ぐ向きあう診察室と、休日なのに白衣で迎え入れる父の姿しか覚えていないのだ。
休業なんて重大な話があったなら、とっくに僕もこれまでの計画を練る期間中、耳にしていたはずだ。それなのに何故、僕にはこれが初耳なのか。
父は僕に病院を継がせたく、医学部に強い進学校への受験を繰り返した。
しかし無理なものは、例え天地がひっくり返っても無理で、高校受験の頃にはもう期待されない。
父を失望させた事実が重く伸しかかり、僕は暫らくの間、母が背中を摩ってくれていたことにも気づかなかった。母の掌の暖かさが、僕を現実に引き戻す。
母は小鍋に蓋をすると、下味を漬けた肉の袋を、冷蔵庫の中から取り出した。
「本当に、危篤だったの」
僕の作り話しなのだから、きっと無駄足を踏んだはずだ。
肉の入った袋は僕が受け取り、母の代わりに揉みもみする。
「それが不思議なことにね、私たちが出発した時点では、まだ危篤じゃなかったらしいの。けど早めにこちらを出ていたおかげで、意識のあるうちに間に合った。
最期少しだけ、話せたのよ」
僕が電報を打ったのは、予定調和だったのか。母は水に浸していた細切り玉ねぎをざるに上げ、油を敷いたフライパンに投入した。途端、油が跳ねる。
「交際中、パパと別れたことはある」
「あるわ。結婚前に一度だけ、いえ二度かしら。今思うと、おかしな話し」
そんな話も初耳だ。
今回の計画実行にあたり、僕は母から事前に、馴れ初めの詳細を聞いていた。
そこで時系列を年表方式に纏め、別れさせる日時と場所を綿密に決めたのだ。
玉ねぎは小気味いい音を立てながら炒められ、同時に肉も焼かれる。
今夜は僕の大好物、生姜焼きだ。
母の作った具沢山の味噌汁も、切り干し大根も好き。
もしかすると過去は、僕レベルがちょっとやそっと弄くったくらいじゃ、大元の流れに引き戻されてしまうのかもしれない。
パラドックスが起こる前に、再調整のイベントが発生していたのだ。
きっと世界には進むべき方向みたいなものがあって、それは強大な力。
とてもじゃないが抗えない。そんなことがもし出来るのなら、それは神。
だから父や祖父母に、僕が過去で何か働きかけたとしても、同じくなかったこととゆうか結局は、今のこの僕に辿り着いてしまうのだろう。
押入れに眠る母子手帳には、次の一文が書き加えられていた。
母を看取れて良かった、と。
僕が見落とした? それとも予め、見落とす運命だった?
「殺したら」
物騒な案が頭を過ぎる。
父でも母でもどちらでも、なんなら祖父母でも、もっと前の代でもいい。
過去へ行き、誰かひとり殺したら。考えたくはない。
自分ひとりを消すためだけに、代償が大き過ぎるから。
母が予定より早く亡くなれば、本来母とそれから出会う予定だった人たちの、思いはどこへいくのか。泡のように消えるのか、他の誰かで代用されるのか。
過去の世界で罪を犯しても、犯人はその世界に本来いない人間だ。
元いた時代に帰ればいいから。
僕がもし先祖を消せば、同時に子孫である僕も消えるから、償いたくとも不可能だ。もしかするとこの世界では、僕たちが気づいていないだけで、多くの人たちが未来人の手にかけられ、消されているのかもしれない。
だったら戦争を起こした、きっかけになった人を消してほしい。
大量虐殺兵器を生み出した開発者を、侵略を企む独裁者を。この方法であれば、決行するかどうかは別にしても、流石に僕は生まれないと思う。
いや待てよ、落ち着け僕。一度深呼吸でもしようか、大きく両腕を広げるのだ。
息を深く吸い込むと、酸素が身体中を巡った。
思考は鮮明になり、視界の色も明るくなる。
何をやっても今のところ、この大きな流れに引き戻されるのだから、結局は変わらないのではないか。何事も挑戦とは聞くが、今回は相手が未知すぎる。
根性論を振りかざせるのは、結果が判っている時だけだ。
僕は別の親から生を受け、結果この冴えない日常に、立ち戻されるのかもしれない。そこでも受験に失敗し、見放されているとすれば。決行すべきではない。
親殺しなんて後味が悪いだけだし、僕が殺りたいのは僕自身だ。
充電中のタイムマシンを眺めながら、どうしたら僕を消せるのか、考えを巡らせた。大学ノートを広げ、鉛筆を走らせる。
1.養子になる
苗字、両親、そして住む場所が変わることで、学校など交友関係を新たに構築することができる。
→地元の僕はいなくなる
2.国外逃亡
渡航先での
→日本の僕はいなくなる
3.身を挺して事故に遭いそうな子供を助ける
(代わりに僕が、この世を去る)
→他者のため命を賭する、なんと素晴らしい最期だろう。父も僕を誇るはずだ。
4.他に何かありませんか
→
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