ただいま 母さん

深夜(みや)

第1話 1975年・①

 驚かないで聞いてほしい、僕は今しがた僕を殺した。

 だが安心してくれ。誰も血を流していないし、勿論法も犯していない。

 僕は自作のタイムマシンで、十五年前に戻ったんだ。夢じゃない。


 そこで父と母を別れさせた、だから僕は存在できない。

 お受験に失敗し、中受も惨敗した僕はもう、勉強しろと言われなくなった。

 口煩い父が僕の成績を気にしなくなり、家庭内の雑音が減ったんだ。


 それだけじゃない。父の興味関心が、僕から完全に外れた。

 父にとっての僕は、まるで空気、会話もない。

 親の責務と世間体で、今は養ってくれているが、微塵も期待されていない。


 こんな僕がいつまでも、存在し続ける価値なんて、あるのかな。ないと思う。

 攻撃性の低い僕が、この時代を生きていても、大きな害はないはずだ。

 存在感を消しながら、日々学校へ通っているだけなのだから。


 では僕が生きていることに、果たして価値はあるのだろうか。

 小学校時代、生徒会長だった小原くんは、国立附属に進学した。幼稚園の頃、僕と結婚するといつも言っていた京子ちゃんは今、他の男と付き合っている。


 幼馴染は警察に表彰されて、隣りの席の子は書道コンクールで入賞したって聞くのに、僕には何もない。


 間もなくこの身体は、消えてなくなるだろう。僕は玄関に立っていた。


「あらいたの、おかえり」


 母がひょっこり顔を出す。

 庭つき一軒家の玄関に入ると、目の前には二階へ続く階段が伸びる。

 左手には家族団欒の間があって、奥には台所。母も左手に立っていた。


「ただいま」


 反射的に答えると、僕は洗面所へ向かう、夢じゃない。

 鏡に映る自分の姿を見て、今この場所に僕が存在しているとハッキリ気づく。

 手を洗う、石鹸をよく泡立てる。滑らかな感触、腕の重み。


 両親が別れれば僕は生まれてこないのに、どうして手なんか洗っているのか。

 僕は両親を別れさせた、それとも両親は別れなかったのか。

 もしかすると両親は、僕に別れさせられた後で、復縁したのかもしれない!


 慌てて階段を駆け上がり、僕は今日訪れた過去の座標に印をつけた。

 この延長上にある過去を、確認しに行きたい。

 作戦が失敗だったなら、再度挑戦すべきなのだ。


 だがタイムマシンはそう何度も使えない、一度に大量の電力を消費する。

 急激に電気代が上がれば、僕が疑われてしまうだろう。

 タイムマシンは秘密裏に使用する、誰にも打ち明けてはいけない。


 他の方法を模索した、僕が生まれないために。

 白黒テレビの前で母は、夜のニュースを見ていた。押入れの奥底で見つけた僕の母子手帳には、妊娠初期から母の丁寧な字で、詳しくメモが書き記されている。


 それを読めば、僕がいつできたのかはだいたい判る。その日を潰すのだ。

 念のため前後数日間は、両親を引き離したい。物理的な距離を取らせたい。

 当時のカレンダーと照らし合わせながら、僕は目指す日にちを決めた。


 改めて僕は、十四年前に戻る。

 過去に降り立つなり早速僕は、郵便局から電報を打った。


  【ハハキトク シキュウモドレ】


 これで母は単身、鹿児島の実家に帰るだろう。

 諸島部だから往復に、かなりの時間を要するはずだ。

 仕事人間の父が同行するはずはなく、今度こそ目的を達成した。


 間もなくこの身体は、消えてなくなるだろう。僕は元の玄関に立っていた。


「あらいたの、おかえり」


 母がひょっこり顔を出す。何気ない帰宅後の光景が、繰り広げられる。

 僕の頭の天辺から足の先まで、異常はないか目視される。

 なければ微笑まれ、気になる点が見つかれば問い質されて。


 そんなやり取りが、日常的に行われていた。


「ただいま」


 反射的に答えると、僕は洗面所へ向かった。

 鏡に映る僕と目が合えば、今この場所にハッキリ存在していると解る。

 手を洗う、石鹸をよく泡立てる。この行動に既視感を覚えた。


 僕は十五年前に戻るためタイムマシンを使った、前回の帰還日に、もしや戻ってしまったのか。それは拙い、この日の僕と鉢合わせてしまう!

 さすれば文字通り、ドッペルゲンガーだ。出会えば死んでしまう。


 死ぬことが怖いわけではない、そのためにタイムマシンを使っている。

 理由はそこではなくて、まさかふたりいっぺんに死ねば、僕はいつ双子になったんだって、発見者を大困惑させることになる。


 慌ててその場で足踏みしたが、多少の振動を起こしたところで、どうにかできるわけもない。タイムマシンは一度使えば、次に動かせるまで、充電期間が必要なのに。

 前回の帰宅時間が迫っている、僕が帰ってきてしまう。


 僕の身体がプラズマ状態に変化すれば、炎のように尽きてしまう!

 待てよ。となるとこの世界には、タイムマシンが二台存在することになる。

 これは電気代が膨れ上がるな。


 成す術もなく目線だけキョロキョロ動かしていると、洗面台横の壁掛けカレンダーが、今日がいつだか教えてくれた。

 母が毎朝赤マジックで、前日に×印をつけるからだ。

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